自己評価と他者評価のすれ違いはなぜ生まれる?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「自己評価と他者評価がすれ違う理由とその対策。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで随分暑くなっております、大阪でございます。

ちょっとエアコン入れようかなっていうふうにマジで悩むぐらいでございますけども。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ということで今日はですね、今日のブログのネタからお話をさせていただきたいなと思います。

「自己評価と他者評価、すれ違うのはなんで?」っていうテーマでお届けしたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

今日のブログの元ネタっていうのは、自分としては清純派・正統派のつもりなんだけど、周りからは「不倫してそう」とかそれから「男好きっぽい」みたいな感じのことを言われると。

それが心外なんです!みたいなことをお話をされてました。

けっこうこういうことってあるあるじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

自分はこう思ってんだけど周りはそうは見てくれずに別のふうに言っているみたいなね。

もちろんこれはどっちがポジティブ、どっちがネガティブっていうわけではなく、そこのすれ違いっていうところから、悔しい思いをしたりとか「違うのに!」って言って反発したくなったりとかっていうこともあります。

で、カウンセリングでも実はよくそういう話って実はよく出てきますね。

その時に、「なにが嫌なのか?」っていう話がそもそも論としてありましてね。

自分としては清純派だけど周りとしては「男好きっぽい、遊んでるっぽい」みたいなことを言われた時に、そういうふうに言われるっていうことが嫌ってことは、男好きとか遊んでるとか不倫してそうとかって言われるっていうこと自体、つまりそういう女っていうものにネガティブなイメージがあるんじゃないの?っていうのが一つの見方なんですけど。

実は他にもいろんな見方がありまして。

たとえば誤解されてるっていうこと自体がもう許せないみたいなね。

「ちゃんとわかってよ!」みたいな感じで、誤解っていうこと、勘違いされてること自体が嫌だっていうような、そういう気持ちになる場合もあるでしょうし。

自分をわかってもらえてない。全然自分のことを見てもらってないっていうふうなかたちでの不満であったりとか、嫌悪感であったりという場合ももちろんあるかと思います。

というふうにさまざまな要因によって周りからの評価と自己評価のすれ違いっていうことから嫌悪感っていうのが出てくるんですね。

あまりいい気分はしないかもしれないんですけども、往々にしてそういうことが起こりやすいっていうのは、一つは「ペルソナ」っていうふうに言われますけども。

僕たちが外向けに向けている仮面と、自分が自分を見ているイメージっていうののギャップから生まれるっていうことですね。

たとえばですけども、実際僕が体験したというかクライアントさんの話なんですけども。

私は別に普通のサラリーマンの娘ですと。

だけどどこに行っても「お嬢お嬢」っていうふうに言われますと。

服だってそんなにセクシー路線ではないけども、普通の服を着てるでしょみたいな感じで。

でもみんなはなんか自分のことを「お嬢お嬢」みたいにどこへ行っても言われるんです。

みたいなお話が、これもよくある話なんですけど。

で、いろいろお話聞いてると、たとえば世田谷の高級住宅街の出身で中小一貫校、お嬢様学校と言われるところに行ってましたと。

ただ、周りには本当にガチガチのお嬢様がいてねと。

私はそんなんとてもとてもなんですよ、なんというふうなお話をされましたと。

「まぁでもそれ聞くとねぇ、あんたもそうちゃう?」っていうふうに一般的に思うんですけども。

どういうことかっていうと、価値基準というか、判断基準の違いみたいなものだったりとか、自分のコミュニティの世界の話だったりっていうことが言えたりするんですね。

くわしくお話すると、お嬢様学校に行っていた彼女からすると、ガッチガチのお嬢っていうのはそれこそお城みたいな家に住んでるとか、家に車が何台もあるみたいな、しかも高級車ばっかりとかね。土地が高いところに豪邸を建てて住んでる親がいるとかね。

そういうふうに彼女から見たらお嬢の基準というのはそっちなんですよ。

ところが、世間一般の人たち、まぁまぁ一般の人たちから見るお嬢様基準というのはたぶんもっと低いはずなんですよ。

それがどうなのかっていうのはちょっと別として。

それを観察する人、それぞれの持ってる基準からっていうところでいくとね。

となってくると、彼女の基準では自分はお嬢ではないんだけども、一般の人たちの基準からするとお嬢なんだよっていうふうな、そういう見方をされてしまうっていうこともあるわけです。

