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がつがつ頑張れない人が表現活動を続けるにあたって大切なことをいくつか。

わたしは人間界的なものさしでいうと おそらくかなり意識低い系なので、「とにかく行動!」「結果出せ成果あげろ!」的なのを前にすると、「うわああああああああ……(パニック)(白目)」となるタイプなんですよね。

結果出せオラア、な感じがとにかく苦手ですし、競争意識の強い環境や 適材適所の概念の機能しない環境ではまっ先にしおれていくタイプですw

全方面 満遍なくガツガツ貪欲に開拓していくというよりは、丁寧にじんわりと染め上げていくような仕事のしかたになっていくんですよね。

わたしみたいなかた、きっといらっしゃいますよね。


「最短で結果出しました!」みたいなのってやっぱりキラキラ(ギラギラ)しているしカッコイイし出来たときは達成感もあるし 承認欲求の強いかたにとっては特に気持ちのいいものだと思うのですが、そうならない場合のほうがほとんどじゃないですか。

そうならない場合のほうがほとんどだけど、キラキラ(ギラギラ)しているもののインパクトって大きいし 数字やスピードには説得力も人を惹きつける力もあるから、

自分が地道に頑張っているときに(特に自分と同じような分野で)「最速で目標達成!」的なのが視界に入ったりすると、やっぱり焦っちゃったり なかなか人に誇れるような成果をあげられない自分に対して「わたしってどこかおかしいのかな…?」って疑念の目を向けてしまうこともあるかと思います。


たしかに飛ぶ鳥を落とす勢いで集中的に努力をして、がつがつ他人を巻き込んで結果をぐいぐい出していく人もいますし そちらのほうが圧倒的に目立つのですが、

それでも今 “輝いている” ように見える方々の多くは、先が見えない上に誰も整備してはくれない『自分だけの道』を あれこれ試行錯誤したり迷ったり不安や嫉妬や恐怖と対峙しながらも、年単位の時間をかけて愚直に歩いてきた人たちなんですよね。

そうやって歩いてきた多くの先人たちが伝えてくれているように、自己実現とか自己表現とか、なにか志すものがあるときの最重要事項って『やめないこと』だと思うんです。

そういうのって、自分ひとりで覚悟を決めて その道を歩み始めてみて、そこから自分の存在を誰かに知ってもらって人から求められたり愛されるようになったり一定の評価のようなものや信頼や知名度を得られるようになるまで、やっぱり相当な労力も精神力も時間もお金もかかってくるんですよね。

わたしのように不器用で疲れやすい人(しかもロングスリーパー!)ならなおさらそうだと思います。


比較的早い時点で運の追い風のようなものを感じられる場合は継続もしやすいのですが、そうではない場合、自分を励ましながら 合っているのかどうか誰にもわからない道を進んでいくのはかなりの精神力を要することになります。

その道の途中でどうしても「スゴさ」みたいなものに強烈に惹きつけられたり、他人から「スゴさの提示」を求められたりすることもあるのですが、

自分の身体や心を無視してまで「スゴいって言えること」を追いすぎてしまうと、最重要事項である『やめないこと』が揺らぎ始めてしまいますし、そもそもの自分の志と はなればなれになって次第に心が迷子になっちゃうんですよね。


「スゴさ」を求めるけどそこまで貪欲になれない自分と、「スゴさ」の証拠をバンバン集めて順調に頑張っている(ように見える)人を比べてしまって落ち込んだりしたときは、一旦横を見るのをやめて目線を上げて、すでに遥か先にいる圧倒的憧れの人の背中を見てみると 少し気持ちを持ち直せるかもしれません。

圧倒的に凄く見えるあの人だって、どんなタイプであるにしろ きっと同じようなもどかしさや劣等感や葛藤を経て、今の位置にいるのだから。

そんなふうに、憧れの人の『影の時代』に思いを馳せてみると、感じ取れるものがあると思います。

輝いて見える人の『今』だけをきりとって見るだけではなく、その人から伸びる影の部分を感じてみる。眩しく輝いている今よりもむしろ、その人が輝きを放ち始めるまでの時間のほうに、今の自分に必要な宝物がたくさん詰まっていると思うから。

