ワクワクすることをやることに抵抗を覚える!?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「ワクワクすることを自分に与えようとするとものすごい抵抗が出てくるのはなぜか?~自分のことが嫌いなの?それともすごい恥ずかしがり屋なの?~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日の大阪は40℃近くなったみたいでめちゃくちゃ暑かったですね。

昼間ちょっと出かけてたんですけども、三、四時間ぐらい駐車場に炎天下の元に置いてたら、車に乗ったときに温度計が46℃を示しておりまして。

46℃!みたいなね。

もうこれは温泉でも育つんじゃないかと思って、島根県の温泉津温泉を若干を思い出しておりました。という今日でございました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ということで、今日は潜在的な、潜在意識のお話になるのかな。

「ワクワクすることをしようとする、自分がワクワクすることやろうとするんだけど、そのときにめちゃくちゃ抵抗感じます」っていうネタを、昨日のネタをいただきまして。

ちょっとそんな心について解説をしていきたいなと思っておりますので、よかったら最後までお聞きくださいませ。

普通はなんかワクワクすることとか、自分が好きなこと・やりたいことっていうのを、じゃあいざできますってなったときは多少ビビることはあるかもしれませんけど、「よっしゃー!」みたいな感じで、「やったー!やるぞー!」「いよいよだ!」みたいな感じでできるわけですけども。

これがある心理といいますか、自分自身に対してなぜかそれが許せないようなときだと、ワクワクすることとか喜びを自分に与えようとするとすごい抵抗が出てくるみたいなね。

「やっちゃダメー!」みたいな、そういう気分になってしまうっていうことがけっこう耳にします。

これが意外と皆さん、ちょっとピンときてない方も多いかもしれないんですけども。

たとえば、大好きな人に告白するときってすごい抵抗が出るのはわかります?

以前からたとえば、絵でも音楽でもいいし、小説でももちろんいいんですけども、以前から目指してたコンクールとかコンテストのようなものに応募して、「いざ夢をつかもう!」っていう段階になってくるとすっごい抵抗が出てくるっていうこと。

この話だったら想像はできるんじゃないかなと思います。

これが日常的に、なんか自分がワクワクするようなことをやろうとすると、なんかすごくブレーキがかかったりとか。

自分を喜ばせようとか、最近僕は自己充足っていうことをけっこうお伝えしてるんですけども、自己充足をしようと思ったら人によってはすごい罪悪感を覚えちゃう人もいるし、すごくなんか否定的な、テンション上がらないみたいな、むしろズーンと気分が落ちちゃうみたいな、なぜかそういうふうになってしまうっていうようなケース。

これは、けっこうライフワークを見ていくとか、それこそパートナーシップのお話でもけっこう出てきますし、職場の人間関係とか仕事についてのカウンセリングなどでも、意外とこれに似たテーマって出てくるんじゃないかなと思うんです。

皆さんいかがでしょう?思い当たります?

自分が本当にワクワクするようなことを自分に与えてあげたい、自分にさせてあげたい、そのチャンスに向かっていこうって思ったときに、やっぱりなにかしら強い自己否定的なもの、これがあるとやっぱりブレーキがかかってしまうもんなんですね。

この自己否定っていうのもいろんな種類があって、代表的なものを言えば「罪悪感」という感情ですね。

「自分は罰せられるべきである」みたいな感じだったりとか、「自分は罪な人間だ」とか「毒である」とか「汚れてる、けがれてる」とか。

当然罪悪感という感情は自分を牢屋にブチ込んでおきたいわけですから、そんな自由に楽しまれたら困るわけですよね。

だから自分が楽しもうとか、自分がワクワクすることをしようなんて思うと、急激にブレーキをかけて「お前にそんなことをやる資格はない!」みたいなことを思わせるっていうことをよくやったりしますね。

それから二つ目の理由として考えられるのは、なんかしらの「自己嫌悪」っていうやつですね。

これね、自分自身のことが大嫌い、もうめちゃくちゃ嫌い。

で、嫌いなやつが喜ぶようなことをしたいですか?って言うと、そりゃ誰もしたくないですから、自分のことが嫌いな分だけ自分喜ばせようとか、自分をワクワクさせようということに対して非常に否定的な行動に出るということになりますね。

