創作小説 「君と声と鈴カステラ」


"君の神様になって君の人生を狂わせたい"

物憂げな様子の君が、虚ろな目をしてそう言った。

満月を背中に僕の目に映る君は紛れもなく神様に見えて

どんな言葉も君には届かないと確信した。

真夜中の冷たい空気が僕に刺さって君は消えた。



精神病を患っている僕の幻覚なんだろうか。しかし君は絶対にそこに存在している。君は君なんだからとかいうなんのアドバイスでも慰めでもない"フツウ"の人間の言葉に翻弄され疲弊しきった時、君はそこにいた。
「だったら、そんなのやめちゃいなよ」
そんなの?何を指しているのだろうか?
「私だけを見ていればいいじゃない」
君は女の子なのかな。
「好きに思えばいいわ」
それがファーストコンタクトだった。

それから毎日僕のそばに君は現れた。僕以外には見えてない君が。

君と僕は、たわいもない言葉をよく交わし合った。生憎寂しがり屋の僕には十分と言えるくらいの精神安定剤だった。星に手は届くのかとか好きな空の色とかタバコの煙のゆらめきについてとか、そういうどうでもいいことを思いついては互いに問いかけた。

「もしこの世界が仮想世界だったらどうする?この世界には本当は貴方しかいなくて、全部ぜーんぶ貴方が作ったものなの」
そんなはずがない。だったらどうしてこんなにも辛い…
「じゃあ私が創ってたらどうする?」
言葉に詰まる。
「私を恨む?私を殴りたい?殺したい?」
君は一体何がしたいんだ?

そこから記憶が飛んだ。

目を覚ますと散らかった寂しい部屋のベッドに1人。
『大丈夫だよ。ずっとそばに居るよ。』
ふと横を見るとそこには、見知らぬ女の子がいた。君は誰と言おうとしたその時だった。
『私、神様になりたいの』
それを境にまた部屋に静寂が突き通る。これはなんて返せばいいんだ。巡る寝起きの思考の中で思いつくのはつまらない返答ばかりだ。
『でも…なれないの』
そしてその女の子は泣いた。まるで小さな子供が泣きじゃくるかのように泣いた。何も出来ない僕は彼女の傍に行こうとした。白くて細い腕には数え切れないほどの傷があった。
『ごめんなさい』
君は誰なんだろうか。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい』

目が覚めた。

「なんだか苦しそうだったわね」
今のは夢だったのか。
「愛されてるわね」
…なんのことだ?
「こっちの話よ」


なんの変わりのない春を迎えて数日、人々は桜の美しさに心を馳せるが、残念ながら僕には何も感じれない。ただ…

ただ1つ胸にぽつりと存在してるのは、夢で出会ったあの女の子のことである。あの夢はなんだったのか。そもそもあれは本当に夢だったのか。ここまで夢に取り憑かれることのない僕はあまりにもその存在の大きさに少し動揺していた。

「気になるのね」
びっくりした。急に君が声をかけてきた。いや待てよ。この間のこの夢を見た時も、そして今も君は僕の頭の中を見透かしているようだ。君は僕の心を読めるんじゃ…
「細かいことは気にしない、嫌われるわよ」
…。誰にだよ…。まぁいい、深く考えるのはやめよう、そもそも夢についても考えてた僕は思考の疲労を感じて、ただぼーっと続きの道を歩いた。


『あの…私…居てもいいんですかね』
頭に聞き覚えのある声が響いた。君は…
『迷惑なら早々に出ていこうと思うんです』
あの…あれ、どうしてだ、声が出ない。
『やっぱり私はいちゃいけないんですよね』

待ってくれ!!!!

目が覚めた。どうやらまた夢だったようだ。

部屋には缶チューハイの空き缶が転がっている。
「たまには掃除したら?」
机の上でポリポリと角砂糖を食べながら君は言った。君は…君はそんな姿をしてたのか。そこには白髪で長い髪の綺麗な小柄な女の子が存在していた。白いワンピースを着た美少女は不満げにこちらを見つめている。
「あと…おなかすいた。」
すまない。生命活動を停止しがちな男一人の部屋には確かに君が食べられるものは少なかったな。僕はコンビニへと向かった。

しかしまたおかしな夢を見たなあと思いながら、隣を歩く少女に目をやる。僕は前から君を見れていたか?それともやっぱり君は幻覚で、話しているうちにとうとう寂しい男の理想の話し相手をこの目で見れるまで悪化してしまったのか…などと考えてた。確かに君は前から居たはずだ…どういうことだ…
「何怖い顔してんのよ」
ハッと目の前の少女に意識を戻すと、彼女もまたムスッとほうを膨らめていた。

『どうしてこんなに苦しいんでしょうか、生きてるだけなのに。生きてしかいないのに。どうして私だけ生きてるんでしょう。』
ん?また夢なのか?これも夢なのか?今僕は僕の幻覚かもしれない小柄な少女と帰路に着いてるところなんだが…
『消えてしまいたい。壊れてしまいたい。壊されるくらいなら…自分から…。』
これは確実に夢の中だけに出るあの女の子の声だ。しかし隣に目をやっても彼女は好物らしい鈴カステラを手にルンルンといったところである。
どこにいるんだ?君はこの辺りのどこかにいるのか?
「何言ってんの?」
いや、声が君には聞こえないか?
「聞こえてるよ」
聞こえてるのか!?
「ほっとこうよ、はやく帰りたい」
いやいやいや、なんか凄く追い詰められているような、悲しくて寂しい台詞が頭に響いてるんだが?
「うん。大丈夫だよきっと。」
何を根拠に…!