憧れの人や尊敬するその人を その人たらしめる土台がつくられた時間に詰まっている情熱や思想や葛藤や努力を丁寧に感じ取って吸収して そして自分の道にトレースしていけるのって、わたしたち “がつがつ頑張れない族” の大きなアドバンテージなんですよ。


人と比べちゃうときもあるし、自信がなくなっちゃうときもあるし、正解がわからなくなって迷子になっちゃうこともあるし。

スゴさ、正解、成果、競争、勝ち負け、損得…… うっかり気になって、自分の表現とか自分を生きるということへの集中力が途切れそうになるトラップってたくさんたくさん仕掛けられています。

今の人間界って、身を置く環境や付き合う相手をよっぽど選ばない限り、感受性の強い人ほど自分を嫌いになるようなシステムで回っていますもんね。


特に表現活動など、目に見える成果がすぐには出にくく 後から後から費やした時間やエネルギーが価値となって効いて(表れて)くるものって、想像力の乏しい方からは否定されたり揶揄される対象にもなったりします。

飛躍的に伸びるのがいつになるのか誰にも予想できない世界なので『即金性』以外のものに慣れていないかたにとっては仕方がないのかもしれませんが、中には「あなたのことを思って言うけど、やめたほうがいいよ」みたいなことを本気で言ってくるクレイジー野郎もいます(ごめんなさい)。

でも多くの “想像力は乏しいが声は大きな人たち” が抱く損得とか正解のイメージって完全に幻想なので、そっちにひっぱられずに自分の世界観を創り上げていってほしいし自分もそうしていきたいなと思います。


あなたが表現をすることで、必要としている誰かがあなたを見つけることが出来ます。そこから繋がって広がっていく縁というものがあるのです。

ご自身を表現をするということは、あなた自身だけでなく、あなたのことを見つけたがっている まだ見ぬ誰かへの愛になるんですね。

そしてご自身を表現しながら生きるということは、あなたを大切に扱わない人からあなたを守る強力なバリアになってくれます。あなたを大切に扱わない人に迎合して、自分の生き方、自分の表現、自分の声を、どうか失わないでくださいね。


あの人のようにはがつがつ頑張れないと思うかもしれない。また別のあの人のようには多くの人に愛されていないと感じるかもしれない。器用にやっているように見えるあの人に嫉妬しちゃって苦しいかもしれない。出来ない自分が言い訳だらけに思えて嫌になるかもしれない。

でも大丈夫。あなただけじゃないよ。

苦しくなったらひと息でもふた息でも 5息でも6息でもつきながら、ゆっくり歩いていけたらいいよね。


だいたいのことは「やめちゃえー」「逃げちまえー」っていうわたしだけど、自分を表現する生きかたからだけは逃げたくないよねって思うんです。

だってこれを見てくださっているかたって、きっと大きな愛を持った人だから。

そんな人が、自己否定とか 他人との比較や競争の世界の枠に閉じ込められて その大きな愛を表現出来なくなるのって、とても悲しいことだし、その愛が封印されてしまうのって人類にとって大きな損失だと思うんです(大袈裟だと思うでしょw でも本当にそうよ)。

あなたの愛の表現を待っている人が、あなたを見つけたがっている人が必ずいて、あなたの世界観と出会えるのを心待ちにしているから。

その胸に秘めた大きな愛を、惜しみなく解放して、表現してまいりましょう♪


今日もお付き合いありがとうございました。

何か参考になりましたら幸いです(﹡ˆˆ﹡)



*❇*  嬉しかったこと *❇*

昨日、いつも通りフォロワーさんの記事を拝読していたら、、記事の中に自分の名前を発見!

なんと、、、私のことを書いてくださっていたんですね~!

思いがけず、素敵な宝物を受け取った気持ちになりました。

嬉しかったので、こちらでご紹介をさせていただきます。

心理カウンセラー  tomoさんの記事です!

tomoさん、素敵な言葉の贈り物をありがとうございます。

記事の中でもおっしゃってくださっていたのですが、私が超絶愛してやまない あざらしのしろたんをお迎えしてくださったそうで、重ね重ね感激の嵐でした。

素敵なサプライズに感謝です!


*❇*❇*❇*


しろたんとは…???のかたはこちら↓(レビューに全てが書かれています。お時間のあるかたはどうぞ)

※そして私のしろたんへの愛はこちら→ (´・ω・`)♡


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