新麻雀徒然草番外編第5回「麻雀界の救世主ではなく、悪役になりたい」

 それから数ヶ月後、竹書房から新刊が出て、天鳳とのコラボも決定。麻雀界隈が大いに盛り上がりました。

 しかし、前回の本は入門書としては申し分ないものでありましたが、竹書房からの新刊は正直「ここ数年の麻雀本では珍しいレベルの駄作」。具体的な批判点については気が向いたら「裏麻雀本レビュー」に掲載することに致します。

 しかし、本書に批判的な書き込みは見当たらず、駄作ははっきり駄作と評価してきたサイトですら本書に高評価を与えていました。私の目が曇っただけなのであれば、それが一番いいのですが…。私の中の違和感は、相も変わらず晴れぬまま。天鳳とのコラボの件についても、今思えばいささかタイミングが良過ぎた感がありました。

 2020年の抱負:そうなれば来年の抱負はもちろん、「麻雀界を楽しみ尽くす」こと。目的達成のために必要なのは、自分にとって足りないものが何かを把握し、それを埋め合わせること。自分が今の麻雀界に求めるものを考えた結果、出てきた答えは「悪役」。面白い物語というのは、主役よりもむしろ悪役が人気を集めるものですし。正義の味方ばかりでは物語は成り立ちません。
 私がサイト版「現代麻雀技術論」を執筆していた頃、実戦から離れて、麻雀界の情報も今と比べれば限られたものでしたが、それでも心から麻雀を楽しめていたのは、麻雀界の内にある、「悪役」的な存在があったからでした。「現麻」自体が、従来の麻雀観に異論を唱えるコンセプトで始まったもので、それに少なからず共感して下さった方がいたからこそ、麻雀ライターとしてここまで続けていくことができました。
 あれから早10数年。麻雀界を取り巻く環境はだいぶ変わりましたが、気がつけば、「叩き甲斐のある悪役」も、「共感してくれる味方」もすっかり姿を見せなくなりました。それこそ、麻雀界が盛り上がっていると言われても、私自身はあまり楽しめない理由でありました。

 昨年末にこのようなコラムを書かせていただきました。サイト版「現代麻雀技術論」執筆以前(〜2007年)。「勝つための現代麻雀技術論」執筆以前(〜2014年)。「勝つための現代麻雀技術論」出版〜「麻雀ウォッチ」連載開始前後(2014年〜2018年)。私にとっての「叩き甲斐のある悪役」とは誰だったか、「共感してくれる味方」とは誰だったのかは、これまでお伝えしてきた通りです。

 これまでの悪役は、いずれも麻雀界の内部にありました。麻雀はこれほど多くの人に愛されているのに、麻雀界はイマイチ盛り上がりに欠け、その理由に気付かされた学生時代。麻雀界の外部から救世主が現れて、悪を滅ぼして麻雀界を変えてくれる。そんな絵空事を夢見たこともありました。

 しかし、現実はそんなに甘くもなければ単純でもありません。私が麻雀界内部で見てきた悪い存在は、どうしてここまで分かりやすかったのか。それは、悪側もわざわざ「正義の皮」を被る必要がなかったからでありましょう。誰だってビジネスであれば本音と建前は使い分けるもの。私も「タダ働き」だったからこそ、当時は好き勝手に本音で話すことができました。

 麻雀界の外部から内部に干渉する出来事があるとすれば、それはビジネスに他なりません。口では本音を言うはずもないのであれば、本心を見抜くために必要なのは本人の行動を見ること、更に言えば、ビジネスとしてのお金の流れに着目することでありましょう。

 今回の事件を受けて、麻雀界に大きな痛手という声も聞きますが、私はむしろ幸いであったとすら思っています。もし事件が発覚しないままだったら…救世主のように現れた存在が実は悪魔で、救世主が現れたと情報を発信する側も悪魔の手先だった。視界を広く持って世界を見渡せば、作り話にしても出来過ぎな話が、現在進行形で起こっていることに気付かされます。

 「麻雀界の悪役になりたい」と書きましたが、そのためには、「引き立てるに見合うだけの」主役の存在、そして更に言えば「喜んで悪役を演じられる程度に、本物の悪党を紛れ込ませないこと」が必要不可欠。今回の事件を受けて改めて、麻雀そのものが持つ美しさを発信するとともに、美しさの中に隠された悪を注意深く拒む力を養わなければと思うことでありました。

 

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