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やりたいことがわからない、見つけ方もわからずに苦しい人へ - 後編



「苦しかったときの話をしようか」で得た、自分の人生を生きるヒントのまとめ後編。


自分をブランド化し、差別化する


就活で自分をプレゼンするときに大切なのは、「自分というブランドを確立させ、ぶれない芯を持つこと」。

強み、特技、経験… それらをまとめ「私はこういうものです」と定義できることが最強の準備であり戦術だ。


どんなフィールドでどのように活躍したいか、その理想から今すべきことを逆算して考えることが「何をすればいいのかわからない」から抜け出す1つの方法だ。


就活時のライバルと差をつけるための経験や知識、それを手に入れるために動くのが今なのだ。
面接で同じような経験談を話す人がいるかもしれない、そんなときにいかに「おっ、この人は違うな」と思わせられるかが勝負。


オンリーワンを突き進む


私は大学から正規留学をしたが、これも同級生と差別化したかったから。
日本の大学から交換留学する人は多くても、現地の大学に入学から卒業まで通う人は珍しかった。
留学先にいざ行くと、私と同じように正規留学で来た日本人がたくさんいた。
そこで次の差別化だ。
私は日本人同士で固まり過ごす人たちから距離を置き、積極的に部活動やボランティア、アルバイトを行った。

他の日本人留学生と何としてでも「何か違うこと」「留学という環境を最大限に利用したこと」をやりたかった。


自分が勝手に抱いた対抗心がエンジンになったのか、現地の大学スタッフや学生にも「いつもよく動いてるね」「次は何に挑戦するの?」「あなたのエネルギーはすごい」と言われるようになった。



差別化、オンリーワンを突き進むことに終わりはない。
一歩進んだと思っても同じ経験・境遇の人がいても不思議ではない。
その出会いは信頼を生み、相談相手や励まし合う仲間になる。
同時にまた新たなオンリーワンを極める原動力にもなる。


苦しかったときの話をしようか


人が苦しいと感じるのは、

自己評価が極端に低くなっているとき。
自分自身で自分の存在価値を疑う状況に追い込まれたとき


これらの精神的な苦しみを私も味わった。
しかし苦しさのどん底にいたときは「調子がおかしいな」くらいにしか思わず、今当時を振り返って「あのときの自分は本当にしんどかった、ぎりぎりで生きていた」と実感している。



私がオランダにいたとき


その大学は、アメリカで通っていた大学と全く異なっていた。
私がアメリカの大学に慣れすぎていたのか、アメリカで受けた教育や環境を無意識に期待していたのか、オランダで独りぼっちだった。


・どれだけ勉強しても成績に反映されず、勉強の仕方がわからなくなる
・友達を頼ろうにも、クラスで一番出来の悪い自分に頼られては迷惑だろうと自分でブレーキをかけてしまう
・授業外でも食事をしたり遊ぶクラスメートと、その輪に入れない自分に対する劣等感や恥ずかしさ


大学のカウンセリングも何度か受けたが、アメリカでカウンセリングのトラウマがあったため、あまり効果はなかった。
何か聞かれても「調子は良いよ」「頑張って大学は続ける」と、身体に染み付いた優等生ぶりを発揮し本音を言うことはなかった。


次第に大学へ通うことがしんどくなり、部屋にこもりがちになった。
食事とかろうじて続けていた筋トレをする以外はベッドの中。
毎日泣いては自分のできなさを責め、このままじゃだめだと理解しつつも行動する気力すらなかった。


壊れかけているかもと異変に気づいたときには、たいていはもう壊れている。


責任感があり他人の期待に応えようとする頑張り屋な人に多い気がする。


ここから生還するまでにいろいろな困難があったが、まずは同じことを繰り返して自分を痛めつけない術を身に着けることが大切だ。

最初から肩の力を抜いて、最後尾からスタートする自分を予めイメージして受け入れておくべきだ。


これは諦めるのとは違う。
無駄に気を張っている状態から自分を解放することで、変化に柔軟に対応できるし新しい意見や取り組みへの失敗の恐怖が和らぐ。



不安で失敗の多い人生って、かっこいい


挑戦する”勇敢さ“と”知性“が強ければ強いほど、よりくっきりと映し出される「影」こそが、実は”不安“の正体だ
失敗しない人生そのものが、最悪の大失敗ではないのか?


