横浜流星似と言われている5階の佐藤について



どうも、最近Twitterで#100日後に100即する童貞で話題になっております。

"横浜流星似の高身長イケメン"と言われております。

5階の佐藤と申します。よろしくお願いいたします。

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横浜流星様



横浜流星似の高身長イケメンとか前世でどんな徳積んできたんだよって感じですよね。でも実際は柄本時生似のスト低です。



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柄本時生さん



ガチ寝たきり。実物はそこまでかっこよくないです。なのでこれから合流する人は期待しないでください。本当に勘弁してください。



このnoteでは、僕の過去について書いていこうと思います。


と、その前に簡単な自己紹介をしておきます。

小5で自殺未遂→中高生活を犠牲にして某大人気スマホゲームで全国4位→2年宅浪するが勉強せずにシコりまくる→受験失敗して鬱

そして、今年度から大学3年生になったMARCH在学中の、ただのどこにでもいそうなやつです。


詳しくはnoteに書いてあるので、気になる人はそのまま読み進めてください。興味ない人はブラウザバックしてください。


自分の思考の整理としても書いていくので、内容はつまらんかもしれないけどご容赦ください。不快な表現があるかもしれませんがご了承ください。


過去の回想なので長いです。6000字以上はあります。

俺がどのような人なのかをサクッと知りたい人は、目次の”まとめ”をクリックしてざっと見てみてください。


幼少期


正直覚えて無い。特に変わった出来事も無し。
仲の良い男2人がいて、いつも3人で外で遊んでた記憶くらい。
今でもその1人とは連絡を取れるが、もう1人はもう引っ越してしまってどこで何をしているのか俺は知らない。多分連絡を取ろうと思えば取れるが、今更であろう。ただ、死ぬ前には連絡を取りたいとは思ってるし、比較的忙しくない大学卒業前に連絡をとってみようと思う。

○○○くん、もしこのnoteを読んでいたらDMください。

一緒に俺とナンパしよう。


小学校

勉強は嫌いだったが、算数は好きだった。
良い思い出と言ったら、小4の昼休みに初恋の子とスペードをやってたことだ。めちゃくちゃ幸せだった。純愛だった。今書きながら思い出して泣きそうになっている。
それと、休み時間にドッジボールをやってとにかく逃げ回るウザいやつだった。


小5では4人にいじめられてガチで自殺しようとする。ハサミを持って自分を傷つけようとしたが、恐怖をはじめとした色々な感情が混ざり合って涙が出てきて結局やめた。そして、その日か数日後に給食の時間にいじめられて限界が来てトイレに引きこもって泣いた。保健室に行った。20~30分後謝りに4人が来た。ごめんの一言で許されるわけがないだろうこのクズが。100発は殴らなきゃ気が済まない。


なんで辛い思い出ばかりが記憶に残ってるんだろう(それが脳の特性であるのは理解しているが)。

この頃から「でも体の不自由な人や障害のある人に比べたら自分なんて全然マシだよな」と思うようになった。



サッカーをやっていたが、足が弱く、すぐ足を痛めた。
膝の成長痛(オスグッド・シュラッター病、気になる人はググってください)が小5から始まり、中3部活引退まで俺を悩ませることとなった。

一年近くやってもリフティングが二桁も出来ないガチの運動神経がないやつだった。金と時間がもったいなかった。
親に申し訳ないとは思うが、小さい頃から自分で辞める決断が出来る方が優秀だと思うので、自分は単に優秀じゃなかっただけだなとも思う。


スクールカーストは真ん中よりほんの少し上くらいだったと思う。

気に食わないことがあったら暴力を振るうことが割とあった。おそらくいじめが原因で、反撃をするか自己主張しないとやられるということを無意識のうちに思っていたのだろう。

小6の頃は結構殴り合いやちょっかいを出し合うことが多かった気がする。懐かしい。



・性関係について

確か小5の頃からPSPでエロ動画のサイト閲覧してAV見まくってた。フルボ○キしてた。でもオ○ニーはなぜかしなかった。怖かったんだと思う。


中学校


卓球部はダサそうというイメージからバスケ部に入るが、小5からの膝の成長痛でなかなか部活に参加出来ず、部活のメンバーと馴染めなかった。


小学校の頃から仲が良かったメンバーとも、部活に参加できないことが原因で中が次第に悪くなっていくのを感じた。ズル休みでないにせよ、自分がきつい練習をしているのに、他者が長い期間休んでいるのを見るのはいい気はしないだろう。



