外側にあるものは私たちを幸せにしてくれるのか?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「無価値感があると外側に幸せを求めるようになるけれど、外側にある幸せを手に入れても無価値感がその幸せを消してしまう、という話。」

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どうもこんばんは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日もちょっと夜の配信になってしまっておりますけども、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

最近ブログの方で、「無価値感」っていうネタを3日ぐらい続けて書いておりまして。

ちょっと流れ的にトレンドになっておりましてね。

動画を見ていただいた方、ブログを読んでいただいた方もいらっしゃるかと思いますけども。

その中で1つ、「自分の内側ではなく、外側に無価値感があると幸せを求めてしまうんだよ」っていうようなお話をさせていただいたんですけども。

じゃあ、外側のものっていうのに幸せがあるのか?っていう、そもそも論っていうところについて、ちょっと心理学的にお話をしてみたいなと思って、今日はそんな「外側に幸せがあるのかどうか」っていうテーマについてお話させていただきたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

そしてチャンネル登録・フォローよろしくお願いします。

ということで、僕たちは無価値感に限らないんですけども、なにかを手に入れれば幸せになれるとか、何者かになれば幸せになれるっていう、そういう思いっていうのを持つようになっております。

それが物ね、たとえば大きな車、お金、そして綺麗な奥さんとか、イケメンの旦那さんとかもそうですね。

それから学歴とか、それから有名な会社に勤めてますっていうようなところかもしれませんけども。

そういった外側にあるものに幸せを求めていたりとか、あるいは自分が「こういうふうになれば幸せになるんじゃないか」っていうふうに、外側のものに意識を向けて求めていくっていう心理っていうのがまぁまぁあるわけですね。

で、それは無価値感からくるものっていうのだけではなく、掘っていけば無価値感かもしれないけども、表面的にはすごく自信のなさとか、自己肯定感の低さとか、それからニーズ・欲求であったりとか、そういった関係のもの・感情から、外側に幸せを求めるっていうことをよくやるんですけども。

その一方で、「外側のものを手に入れたとしても、それが喜びになる場合と喜びにならない場合がある」っていうところが今日の本題でございまして。

無価値感のお話をすると、「無価値な自分が手に入れたものって価値がないから、どれだけ手に入れても価値を感じられなくて全然満たされないんだよ」っていうのを、無価値感の時にお話をさせていただきました。

じゃあ外側のものっていうのに意味がないのか?っていうと、実は必ずしもそうではないですよねっていうのが、今日のお話でございます。

外から、たとえばすごくいい車だったりとか、すごく素敵なパートナーだったりとか、そういったお金っていうものもそうですよね、っていうのを手に入れると、幸せになれるような気がするっていう部分、ここまでは誰でもわかる、誰でもあることかと思うんですけども。

そこで、幸せになれる人とそうじゃない人との分岐点みたいなものがあるわけですね。

で、それはなにか?というと、実は幸せとか、それから充実感、満足感とか、逆に言えば不満だったりとか、そういった不安、不満、怖れとかも「感情」なんですね。

ここがけっこう重要で、お金だったりとか、車だったりとか、パートナーっていう、その「もの」として見た場合ね、まぁパートナーは人間ですけど、外側にあるものとして見た場合、これは感情ではないんですよね。

で、それを得た時に、自分の中にある「感情」が反応するわけですね。

そして喜びだったりとか、不安だったりとか、逆に絶望だったりとか、無価値感があったりとかっていうのを、自分がその「もの」に対して反応するわけなんですね。

だから、その素晴らしいもの、これを手に入れれば幸せになれると思って頑張って手に入れて、「よっしゃ!」って言って本当に幸せになれる人もいるっていうことなんですよ。

それは、その手に入れたものっていうものが、自分に喜びを与えてくれて、達成感・充実感・さまざまなものを与えてくれて、そしてそれが自尊心・自己肯定感・自信っていうものに変わっていって、「よっしゃ!次にまた頑張るぜ!」みたいな、そういう前向きなエネルギーを与えてくれるものっていうことは、皆さんも経験したことが実はたくさんあるかと思うんですよね。