この辺はすごくわかりやすいなというふうに思います。

それから、これはよくあるのが「遠慮」っていう種類なんですね。

誰かに遠慮をする。

たとえばカウンセリングをしてると、こういう声を聞くことがあるんですよ。

「なんか自分がお母さんよりも先に幸せになったら申し訳ない気がします」

だからちょっと遠慮気味になってしまうような感じ。

それから、「なんかみんなを差し置いて私だけ幸せになっちゃっていいのかしら。いやいやいやいや、みんなが幸せになってからは私幸せになりたいな」みたいな。

やっぱりこういう遠慮の出方っていうところもあったりしますね。

ちょっと罪悪感がらみの部分も若干あるんですけども。

なにか遠慮する。「ちょっといいよ」と、ちょっと引いてる、元々引いてる感じ。

人間関係で引いてるのかどうかわかんないですけど、自分の人生を生きようなんていうときには、ちょっと引き気味に構えてしまう方はこんな傾向があるかもしれないですね。

それからちょっと意外な、またここで出てくるのかと思われた方もいらっしゃるかもしれませんけども、「恥ずかしい」っていう感情ですね。

これセクシャリティとすごく繋がってくるんですけども。

たとえば自分がワクワクしたり生き生きしたりするようなことをやって、パーッと輝いていくわけですね。そういうときはね。

好きなことをやったり、やりたいことをやってる人って輝いてますよね。

この輝きっていうものはセクシャルエネルギーが作るものだったりするわけですね。

ところが自分がパッと輝いて、たとえば注目を浴びる、目立つとか、評価される、キャー恥ずかしいってなってしまうと、当然ながらそういう行動には出られないわけですね。

だから自分がワクワクすること、あるいは好きなことを楽しむことをやって自分が輝いてキラキラしてしまうことが恥ずかしいから、そもそもワクワクすることをしないっていうか、抵抗を感じるっていうような心理として出てきてしまうわけですね。

この辺りがワクワクすることとか喜びを自分に与えられない、自己充足させようっていうふうに思ったときにそれがなぜか抵抗が出てくる代表的な心理になるんじゃないかなっていうふうに思っております。

で、罪悪感っていうことに関して言えば、それを癒しましょうっていうテーマ。どれもそうなんですけども。

自分が幸せになることとか自分が喜ぶことをもっともっと許してあげましょうっていう話で。

だからたとえば、罪悪感本っていうのも出ておりますし、それからそういうワークショップの動画も販売しておりますので、よかったら手に取っていただきたいなと思います。

それから自己嫌悪に関しては、自己肯定感ですね。

自己肯定感を上げていきましょうと。

けっこうがたくさん出ておりまして、関連的に漫画・コミックエッセイのかたちのような本もありますし、けっこうラインナップが揃ってきてるんですけども、自己嫌悪を癒す、つまり自己肯定感を上げるっていう方向性を見ていきましょうなんていうところもあります。

遠慮っていうパターンの場合は、これはなぜか受け取れない人っていうことになってくるので、「ありがとう」っていう感謝を意識してみたり。

やっぱり罪悪感と繋がる部分があるならば、罪悪感についてちょっと見てみましょうなんていうお話にもなっていったりするわけですね。

このあたりで、最後にセクシャリティ問題っていうところが出てくるんですけども。

セクシャルエネルギーが強い人ほど、やっぱり自分のエネルギーを抑えるという傾向が同時に強くなるんですね。

セクシャリティが強いからこそ目立つことが怖くなって、自分を満たすこと・自分を喜ばすことに抵抗が出てくるっていうことですね。

なのでそういう方にとってまず大切なことっていうのは、自分自身と繋がること、自分との対話、この辺もすごく大事なんですけど、ワクワクするものにもっとワクワクしちゃってもいいのかなと。

「好きだな~」って、もっとそう思うことを自分に許してあげてもいいのかなと。

そして新しいステップ・新しいステージに行くっていうことに対して、堂々と胸を張って、だからここにも自己肯定感がやっぱり影響してくるんですけども、本当に自分がワクワクすること、喜ばせることをしてあげて、どうなるのか、どうなりたいのか、もう一歩先のビジョンというのを描いていくと、ここを抜け出しやすくなるのではないかななんていうふうに思っています。

ということで、自分をワクワクさせたいんだけどもなぜか抵抗が出てくる、そんな方に今日のお話が届けば嬉しいなと思っております。

ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

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