中2で彼女ができた時、仲良かったグループほぼ全員にハブられた。

小学校の頃から仲が良かった同級生からもハブられてかなり傷ついた。

人間不信が加速した。小学校でいじめられた頃にも思ったことだが、

なんで俺だけ

と思った。


まぁハブられたのはいいとしよう。

イチャイチャしてると周りからいじられまくって俺はイライラしたし、拗ねた。彼女は俺の代わりに周りに怒ってくれた。今思うと、あれは純愛だった。

ただ、初めて恋人が出来て浮かれていた俺は、LINEが遅いと「何してたの?」と問い詰めるガチのメンヘラと化していた。今思うと、周りからひどい扱いをされていたからそうなってしまったのだろう。


喧嘩は日常茶飯事とまでは言わないが、まぁまぁしてた。半年くらいは確か付き合ってたんじゃないかな。バレンタインは貰った。

しかし、ベータで非モテコミットしまくってた俺に愛想を尽かした彼女は、俺に別れを切り出した。その腹いせに俺は彼女にひどい言動をしまくった。
元カノを不用意に傷つけてしまったことを今でも悔やんでいる。

あの時の自分は、ひどく幼くて、自立できていなくて、他責思考が強くて、自分のことばかりだった。


文化祭も体育祭もその他の行事も、人間関係で鬱っぽくネガティブになっていた俺はそんなに楽しめなかった。

「だるい、ゲームしたい、アニメ見たい、何が楽しくてこんなんやってんだバカかよ」と達観?諦観?していた。


こんな嫌なことばかりの中学校生活で、今思い出して書くだけでも目から汗が出るほど苦い思い出ばかりだが、唯一現実逃避させてくれるものがあった。それはパズドラだった。

中2の頃から兄に勧められてやってみた。
最初は0コンボか1コンボしかできないゲェジだったが、練習しまくると上手くなった。


人間関係のストレスで、つまらない勉強なんてやる気になるわけがないし、部活も怪我で出来なかった俺にとって、周りに優位性を示すにはこれしか無いと思った。優位性を示そうと思ったのは、他に取り柄がない俺が存在意義や生きる目的を見出したかったからだ。

とにかくパズドラをやってた。授業中でもパズドラのことを考えていた。

その結果、中学3年の6月の実力テストはこうなりました。


完全にゲーム依存症だったなと思う。


周りから「やれば出来るのに」と思われてたし、自分もそう思ってた。けど、勉強なんてやる気にならなかった。やる意味がわからなかった。

ゲームの方が楽しい。なぜ苦しい思いをして勉強しなければならないのか、当時の俺には理解出来なかったし想像も出来なかった。まぁ、ゲーム依存症のメンヘラ野郎なだけだったと思うけど。


・性関係について

ちなみに初オ○ニーは中3なのに、初キス、手○ン、パイ揉み、パイ舐め、ク○ニは中2でした。

彼女と生でしようとしたら、ゴムなきゃダメと言われ、そこで初めてコンドームの存在を知ることとなった佐藤少年であった。

挿入以外は中2で大体経験した。なのに、それ以降大学2年まで一切性的関係を結ぶことは無かった。自分でもびっくりだ。


高校


パズドラ にどハマリした俺は自称進学校に進学する選択肢を放棄し、家から5分圏内の偏差値39の高校に入学した。

将来のことなんてちゃんと考えてなかった。兄貴もこの高校に進学していて、難関私大に合格していたので、まぁ俺もなんとかなるだろうと甘く見ていた。大学受験は甘くなかった


膝の痛みが治まり、ようやく部活を楽しめると思ったが、運悪く入部した自分と同じ年に移動してきた顧問の先生が元日本代表とかだったらしく、今までぬくぬくでラクラクのハンドボール部が鬼きつくなった。

膝の痛みは治まっていたが、新たにスネが痛くなり始めた。シンスプリントというやつだ。多分運動部だったら知ってる人も多いであろう。一時期は歩くだけでも痛みを感じた。貧弱な体をとことん恨んだ。