友達からプレゼントをもらったり、パートナーができたり、すごく仕事でも目標を達成したりとかね。

そういうのが長続きするかどうかっていうところも、今日の話に関連してくるんですけども。

大事なことは、その「もの」が自分を幸せにしてくれるんじゃなくて、そのものを手に入れた時に自分の「心」が幸せな反応をするっていうことがポイントなんです。

で、じゃあなんでそんな幸せな反応をするときと、そうじゃない時があるのか?っていうところが、感情ベースでいくと無価値感があったりとか、無価値感が出てくればこいつも出てくるというわけで、罪悪感があったりとか。

それから他にもいろんなネガティブな感情っていうものがあった場合、そのものっていうものを手に入れたときに、「やった!」っていう思いを、罪悪感なり無価値感なり怖れなり不安なりが、ワーッと打ち消しにかかるわけですね。

それでその出た喜びの量を、その罪悪感や無価値感が落ち消していった時に、だんだんだんだん少なくなってくるわけです。

そして消えていくと、「まぁそれはね・・・」って。

「いい車を手に入れたってさ、最初はいいんだけどさ、でもだんだんそれが当たり前になると別にありがたみを感じなくなるんだよね・・・」みたいなふうに、無価値感とか罪悪感とかさまざまなネガティブ感情が、その時得られた喜びっていうものを打ち消しにかかってるっていうことが起こるわけです。

だからって言うと変なんですけど、それを癒しましょうっていうところが1つあるんですけども。

罪悪感とか無価値感とか、不安とか怖れとか、ネガティブな感情ってやっぱり必ずあるわけですよ。

なので、ものを手に入れて「やった!」と思ったとしても、やっぱりその効果っていうものが長続きしないっていう期間っていうのは、ものとかケースバイケースによって全然違うと思う。

数日で終わる場合もあれば、もう何年も続く場合もありますけども。

でも、それが自分の喜びになっていくっていうところであれば、その「もの」を手に入れることだけではやっぱり減少していくわけですね。

で、減少していくので、じゃあどうすればいいのか?っていうと、やっぱり話は1周回って、無価値感の時にお話した「自己充足」っていうところにやっぱり戻ってくるわけです。

たとえばいい車を手に入れて、「よっしゃ!やったー!これずっと乗りたかった車なんだよー!」って、本当に嬉しいんだよっていうふうになったら、本当に車好きな人で、それが本当に自分の喜びとつながってる人は、多分すごく大事に乗ったりとか、すごく綺麗にメンテナンスをしたりとか、もしかしたらいろんなカスタムして、さらに自分のお気に入りにするかとか、すごく多分大事に扱うと思うんですよ。

ここが実はすごく大きなポイントで、自己充足の1つのポイントなんですけど、「手に入れたものを大切に扱う」。

これがパートナーであれば、その関係をすごく育んでいこうとする。

使い捨てとかじゃなくて、そのパートナーとの関係を喜びに変え続けるための、自分がやっぱりなんらかのアクションっていうのを取り続けてるっていうところがポイントなんですね。

だからそうすると、罪悪感とか無価値感があって喜びを消そうとしても、車なり、パートナーとの関係性を楽しんでる分だけ、消えたってまた戻るわけですよ。

なんならもっと増やすこともできるかもしれませんよねっていうふうに、外側から得たものがダメだっていうわけではなくて、内的充実だけではダメだよっていうふうに言いたいわけではなくて、「外側から得たものも、自分の幸せにつながるところもあるんですよ」と。

ただそれだけで、一瞬の喜びとして終わってしまうと、それはもう打ち上げ花火みたいなもので、しばしの余韻の後は消えていくわけですよね。

それを「育てる」っていう意識。

それが自分の心の中にある、やっぱり喜びであったり、それを大切にしようと思ったりとか、関係性を育んでいこうっていう意識によって、今度は喜びを、なんなら罪悪感や無価値感を消しにかかる部分を補って余りあるぐらいのエネルギーっていうものを、自分の中から作り出すっていうことができるわけです。

だから、これを得たら幸せになれるって思っているものに対しても、本当に自分がそれを長年付き合っていくとか、育てていくとか、もっと大事にするとかっていうような、内側からやっぱり出てくる「エネルギー・思い」っていうものと、その「もの」っていうものがうまく反応して、そうすると幸せな状態っていうのが続くっていうことが言えるんじゃないかなと思うんですね。

ということで、今日は外側からきたものの幸せについて話をさせていただきました。

最後まで聞いていただきまして、ありがとうございました。

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