この文章を見て私は今までの自分の経験が「救われた」と感じた。

小さなプロジェクトの失敗から部活動の幹部、大学選択などにおいて自分を責めたり、時には周りの大人から非難されることもあった。

全て期待通りに実行できる保証なんてなかった、私だって不安だった
それでも挑戦したかった


挑戦を励ましてくれた人もそれが失敗すると手のひらを返したように、
「どうしてもっと慎重にならなかったんだ」
「もっと相談してくれればよかったのに」
「だからやめとけって言ったんだ」


その言葉に合わせて自分までもが自分の行動をこれ以上責めると一歩踏み出す勇気は一生出てこないと思い、なんとか踏みとどまっていた。


失敗するのは挑戦している証であり、挑戦する限り人は成長し続ける

そんな言葉で私はようやく自分を受け入れ、感謝した。


行動とマインドは必ず変わる


変化を嫌う人間の脳に逆らって、新しいことを始めようとするのは大変だ。

「今日から毎日ランニング10kmしよう」
「オンライン英会話を毎朝30分やるぞ」


お正月なんか特に気合が入った目標を立てがちだ。
落ち着いて考えれば無謀だとわかることでも「お正月マジック」によりやる気がみなぎっている状態だと上手くいきそうに思えてくる。


しかし人間の身体は正直で、大抵の人は「明日から」「今日は疲れてるから」なんて言い訳しながらフェードアウトしていく。


それでも人間は変われる。


私が変われたから。
特別意志が強いとか、闘志があるとかではない。
むしろ物事を先延ばしにしがちで、期限ぎりぎりになってからばたばたすることだってあった。


「すぐ行動し、変化を習慣にする」コツは、


・とりあえず一日だけやることに集中
・すでに習慣になっているものや簡単にできそうなことに新しいことを紐づける


「毎日10km、一年間絶対走る」だと少し気が重い。少なくとも運動が苦手な私にとっては。
しかし、「とりあえず今日、5分だけ走ってみよう」なら少しのやる気でできる。

5分間音楽を聴きながら外を走っても、その場で足踏みするだけでもいい。


私は2020年、年明けにランニングを始めた。

その日の体調や気分に合わせて、走りたい分だけ走る


こんなゆるい目標のおかげか、ランニング嫌いの私でも毎日1時間前後走れている。
しかも「めんどくさい、でも走らないと」といった義務感ではなく、「走りたくてしょうがない」という楽しさから継続できているのは自分でも驚きだ。


新しく始めることを既存の習慣に紐づけるのは、変化に対するとっかかりをなくすため。
私は「今読んでいる本が常にある」状態になるくらい、読書を習慣にしたかった。

そこで思いついたのが、読書でインプットしたことをnoteで発信すること。
Noteは2019年に始めて細々と続いていたので継続することに心理的な壁はない。

Note更新のため、という言い訳(理由)を作り読書をする。
そして読書から得た知識を忘れまいとNoteに綴る。


今のところNoteも読書も順調なのがこの戦略の良い証拠だ。



かっこいい人


かっこいい人って、どんな人だろう

名前が世界中に知られているとか、有名な企業で働いているとか、億万長者だとか


どれも私にはぴんとこない。

私が思うのは、「たくさん失敗して、たくさん挑戦して、たくさん成長して、かっこ悪いよねと笑いながらギリギリの状況でさえも楽しんでいる」のがかっこいい人だ。


そういう人はいつもエネルギーが内側から満ち溢れていて元気ではつらつと笑っている。口から出るのは前向きな言葉ばかり。

そんな人と関わると、わくわくするし自分もまだまだできるぞ!と元気になる。




私はかっこいい人になりたい、そして自分の経験や選択といった生き様を通して誰かを救えるような人になりたい。


頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。