中学と同様、休んでいるせいで部活のメンバーと馴染めなかった。先輩も同級生もいい気はしてなかった。


でも、高校2年の頃はそこそこ部活に参加できるようになり、同級生ともかなり仲良くなった。絆が芽生えていた。

しかし、夏休みの初日の合宿の日、俺は前十字靭帯損傷という大怪我をした。

なんで俺だけ

またこう思った。



前十字靭帯損傷の手術、入院、リハビリに半年以上かかると知った。入院の準備などの都合上、冬休み前に入院して手術することになった。

そういうわけで、俺は部活を辞めた。

部活をやりながらそこそこ続けていたパズドラに、廃人のようにコミットするようになった。

中学生の頃は親の教育方針でスマホを買ってもらえず、iPad miniでパズドラをしていたが、高校生になってからは好き放題やりたい放題であった。

手術して寝たきりの入院期間、死んだ顔でとにかくパズドラのランク上げをしていた。
そしてたまにAV見てシコる。


ランク上げるかAV見てシコるか。
マジでこの2つしかやってなかった。


四六時中パズドラかシコることを考えていた。

下の、オードリーの若林の発言はめちゃくちゃ共感できた。



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とにかくパズドラを極めた。
Twitter上の無課金ランク上げガチ勢を見て、ランク1,000を一番は無理でも上位に入りたいと思うようになっており、とにかくコミットした。


(パズドラやってた人にしか伝わらないけど、ランキングダンジョンというユーザーで競うイベントがあって、そのランキングで上位0.1~3%とかも普通に入ってた。ランク上げだけしか出来ないとか言われたくなかったからパズル力もまあまあ極めた。ネトナンしか出来ないのかよとか言われたくない気持ちと多分似てる)


12時間は当たり前、16時間やるのも日常茶飯事、時には睡眠を削って18~24時間やったこともあった。

トイレでも食事中でも風呂でもパズドラ 。スマホ禁止の底辺高校だったから、授業中もバレないようにヒヤヒヤしながらパズドラ 。


そうして命と睡眠を削って脳機能をズタボロにした結果、見事4位入賞はできた。

3位の”みるく”ってやつがぼく


今さっきスクショしてきた画像

1位は無理にしても2位か3位にはなれると思っていたので悔しかった。ただ、ベストは尽くしたから後悔はしていない。


目標だったランク1,000を達成した。
達成感と虚無感の2つに包まれた。



ゲームのことしか考えてなかったから、この先どう生きていこうか、わからなかった。とりあえず高卒で就職するのはまずいと何故か思っており、就職したくなかったから、大学受験のための勉強に移行しようかと思った。



パズドラで目標達成した1ヶ月の6月頃、勉強に集中するために雑念を振り払いたいと思い、高1からクラスが一緒で色々あったけど仲良かった好きな人に告白し、予想通り振られる。

相手は「今はそういう気分じゃない、勉強に集中したい」と優しく振ってくれたが、数ヶ月後普通に別のクラスのやつと付き合ってたのを知って泣いたよね。俺より勉強出来る子であざとい子でした。


かなり仲は良かったが、俺が外見を一切気にしてなかったから振られたんだと思う。外見さえ磨いてたらまだチャンスがあったかと思うと後悔しかない。



振られて、「よし、これで勉強に集中出来るぞー」と思ったが、結局夏休み1ヶ月くらい引きずって勉強がに手がつかなかった。バカ草。こんなんなるんなら告んなきゃ良かった。そう何度も思った。


そして、9月のマーク模試がこちら。



第一志望校は地元の地方国立大学


高学歴が多いとされているナンパ界隈。
この成績がどれほどヤバいかは高学歴でなくとも分かるかと思います。


こんな成績じゃFラン以外受からん。
模試の問題わからなすぎて寝るし、ほぼ勘でマークしてるから実際はもっとひどい。


まあそんなこんなで勉強は続けてはいたが、スマホ依存とパズドラ依存が抜けず、ランク1,000達成してもなんとなくやり続けてしまっていた。
そして、大学に行く明確な目的も、勉強習慣も、勉強の仕方も、全部分からなかった。


