【地方】なくして【グローバル】なし
グローバル、国際、海外…
そんな言葉とともに海外へ出ていくことが良いとされ、留学はもはや当たり前になっている。
しかし人や物が国や地域を超えて行き来し混ざりあう中でより存在感が増しているのは「地方」だろう。
先日京都で教育や起業に関心がある学生のイベントに参加した。
【地方創生】×【愛郷心】
住みやすい環境をつくり、地方の人口減少に歯止めをかける地方創生の取り組みと教育のありかたが一つのテーマだった。
その一つは愛郷心を育てること。
ふるさとを知り、愛着を持つことで「住みたい」「大好きな」まちになる。
私はどちらかというと愛郷心がない方かもしれない。
進学し地元を離れても恋しくなることはないし、地方ならではの閉鎖感やコミュニティの狭さが時々苦しくなる。
しかし360度山に囲まれている、自然豊かでのんびりとした空気は帰ってくると落ち着く。
「愛郷心がないのは、何も知らない、知ろうとしていないことにある」
そう気が付いたのは、ある質問を投げられたときだった。
教養としての【地方】
「あなたの町の人口は?」
私は答えられなかった。
わからなかった。
その方は続けた。
「ビジネスにおいて信頼を得たいなら、スキルの前に教養が必要。教養は、突き進めると自分の故郷についていかに語れるかにかかっている」
ふるさとは好きじゃないから知らない
海外で働きたいから地元のことなんて知らなくていい
そうじゃない。
バックグラウンドの異なる、正解不正解のないさまざまな価値観の人と関わる中でお互いの基準になるもの、それは教養でありふるさと愛なのだ。
「ふるさとが大好きにならなくてもいい。でも数字を使って話せるのは当たり前にしておきなさい」
海外に出て驚くのは、地元や出身国について嬉しそうに、そして自信たっぷりに話す人がとても多いことだ。
名産品、観光地、食事、戦争…
自分のふるさとについて何も知らない私は彼らの話をただ頷きながら聞くしかなかった。相槌のバラエティだけがどんどん増えた。
彼らにとってもこんな会話にならない話をするのはつまらなかっただろう。
本来なら彼らの話にありったけの質問をし、よりディープなことを聞き出すくらいじゃないといけない。
突っ込まれて、いや突っ込まれる前に何も話せない私は自分が恥ずかしかった。
そんな体験をして感じた無知さを放っておいたことを後悔した。
調べればすぐ出てくるのに。
ビジネスやそれ以外においてもグローバルスタンダードで図られる中、人や物の価値や存在を印象づけるのは、「個」の存在であり、個性であり、その背景だ。
地方創生に興味がある、ない
ふるさとが好き、嫌い
海外で働く、働かない
その前に生まれ育ったまちのこと、どれくらい話せますか?
町の人口は、何人ですか?
自分への戒めを込めて。
頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。