だからこれは彼女と相手の、周りの人達とのそういったズレが生じて原因になってるんだよねっていうところが一つ目の理由として考えられると思います。

それから似た話なんですけども、自分が所属してるコミュニティっていうものって、これを僕たちはある意味社会だと思ってるわけですね。

だから自分が属してるコミュニティの中のヒエラルキー的なものがあったと。

そうするとその中では自分は下の方なんですみたいな感じなんですけど、社会全体から見たらまぁまぁまぁまぁ上の方じゃない?みたいな感じ。

これはわかりやすい例えすると、たとえば東大出身の方が「いや僕ね、実はそんな出来がよくなくてあんまり頭良くないんですよね」みたいなこと言うわけですね。

「ハァ?」みたいな感じなんですよ。

で、話をしても賢いなぁと思うんですよ。

でも彼は東大で落ちこぼれだという話をするわけですね。

う~ん、まぁ東大の中では落ちこぼれなんだけども、じゃあ社会的に見たらどうなんだよっていう話でやっぱり彼とその社会との基準っていうものが違ってしまってるがゆえに、こういった誤解というのが生じるということになるわけですね。

じゃあ先ほどの「自分は清純派だと思ってるんだけど、周りからは遊んでるとか男好きとかって言われる」って、これはどういうことなのかっていうと、これは今の基準って話で考えることもできるんですけども。

たとえばですけども、自分が自分を見るっていうことは、けっこう難しい。

僕たちは自分の顔を見ることって一生ないですね。背中も頭の後ろも自分の目で見ることってないわけです。

鏡を使って映すことはできますけどそれは左右反対になりますよね。

写真で見ることはできますけど自分の目で直視することはできませんよね。

ということで、心も同じで、僕らは自分のことを一番わかってると、自分のことは自分が一番わかってんだっていうふうに思ってるんですけど、案外人の方が自分のことをわかってくれてる場合が多いっていうことなんですね。

なので自分は清楚な、清純派なファッション・行動をしてるつもりなんだけど、周りから見ると「うわ、なんかすごく色っぽいよね」とか「女っぽいよね」とか「なんか大人っぽいよね」みたいな感じ。

そこから男好きとか不倫してるっぽいみたいなふうに見られるっていうことはあるわけですね。

なのでどっちが正しいかっていうよりも、これは見る人・観察者の違いっていうところから生まれてくるんですけど。

ただ、あんまり良いニュースではないと思うんですけど、さっきの自分のことは自分が一番わからないって言ったように、案外他者評価の方が正しいことって多いんですよ。

自分の基準っていうところで見てしまうとこうなんだけども、相手の基準から見るとこう。

これが一対一の場合はわかんないんだけど、同じことを言う人が何人も何人も現れるとですね、「まぁそういう見方もあるのかな」っていうふうに受け取っておかないと、いちいちそこと戦って「違うんですよ、違うんですよ、違うんですよ」って言ってても、実はとんでもないことが起こってしまいます。

たとえば外見っていうのは目に見えるじゃないですか。

だからたとえばこれもよくある話なんですけど、自分はコンプレックスがあって全然自分は可愛くないと思ってると。

でも客観的に見たらめっちゃ可愛い子っていっぱいいるんですよね。

そうすると、周りの子は「可愛い、カワイイ、かわいい!」って言ってくると。

でもあなたは自分のことはそうは思えないと。

だから全然自分なんて可愛くないしブスだよと思っていると。

こういう態度を示してしまうとどうなのかっていうと、嫌われるんですよ、ハッキリ言って。

すごい不快な思いを与えてしまうんですね。

だって可愛い可愛いって言って、実際可愛い子にそういうことを言って、「ぜんぜん私なんて可愛くない」みたいなことやってたら、「うわ、なんかあの子ちょっとエラそうじゃない?」みたいなふうに言われてしまう。

これ想像できますよね。

なのでそういったトラブルっていうのも多くて、僕のブログとかでもけっこう扱ってきた話なんですけども、他者評価っていうのは案外一つの見方として正しいケースが多いから、それはそれとして受け取っておきなさいと。

だから自分のことを可愛いと思いこめっていうわけでもなく、男好きと思いこめっていうわけでもなく、そういう見方があるんだねっていうことをちゃんと自分軸ですね、そうやって思っておくほうがいいですよって話なんですよ。

あくまでその人・その人たちには自分はそういうふうに見えるんだな。

自分はそういうつもりはないんだけどなっていうことで、自分軸を確立して線引きしておけば、そうするとそれはそれ、これはこれっていう見方ができるようになっていくんですよ。

ということは、そうして自分軸っていうことを確立していけばこの辺りからは惑わされなくなっていきます。

もちろん人っていろんなところでいろんなふうに本当に言われるんですよ。

僕も多分いろんなところでいろんなことを言われるんじゃないか、言われてるんじゃないかと思うんですけども。

それを一つ一つ取り上げて訂正したりとか間違ってるよなんていうふうに言ってても、あんまり効果がないというか、人は勝手に見ますからね。

で、これもう一つ最後に大事な話ですけど、「自分が自分のことを関心があるほど他人は自分に興味がない」ということなんですよ。

なので、けっこう周りの人は無責任なことをたくさん言います。

責任なんか取ってくれませんので、自分軸を構えて「そうなんだ」っていうふうに受け取っておくっていうのが一番おすすめではないかと思います。

ありがとうございました。

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