勉強の質も量も足りてなかったし、情報収集能力もまるで無い。まさにゴミ。賢い小中学生よりも10倍ぐらいバカだったと思う。


9月で上のような成績なら、一般的には私立に絞るのが普通だが、戦略もなく、学費が安いという理由で地方国立を第一志望としていた俺は、何科目も中途半端に勉強した。



そうして、センター試験を受けた。当然爆死した。
センター試験後に私立大学の赤本を買って初めて過去問を解いた。


MARCHの2学部と日東駒専に落ち、大東亜帝国レベルの大学(センター利用)にしか受からなかった。同級生もみんなそうだった(一般受験受けた人が2桁いないことに驚く人は結構いそう)。


「ニッコマは低学歴!」が口癖で、受サロの被害者であり、学歴厨になった俺をひたすらバカにしてたメガネの同級生も、結局は大東亜帝国レベルの大学に進学した。


(どうでもいいけど、情弱すぎてこの学歴厨の同級生から教えてもらえるまで受サロのことを知らんかった。)


今何してるんだろう。多分まだ童貞だと思う。俺より陰キャだし陰湿だし。

まあいいや。


俺は

「ほぼFランに進学するくらいだったら、進学せずに浪人した方がマシ。学費と4年間がもったいない。」

と思い、親に浪人させてくれるようお願いした。


当然叱られた。今までゲームばっかやってきて受験校も親に頼って自分で調べずほぼ全部母親にやってもらっていた。本当にクズだったなと思う。


なんとか交渉して自宅浪人させてもらえることになったが、それにあたって、今まで甘えてきた自分にとって厳しい条件を父親から課された。



ちなみにクラス内浪人したのは唯一俺だけだった。俺以外、就職か、指定校、専門、ほぼFランに進学した。正直仲間が1人もいないのは寂しかったし、かなり不安だった。


・性関係について

ガチのシコザルだった。特に高2のある時期は朝遅刻ギリギリまで粘ってシコってから学校に向かった。家から教室まで全速力でチャリ漕いで5分かからないぐらいだった。


学校の席につくと、たまに、というか頻繁に完全に出し切っていない精子でパンツが汚れていた。何度もこうなって何度も気持ち悪いと思ったが、朝にシコるのはやめられず。夜もちろんシコってから寝ていた。たまにイッてから寝落ちしていた。


※余談
確か高2の終わり頃から道端にあるゴミ(ペットボトルと缶)を拾うようになった。この話を書くとまた長くなりそうだからまたの機会に。


浪人




なんか気づいたらめっちゃ長くなってた。すんません。


バイトを週5でやらされて家事や掃除、何時に寝て何時に起きる等、色々な条件付きで浪人を許された佐藤。

最寄り駅までチャリで20分くらい、一時間に一本しか電車が来ないど田舎に住んでいた。近くにまともなバイト先が見当たらず、近場で探すとスーパーかコンビニしかなかった。


今まで甘ったれた生活をしていたため、肉体労働のバイトをするだけでクタクタになってしまっていた。俺がやっていたのはスーパーの品出しのバイトだ。早朝の6時から9時。周りが女性しかおらず、3時間黙々と作業するあの地獄の時間はもう経験したくない。


このバイトの経験から、「早くお金を稼いで楽になりたい。頭使って生きてないやつは搾取される。」と思うようになった覚えがある。まあ、病んでて結局全然勉強できなかったけど。


今書いてる途中に、バイト先のタバコを吸っていて少し綺麗なシンママ(確か)とえっちしたいなと思っていたのを思い出した。相変わらず頭はちんちんで支配されていた。



スマホ依存から抜け出せず、ひたすら勉強法の動画や参考書について調べるオタクと化していた。


浪人して考える時間が増えたのが災いした。
過去のことを意味もなく振り返っていた。

「なんで俺だけ怪我ばっかりするんだ」
「なんで俺だけいじめられるんだ」
「なんで俺だけ浪人してるんだ」


「なんで俺だけ」思考になってた。発展途上国の人よりはマシだとは思うけど、だから何って感じだ。そう簡単に開き直れるなら自殺志願者も自殺率ももっと低いだろう。


上にも書いてたけど、予備校も近くにないし駅も遠いし電車は一時間に一本だしなんでこんな不利な条件で受験しなくちゃいけないんだと思った。


無意味だけど、ずっとぐるぐるこういったことを思考してネガティブな気持ちになっていた。
全然勉強できずに直前期になってはじめて焦り、睡眠を削り、非効率な勉強に時間を割きまくっていた。


