自分では自覚しにくい罪悪感のお話〜幸せでないならば罪悪感があるのかもよ?〜

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「自分と関わると何かが終わってしまい、まるで自分がクラッシャーのように感じてしまう~自分は毒であるという観念、恵まれていることへの罪悪感~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

とても風が強い東京・神楽坂からお届けしておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今日は、「罪悪感」について、また触れていきたいと思います。

何度かおしゃべりしてますけども、改めてとても大切なので、今日もおしゃべりしていきたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

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今日は、いただいたネタが「罪悪感」というふうに明確に書かれているわけではないんですけども、時々こういう方にお会いするんですよね。

自分が勤める先が、ことごとく潰れていくとか、自分と関係を持ったというか、親しくなった人の家族とかがなにか問題を起こしてしまうと、「自分のせいで自分の勤務先がなくなってしまう」とか、「自分のせいで相手の家庭をくちゃくちゃにしてしまった」みたいなふうに罪悪感として出てくるっていう場合が多いんですけども。

ただ、そういうふうな自覚というか、意識がないことも多いんですよね。

「別に罪悪感を感じてるわけじゃないんですけど」っていうふうに思われる方もいらっしゃって。

実は、本当はあるんだけども、罪悪感というのは非常に向き合いづらくて、そして認めたくもないしっていうふうなところで、蓋をしやすい。

それだけ潜在意識に抑圧されがちな感情だったりするんですよね。

だから、お話を伺っていて、「いや、多分そういう罪悪感があると思いますよ」みたいな話をすると、「いや、自分ではわかんないんですけどね、そうなんですかね」っていう反応を示される方も実は多かったりします。

罪悪感って一般的に、自分がなにか相手にしてしまって、相手を傷つけてしまった、相手を困らせしまったみたいな時に、罪悪感って使われるんですけども。

実はそれだけじゃなくて、たとえばさっきの自分の勤め先が、次々と倒産とか閉店とかしていくみたいな、「クラッシャー」って僕は呼んだりするんですけども、そういう場合に、「私が行くせいで店が潰れたっていうことは、私ってなにか悪い存在なの?」みたいな。

そういった、「自分は毒である」っていう概念・観念っていうのを持っている場合もありますし。

あと、自分ばっかり幸せでいる、自分ばっかり助かったとか、相手は苦しんでるんだけど、自分は苦しくないみたいな、救われたみたいな状態だと、いわゆる「恵まれていることへの罪悪感」っていうのが出てきたりするんですね。

こういうのって、非常にちょっと繊細なというか、罪悪感っていうふうには気づきにくいんですけども、「自分は毒だから、自分と一緒にいるとあなたは不幸になっちゃうよ」みたいなことを言ってみたりとか。

あるいは、「自分ばっかりいい思いをして、みんなに申し訳ない」みたいな罪悪感ということで、けっこう実例としては多いパターンなんですね。

だから、皆さんも少なからず思い当たるところがあるんじゃないかなっていうふうに思います。

そうすると、やっぱりこの罪悪感っていうのが出てくると、自分で自覚してなくてもすごく重たい気分になったりとか、自責の念が出てきたりとか、逆に自分を正当化する。

罪悪感があるときって、「自分は悪くない。悪いのはあいつだ」みたいなふうに正当化したり、責任転嫁したくなったりするもんなんですね。

「自分は関係ない、関係ない」っていうふうに、切ろうとするっていうこともありますし。

結局、相手のせいというか、自分が悪いと思ってて、それを認められないから誰かのせいにするっていうこともよくあるわけですね。

こういうふうに、罪悪感っていうのは、そういった感覚的なレベルで出てくることが多くて、自分でもどうしていいかわからないんですよね。

たとえば、表面的には「自分は悪くない」と思ってても、潜在的には「自分のせいだ」と思ってるわけですし。

とくに、「自分は毒であるから、いっしょに幸せになりたい人なんて作っちゃいけない。自分は迷惑な存在なんだ」っていうふうに思い込んでしまうと、人間関係を作ることにも抵抗がありますし。

「自分ばっかり恵まれてるな」っていう罪悪感があると、それだけで日々生活していくところで、すごく苦しくなってしまうわけですね。

結果、すごく疲弊してしまったりとか、燃え尽き症候群っていうことに陥ることもありますし、すごいしんどくなってしまうと。

だから、「これらの裏側には、罪悪感っていう感情があるんですよ」っていうふうにお伝えすることが多いんですね。

もちろん、自覚はなかなか難しいですけどもっていう感じでね。

そういう意味で言えば、その罪悪感っていうのを認めるっていうこともあるし、そこと向き合っていくっていうことがやっぱりすごく大事で。

こういうのって、どんどん溜まっていくんですね。

だから、今回のブログで扱った事例にしても、実際お話をさせていただく機会があれば、「他にあるかな?」とか、「昔からあるんじゃないかな?」とか、「家族の中ではどうだった?学生時代はどうだった?」みたいな感じで、最近生まれたものというよりは、昔からあるものがそういうパターンとして出てくる。

