性的嫌悪感を越えて自分を愛する。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「オナニー後にすごい嫌悪感でいっぱいになってしまう!!~自分をもっと深く愛するチャンスとして捉えてみる~」

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どうもこんばんは。

カウンセラーの根本でございます。

いつも聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日は夜の配信になっておりますけども、土曜日なんですね、今日はね。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ということで今日はそのまま露骨に喋ると、もしかすると警告をくらいそうな、そんなセクシャルなテーマでございますので、あちこちぼかしながら濁しながらちょっとお話を進めていくことになるのかなと思っております。

ブログの方に元のお話をしてますので、よかったらそちらもご覧いただけたらと思います。

ということで今日のネタっていうのは「オナニーをした後にすごい嫌悪感がやってくることがある」っていうお話で。

カウンセリングの中でもけっこう耳にするテーマなんですね。

一種の性的嫌悪感っていうものが、そういうかたちで出てくるっていうことで。

自分としては別にそんなに意識レベルでは嫌悪感を持ってるつもりはないんだけど、でもいざやってみるとなんかそういう感覚、すごい罪悪感とか強烈なものが襲ってくるなんていうお話とか。

あるいはもともとそういう嫌悪感というのを多少持ってたんだけども、それがそういう行為においては強くなるような気がするみたいな、そういうテーマでよくいただくわけですね。

たとえばそうなってしまう背景っていうのでよくあるのが、実は性的な目覚めがすごく早くて、本当に保育園とか幼稚園とかちっちゃい頃から一人でやってましたと。

で、それをお母さんに見つかって、どえらい怒られてすごい悪いことをしてるような感じっていうふうになってきましたとかね。

あるいは自分が発育が早かったりとか、性的興味っていうのを持つのが早くて、なんか周りの子と違って自分はすごくいけないことをしているような感じっていうのを覚えるっていう場合もありますし。

それからその子の雰囲気がたとえばすごく色っぽかったりとか、かわいらしかったりすることで、言ってみれば周りからの目っていうものを、性的な目で見られることが多くて嫌悪感になっちゃうっていうような場合もあります。

そういう性的トラウマっていうのを実際体験されちゃったっていう、そういう辛い経験をされてる方も実際いらっしゃいます。

そうでなかったとしても、親がすごくそういったことに厳しくて、なかなかそんな性的なものが会話に上ることもなかったしとか。

昔よくありましたよね、最近ではたぶんあんまり聞かないんですけども、テレビでラブシーンが流れると家族の茶の間がピリッとした空気になってチャンネルがサッと変えられるみたいなことがあったりとかね。

日本人ってそもそも性的なものに対するタブーの認識ってすごく多くて。

なんかすごく秘めたる、秘めたものっていうか、暗いものというか、あるいはもう恥ずかしいことみたいなふうにしてしまっていて、嫌悪感とともにセクシャルなことを扱われることっていうのが多いんですね。

そうなってくるとやっぱり自分がそういう意識を持ったり、そういう行為をすること、これが男女間の場合であればなんかまだ許されるような気がするっていう場合もあれば、そっちの方がちょっとダメなんだけどっていう人もいます。

これは男女とも実は自分でする行為に関しては非常に嫌悪感というか罪悪感を持ちやすいんですけども。

男性の方がどっちかっていうとオープンな部分があるので、そのあたりは女性の方がこういった嫌悪感・罪悪感というのは総体的に強くなってるような気がします。

で、これが非常にシンボリックな話っていうところにつながっていって、実は「自分を愛する」っていうテーマ、自己肯定感とか、いわゆるセルフラブ、自分を愛するっていうところと、この性的な部分っていうのは非常に関係性があるんですね。

というのも、自己嫌悪っていうのが子供の頃からある場合もありますけども、だいたい思春期を迎えて心も体も大人の身体に変化していく、大人の心を育んでいく段階になりますと、男女差っていうのがまずはっきり出てくるようになるんですね。

それまでは男女はあんまり関係なかったのに、思春期に入ると男の子・女の子っていうとこに明確に線引きが自分の意識の中でも生まれるようになってきて、もちろん体は全然違うっていうこともわかってきます。

それから女性だったら生理が来たりとか、体型が変わっていったりとかっていうことになって、そこにすごく意識が集中するっていうこと、「自意識過剰」っていうとちょっとネガティブなイメージになるんですけども、少なからずそういう時期を得たりとか。