そうして迎えた浪人一年目。
結果は日東駒専、MARCH、早稲田を受験し、見事全落ち。


盛大に父親に怒られた。
それはそうだ。汗水垂らして働いて手に入れた多額の金が全て受験費用に使われた挙げ句、無意味なものになっているのだから。



寮に入って浪人するのを勧められたが、謎のプライドによる恥ずかしさから自宅浪人を選択した。この選択は間違いだったと思う。



自宅で全然勉強できなかったのだから、環境を変えたほうがいいのは必然であった。



モテたいなら、周りや絡む人をモテる人にし、その人達の振る舞いや所作、習慣を真似るべき。
勉強できるようになりたいのなら、勉強できる人達の振る舞いや所作、習慣を真似るべきである。


そうした方がいいのは当時の俺でも知識として知ってはいたが、環境の大切さを今よりも重要視していなかった。


結局2年間自宅で浪人したが、鬱っぽい毎日を過ごしており、死にたいや消えたいと思い、勉強をほぼせず、ネットサーフィンをするかtwitterを見るかAVを見るかにほぼ時間を費やしてしまった。マジで時間の無駄というか、もったいない時間の使い方をしたと思う。



「二浪したからには東大や一橋、京大に進学しないと……」と自分の現在地を全く理解しておらず、現実的にほぼ不可能な目標を立てては萎えてしまい病んでしまった。謎の数学コンプがあったが、それは大学合格してからでも遅くない。第一志望の大学合格が最優先なのだから、それに注力すべきである。


一浪目も二浪目も、直前期になってから志望校を国立から私立に変更してしまった。圧倒的戦略性のなさが見て取れる。


二浪目の受験は、第一志望の早稲田大学に落ち、MARCHに何度か滑り込むという結果になった。
全然勉強しなかったのだからまぁまぁ良い方だと今は思うが、当時はひどく落ち込んだ。


「大学全落ちしたら働いてもらう」と父親に受験直前に言われてメンタルが崩壊した。おかしなことは言ってはいないが、働くのが嫌すぎて、高卒で何もスキルがない自分が働いてもしょぼい給料で死ぬまで働き続けることを想像したら何も手がつかなくなった。



全落ちしたら本気で自殺するつもりだった。
ありがたいことにMARCHに受かっていた。過去問を一年分も解かずに問題の傾向と形式だけ把握しただけだったので、落ちてると思ってた。



・性関係について
上にも書いてある通り、AV見てシコりまくってた。
起きてとりあえず一回、夜に一回は基本だった。
社会不適合者感半端ないな。大丈夫かな俺。


大学

マジでここまで長くなるとは思わなかった。これでも端折ってる方なのに。



「二浪でMARCHとかゴミすぎ。大学入学したら頑張らなきゃな」と思った矢先、コロナで全授業がオンラインになり、夢のキャンパスライス、新歓、サークル活動等、期待していたものが全て無くなり、また鬱になった。


受験直前期にどうしても孤独や悩みに耐えきれず、5階の佐藤の垢を作成し、いろいろな人に相談や意見を求めた。
このアカウントを作成した当初の目的は、高学歴の人や高IQの人達と絡み、今までのバカで惨めで不真面目な自分を変えたいというものだった。



上記で挙げた人達をフォローしていき、大学1年の3月か4月だったと思う。ある日Twitterを見ていると、ある人のツイートが目に止まった。



その人物とは、DQN医学生ナンパ師そらくんだ。
「何だこのインパクトありすぎる名前は。イかれてる。」


第一印象はこんな感じだった。
そらくん経由でN氏円堂くん叶人さんを知っていき、ナンパ界隈という界隈が存在することを知った。


常識じゃ考えられないことがナンパ界隈では起きまくっていた。



でも、非モテ童貞の俺はAVでシコってるだけである程度は満足していたし、美容やファッションにお金や時間をかけるのは面倒だという理由で、いつまで経っても家に引きこもってシコっているかネットサーフィンするかだった。浪人時代とほとんど変わっていない。



