5/28 私は何に祈っているんだろう

・京都駅近くのベンチでösterreichの「贅沢な骨」のライブ音源を聴きながら人々の流れや遠くに見えるゆうやけを眺めて一本の白い骨になっていたら、偶然、京都駅付近にいたフォロワーと会うことになって、ふたりの人間と会話をした。話していると、「あなたは何に祈っているんですか?」というようなことを尋ねられて、「私は何に祈っているんだろう」と考える。でも、やっぱりすぐには答えることができなくて、自分はキリスト教的な神とか、そういうものに祈っているわけではないし、でも、何かに祈り続けているという感覚だけがそこにはあって。

・答えられずに、「〇〇さんは、何に祈っているんですか?」と聞き返してみると、「私は仏教徒なんですけど、そういうものというよりは、~~に祈っているんです」というようなことを答えてくれて、でも、肝心のその名前を忘れてしまった。記憶は曖昧だけど、それは天使様とかその人だけのかみさまとか、そういうものだったような気がする。

・僕たちは何だかすべて忘れてしまうね、という声が脳の奥から聞こえてくる。すべてのものは通り過ぎていくし、すべてのものが終わってしまうことがある意味で救いであることを知ってはいるけれど、それでも、すべてが終わっていってしまうことがどうしようもなく悲しくなってしまうときがある。京都タワーを見上げたときの光、祈りが光になって注いでくる一瞬のこと、そういうものだっていつかは絶えてしまうのかもしれないけれど、ぜんぶぜんぶ忘れないまま生きていけたらいいな

・あと、「えくりちゅーる」は「ちゅーる」だからかわいいという話をしたり、煙で遊んだりもした。一人で、歩道橋に登って、広い車道を埋め尽くすようにしてこっちに迫ってくる光(それは、迷える光たちの群れだと思った)を眺めたりもしたから、光と煙と祈りの日だったんだと思う。

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