つまり、ある意味「慢性的な問題化してないかな?」っていうふうな視点で見ていくことっていうのも多いんです。

そうすると、けっこう専門的なアプローチっていうのが必要になってきて。

たとえば、僕の場合だったら、も書いてるし、セミナーもやりますし、今度リトリートセミナーもやりますし、そういう場所だったりとか、個人セッションもそうです。

で、Voicyの方でちょっと有料にしたんですけども、「光の瞑想」っていうのを紹介させてもらってるんですけど、そういった瞑想みたいな感じで、その罪悪感を溶かしていくみたいなアプローチっていうのも、おすすめをしたりします。

だから、自分の意識でなんとかしようっていうよりは、そういう方法を取り入れた方が早いんじゃないかなっていうふうに思ってるんですね。

もう一つ大切なポイントというのは、「自分軸」。

これもよく出てきますけども、「私は私。相手は相手」なんですよ。

たとえば、今日の事例の中でも、自分が不倫をしてましたと。

不倫をしてた人が、みんな後々離婚していくと。

そうすると、自分のせいで相手の家庭を壊しちゃったように思うんですけども、それってちょっと背負いすぎじゃね?みたいなふうに見ることもできて。

それぞれの選択の中で起きていること。

自分もそうだし、彼もそうだし、彼の奥さんもそうだし、必ずしもそれがネガティブかどうかってわからないんですよね。

自分の勤務先が閉店してしまったとか、倒産してしまったっていうのも、あなたのせいですか?って言われると、「いや、たしかに自分は単なる従業員だしな」って、頭では思いますよね。

でも、やっぱりこれを自分軸っていうところでいくと、たまたまそうだったっていうふうに解釈しなくてもいいんですけども。

そういう場面に出会って、そこでたとえば仕事がなくなってしまった同僚たちにとっても、「新たなチャンスが与えられた」っていうふうに思われるでしょうし、逆にそれをきっかけに飛躍していく可能性だってあるわけですから、必ずしも悪いとは言い表せないわけですよ。

そういう関係性とか、お仕事とかっていうところも、一種の「死」っていうものに例えられるというか、置き換えられると思うんですけども。

ただ、「死」というのには、必ず「再生」っていうのがついてきます。

この死と再生っていうのは、カウンセリングというか、セラピーというか、心理学でも非常に重要なテーマで。

僕らの人生の中でも、なにかが終わって、なにかが始まっていく。

なにかが終わると、なにかが新しいものが始まっていく。

クローゼットで、古い服を捨てないと、新しい服を入れられないよねみたいなところも出てくるわけですし。

そういった「終わりの部分」に注目するんじゃなくて、自分軸でもって、「始まりの部分」っていうところに目を向けてみるっていうところも、罪悪感と向き合っていく上で大切なあり方だと思います。

結局のところ、「自分を許す」っていうところが大きなテーマにはなるんですけども。

そういった考え方をいろいろ取り入れることもそうだし、ヒーリングを受けることもそうなんですけども。

そういうかたちで、なにか自分が重たいなとか、自分のせいだと思ってないんだけど、なにかしんどいなっていう時には、「もしかしたら罪悪感っていうのがあって、それが自分を苦しめてるのかもしれない」っていうふうに思ってみると、新たな見方になっていきますし。

今日お話したような方法論っていうのもたくさんあります。

罪悪感というのは、カウンセリングをしていく上では、非常に重要なテーマになってきて。

それを癒していくことで、自分を自由にしてあげたりとか、自分らしい生き方に邁進できたりとか、豊かさ、成功という手に入れたりとか。

要は、「自分が幸せになっていくプロセス」っていうのを進められるために、罪悪感を癒すっていうのは大事なんですね。

そういった意味で、本当に恩恵っていうのはたくさんありますので、なにか今日のお話が「私にもあるかな」と思われた方は、ちょっと罪悪感っていうテーマを持ってみられるといいんじゃないかなと思っております。

ということで、今日はこの辺で失礼したいと思います。

よかったら、チャンネル登録フォローもよろしくお願いします。

では、最後まで聞いていただきまして、ありがとうございました。

根本でした。


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