あるいはそういったセクシャルなのものへの興味っていうのが男女ともに強くなっていく。

秘められてるものですから余計に興味を持っちゃうっていうところもあるわけですね。

そういうかたちで自分自身のセクシャリティっていうものを抑圧・封印していく、その際に罪悪感と嫌悪感、はしたないものよ、いやらしいものよっていうかたちで封印していくようなケースっていうのが非常にたくさんありまして。

そうすると自分自身としては封印してるんですけども、それがやっぱりたとえばパートナーができて、そういう性的興味とか性欲っていうものが出てきてそういう行為に至った時に、実は非常にこの抑え込むために使っていた罪悪感と嫌悪感というのが出てくるわけですね。

自分がすごく汚れてしまったような、汚れてしまったような、つまり「罪悪感」っていうのがここについてくるんですね。

なので性的嫌悪感とか性的なものへの抵抗とか、こういった部分、タブーになってる部分というところと罪悪感というのは非常に密接な関係っていうのを持ってくると。

ここが一つのポイントになってくるんですが。

ゆえに、そこで自分を深く愛していこう、もっともっと自分を愛していこうという時に、この一人でやるプレイが非常に意味を持ってくるんですね。

で、多くの場合、とくに女性の場合が強いんですけども、自分の性器に対する嫌悪感っていうのが実は非常に強いんですね。

もともと見えないものだし、グロテスクだってイメージがありますし、それから臭いが・・・とか、あるいは見えないだけにすごく妄想的になっちゃったりする場合もあったりとか。

すごく汚いものっていうイメージってやっぱり出てくるんですよね。

そうすると、いわゆるそこを自分で愛してあげるっていうこと自体が、この自分の中にある自己嫌悪と向き合ったり、それを超えていく・癒していくという効果っていうものが見込まれるっていうところが、今日のネタの一番大きなポイントと言えるんじゃないかなと思っています。

だからたとえばカウンセリングにおいても、おすすめすることが非常に多いんですよ。

ただその性的な快楽を求めるためにしましょうっていうよりも、自分を愛する、自分の体っていうものを愛してあげるためにそこに触れてあげましょうっていうお話をよくさせてもらってます。

これが実はシンボリック・象徴的な話で、やっぱり自己嫌悪とか嫌悪感のシンボルっていうところで、そこに触れてあげる、そこを愛してあげるっていうことが大事なんですよ、そこを綺麗にしてあげる、丁寧に扱ってあげるっていうことがすごく大事なんですよっていう話もするんですけども。

もちろん体の他の場所ね、他の場所でも自分で自分を愛せない部分、自己嫌悪のシンボルになってる部分ってけっこう多いわけですよ。

それが女性だったら胸だったりとか、足だったりとか、おしりだったりっていう場合もありますし、男性の場合も自分の体型だったり、もちろん顔っていうのは男女ともに出てきますし、髪なんていうのもありますね。

いろんなところで自己嫌悪のシンボルになってるっていうところがあって。

自己嫌悪のシンボルっていうのを内面の問題ですから内面で処理していこうということももちろんあって、いろんなやり方を紹介させていただいてるんですけども。

体からのアプローチっていうのもけっこう有効で、なので僕は肉体的なコンプレックスっていうものを解消するっていうカウンセリングもやってますけども、意外と効果が高いというかわかりやすいんですよね。

だから自分が嫌悪してる部分っていうところに触れてあげる、愛してあげる、優しく接してあげる。

こういうことで自己嫌悪とか自己攻撃を超えて、自分を愛するっていうことを実践するレッスンになったりするんですよ。

なので、とくに嫌悪感のシンボルとして一番象徴的である性器をちゃんと愛してあげましょうねっていうことで、自分の心の中においても自己嫌悪、あるいは罪悪感というものを癒していく、それを超えて自分を愛するっていうことがレッスンできるっていうこと。

けっこうこの話は真面目な顔していう話じゃないのかな。そういうわけじゃないかもしれませんけども。

でも本当に心理的にはかなり有効な手段だったりするので、「あぁ、ちょっと自己嫌悪が強いなぁ」とか「今日の話は自分に当てはまるな」っていう場合には、そういう意識を持って“自分を愛してあげる”っていうことにチャレンジしてみてはどうかなと思っています。

こういうカウンセリングって、やっぱり人に話しづらいせいか色々たくさん聞いておりますので、またよかったら相談とかお待ちしております。

よろしくお願いします。

ということで今日はこの辺で失礼したいと思います。

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