しかし、元から仲が良かったKGB君がN氏の講習に受けたり、界隈の人と関わることが多くなったりして、ナンパや女遊びへの興味が次第に強くなっていった。今まで読んでもらっていたように、性欲は平均よりは間違いなく上であろう。自分ではそこそこある方だと自負している。



そして月日が経ち(雑ですまん)、さんやゼンイツニキ、南國さん、ゼロさんと話していき、色々あって#100日後に100即する童貞という企画をやることとなった。(その色々については、企画にnoteを執筆中なのでそちらで詳しく書きます。)



まとめ

俺がどういう人生を歩んできたのかを再度まとめる。


体が貧弱でスポーツが出来ず、いじめられて人間関係で苦しんで、そのストレスからゲームに逃げて、そのゲームに熱中しまくり、中高の4年半をゲームに費やして全国4位になり、その後、自宅で2年浪人したが、鬱っぽい毎日を過ごしており、死にたいや消えたいと思い、勉強をほぼせず、ネットサーフィンかAVを見てシコるだけの廃人になった。その結果、第一志望の早稲田大学に落ち、MARCHにはなんとか滑り込んだ。コロナで全授業がオンラインになり、ネットサーフィンかAVを見てシコるだけの廃人になった。が、ナンパ界隈を知り、今の5階の佐藤に至る。


自分は青春コンプであり、学歴コンプであり、運動コンプだ。


正確に言えば、コンプだった。今ではそんなに気にしていない。気にするだけ無駄であり、他の自分ができることに目を向けたほうが人生は楽しいと気づいたからだ。



自分の長所と短所はこんな感じだろうか。

・他者のことを考えているように見えて結局自分のことばかり考えている
・何かに本気で打ち込もうとする時の基準が多くの人とは違う
・嫌いなことや苦手なことはとことんやりたくない
・言い訳ばかりして楽な道を進もうとしてきた

俺を上手くコントロールし、導いてくれる人に出逢えば、自分はもっとマシでそこそこ頭のキレる人間になれそうだなと思う。


長くなりすぎて何を書こうとすればいいのかわからないけど、俺が言いたいことを適当に書いていく。せっかくだからここまで読んでくれた人に少しでも良い影響を与えることができれば嬉しい。



俺は優秀でもないしイケメンでもないし陰キャラだし意識高い系だ。


1人じゃマジで何も出来ないダメ人間。
でも、多くの人と出会い、多くの人がサポートしてくれたから今の俺がいる。


めちゃくちゃ怒られるし、呆れられるし、迷惑をかけまくってきた。

それでも、自分がその時点でできる限りの感謝と謝罪と行動はしてきた。



自分に何もない。自分は平凡。


そう自覚していて、かつ何かの分野で成功したいと思っているのなら、その分野で成功している他者を頼って、いつか(できればなるべく早く)恩返しやお礼をする。それに時間がかかりそうなら、自分が提供できるものを最大限差し出す。



まあ、自分も完璧には出来てないし、まだまだなんですけどね。
でも、上で書いたようなことの一部は意識して実際に行動してきたつもりだ。




いるかわかんないけど、もし非モテ童貞で俺を頼りにしたい人がいるならどんどんDMしてきてほしい。俺が頼りなかったり俺が嫌いだったりするなら、俺じゃなくてもいいから界隈の人に頼るべき。

#100日後に100即する童貞が終わったあとにはなるけど、少しはまともなアドバイスが出来ると思う。



多くの人たちが俺を助けてくれたように、俺は誰かを助けたいと思っている。


テイカーとギバーってのがあるけど、最初はテイカーになるしか無い。みんな生まれたときは赤ちゃんで、与えるものと言ったら元気で喧しい泣き声だけだったはずだ。

もちろん礼儀やマナーを守ってテイクすることが前提です。
いつか自分がした無礼な行いは自分に返ってくると思いますよ。


もっと書きたいことはあったけど長くなったしまとまらないので、一旦終わり。



企画についてのnoteも近々出すので楽しみに待っててください。
あ、間違えた。



ふるえてまて






おわり

※あまりにもひどすぎる出来なので、企画が終わったら修正いたします。
拙い文章で失礼いたしました。読んでいただきありがとうございました。




サポートよりも自己投資していつか俺を助けてください🥺🥺🥺🥺🥺