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原宿isわたしを育ててくれた町。

お久しぶりです、皆様お元気でしょうか。体を張って受けたPCR検査の記事が思ったよりも伸びなかったので悲しくなり、note拒否反応が起きてしまったため更新をサボっておりました。

いや、別にnoteのために受けたわけではないのですが、、、、。

でも、継続は力なり。何かを続けることが苦手なわたしを変えるために始めたnote。今のわたしはまるでいいね!の数を気にしているツイッタランドの住民、もしくはお金でフォロワーを買い、ステマに便乗してお水を宣伝しちゃったり、腕時計をいただいちゃいました!こちらのコードを入力すると5パーセントoffになるよ!とかいう気持ち悪い記事を上げたり、芸能人でもなんでもないのにお仕事はDMまで><とプロフに書いちゃう勘違いサロモインスタグラマーのようです。

いけねえいけねえ、昔推していた某元ジャニーズが匂わせサロモインスタグラマーとの交際をtwitterで公表して、気持ち悪っ!!!!!と思ったその気持ちがついつい出てしまった~//

と、いうわけで読んでください。体を張って受けたPCRの記事を。

どうぞ。

まあそんなこんなでわたしはまじでメンタルがやられていました。ここ最近酒の量がすごかった。

そんなわたしは健全な方法でストレスを発散させるために、大好きな町へ出かけました。

一年ぶりの原宿は、駅舎が新しくなってスタバなんて入っちゃったりして、GAPがあった建物はIKEAとユニクロと、ドールチェアーンドガッパーナーのその香水のお店が入ったおしゃれな建物に変身、その隣にはテレビで連日やっていた@cosmeの路面店が。

駅を出た瞬間からときめきが止まりません。


わたしは中学3年生から高校3年生の途中まで愛読書はPOPTEENだったのですが、ある日突然zipperが教科書となり、洋服はセシルマグビーみたいなギャルが着るような洋服から、ワールドワイドラブやキャンディーストリッパーに興味を持つようになりました。

そこからなぜか、止まらない原宿への恋心。

そして同時期に、わたしに絶大な影響を与えた人物、きゃりーぱみゅぱみゅが大流行しました。

きゃりーとわたしはおこがましいけど当時本当に顔が似ていて、歩いていたら知らない人にきゃりーぱみゅぱみゅじゃん・・・・!と言われたり、あだ名がきゃりーになったり、、原宿が好きな人に多い顔なのか?

ちなみに最近流行った、芸能人の誰に似ているか教えてくれるアプリでわたしは何十回やってもきゃりーばかりでした。だから今も似てるのかもしれない。

その頃のわたしはまだ東京から遠いところに住んでいたので、東京へ遊び行くというのが本当に楽しみで、夜行バスに乗って東京駅へ行き、そのまま山手線で原宿へむかうというのがお決まりのときめきコースでした。

そのときに絶対に聴く曲があって、

2012年に発売したこちらのアルバムから、「ぎりぎりセーフ」を聴きながら山手線に乗って原宿に向かう時間が人生で一番幸せでした。

午前10時の電車に乗って行こう行こう~という歌詞をそのまま体現している感。

きゃりーのブレイクのきっかけとなったPON PON PONには「あの交差点」というワードが入っているので、PON PON PONを聴きながらラフォーレから渋谷へ向かう道を歩くのも好きだったな。

18歳から21歳まで、そんな原宿大好き人生を送っていました。

その後わたしも大人になり、原宿を卒業。原宿へ行く機会が本当に減ってしまいました。

24歳、東京で働き始めてすぐに原宿へ行ける距離へ住むことになったのに、半年に1回行くか行かないか程度になってしまいました。あんなに好きだった町なのに・・・・。

しかし、今回こういうことがあって1年ぶりに「あ、原宿行こ」と、ふらっと山手線に乗り、原宿へ向かいました。

降り立った瞬間の懐かしい感じ、

新しいものはたくさんあるのに、いつ行っても原宿は原宿。

どんな格好をしていても指を指されることがない、優しい町。

こっちに来てから丸の内とか高円寺とかディープな町とか、好きな町はたくさん増えたけど、いつまでたってもわたしにとっては原宿は一番だし、特別。

居心地がよすぎて2週連続行ってしまいました。

また近々、あの頃の気持ちを思いだしてきゃりーぱみゅぱみゅを聴きながら午前10時の山手線に乗り原宿へ行ってたくさんのパワーをもらおう!

おまけ

きゃりーの大好きな曲をもう少し。

好きな曲が揃いすぎてるアルバム。全曲好きですほんと。チェリーボンボンとちょうどいいのとピンポンがなんないは永遠にリピート。

わたしの18歳からの思い出がたくさん詰まったアルバムです。






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