ドスン

その瞬間、どこか近くで鈍く何かが堕ちる音がした。

嫌な予感がした。

どこからとも無く叫び声があがった。

身体中の震えが止まらない中、その悲鳴の方向へ歩む。人だかりがあるのは少し高いビルの方だ。そこには何故かどこかで見た事のある女の子の…

うっ…

目が覚めた

随分汗をかいている。夢か?夢だったのか!?
「なにか悪い夢でも見たの?」
聞き覚えのある君の声がして僕は泣いた。



「どうしたのさ」
机の上でポリポリと角砂糖を食べながら君は言った。そこには白髪で長い髪の綺麗な小柄な女の子が存在していた。白いワンピースを着た美少女は不満げにこちらを見つめている。
…。
人が死ぬ。急がなきゃいけない。
「え?何言ってるの?」
わかった。これは予知夢だ。君がびっくりするほど美少女で小柄で鈴カステラが好きなことももう知るはずもないのに知っている。すなわちこれからあのタイミングであの子が死ぬ!!!
急ごう!!!殺気立って僕は立ち上がり君の手を掴んだ。
「えっ」
端正で整った美しい顔がこれでもかという程に驚いた表情を見せた。長いまつ毛は一つ一つ丁寧に誰かの手で作られたようなこの世のものとは思えない端麗さである。
どうした?どうかしたか?
「私のこと…いつから見えてたの…?」
ええっと…それより今は急がないと…次のセリフはおなかすいただろ?
「…」
鈴カステラ買うから急ごう
「…」
怪訝な顔をした美少女を連れて僕は家を飛び出した。

自分でも意味がわからない。どうしてこんなに必死なのか。たかが夢だ。しかし夢で見た君は確かに今僕と手を繋いでいる。

ビルに向かう途中、しばらく黙っていた君が突然重い口を開いた。

「謝らなきゃいけなことがある」

僕に?

「うん」

なんだ?
息が切れながらも応答する。

「彼女はたぶん助からない」

僕の中で何か細い糸がぷつりと切れるような、衝撃的な言葉を君は吐いた。

えっ

後ろを振り向くと、ほろりほろりと大粒の涙を瞳から落とす白髪の少女がそこにいた。

これは…夢じゃないよな…。立ち止まり彼女の白いほうをそっと触ると指先がぴしゃりと濡れた。

「助からないよ…もう無理だよ…無理なんだよ…辛いんだ…」

そう言って大声で泣き始めた。

その時だった。僕は血相を変えて彼女を抱きかかえ再びビルに向かって走り出した。たぶん間違いない。間違いない。

社会の波に呑まれて、最近全くというほど運動をしてない僕にとって有り得ないほどの速さで階段を駆け上がる。疲れるなんて感情は驚くほどに湧いてこなかった。助けなきゃ…助けなきゃいけないんだ。

あの子も君も…!!!

屋上に着いた。満月がとても綺麗な夜だった。そこには一一一一



一一一一夢で出会った君がいた



まて!!!!!!



夢で出会った女の子は、驚いた様子でこちらを向く。

咄嗟に叫んだ…はずだった…。僕は思い出した。そうだった。僕はストレスで声を失ってたんだった。

『…どうか…しました?』

君は…君はどうしてそこまで…
そう言ってるつもりだが、僕の声は響かない。息が切れている音だけが虚しく冷たいコンクリートに響く。

『不思議な方ですね。私は月を見ていただけですよ?』

嘘だ、それは絶対に嘘だ…!!
変に近づいて足元が揺らいでも困る。一定の距離を保って精一杯僕は伝えようとする。

『月が綺麗ですね。』

くるりと彼女は身体を翻してそう言った。

そういえば、彼女は僕のこと知らないのか?僕の後ろで僕と彼女の様子を伺う君に問いかけた。しかし何も答えてはくれない。

『変な話してもいいですか?』

ちらりとこちらを見た彼女に僕は静かに首を縦に振った。荒らげていた息も少し整ってきた。

『私神様になりたいの。』

うん。確かに前にも言ってたね。

『…でも…なれないの。』

それも前聞いた。

『生きるって…どうしてこうも残酷なんでしょうね。』

それは聞いたことない。じゃなくて…。
何があってどうして君をここまでさせているんだ。聞きたいのに相槌すら打てない自分の身体を憎む。

『どうしてこんな私の話を貴方はそんなに真剣な眼差しで聞いててくれるんですか?』

それはですね、と説明したいところだが声は届かない。

『もう誰にも迷惑はかけないと思ってたんですけどね、やっぱり人生というのでしょうか、運命というのでしょうか。酷いものですね。』

そんなことは無いと言いたいところだが声が出ない状態の男が無責任にそれをいう権利はない。ただ…話を聞いてくれ…頼む…。意味があるか分からないが少しずつ彼女との距離を縮めていく。

少し静寂が続き、彼女が口を開いた。

『ひとつだけ。洒落にならない目標が貴方のおかげでたった今出来ました。』

背後の美少女が強く僕の服を握りしめる。トンとビルの1番隅の少し上がった部分に立ち



『君の神様になって、君の人生を狂わせたい』



物憂げな様子の彼女は、虚ろな目をしてそう言い放った。

満月を背中に僕の目に映る彼女は紛れもなく神様に見えた。見惚れてしまうほどとても美しい君に似た女の子であった。



揺らりと僕の神様は眠るように瞳を閉じて背中から空に傾いた。綺麗な長い髪がひらひらと彼女の小さな顔を覆っていく。



「行かないでくれ!!!!!」



精一杯手を伸ばした。これでもかというほど叫んだ。皮肉にもこのタイミングで声が戻った。


神様はもうそこには居なかった。あったのは真夜中の冷たい空気だけだった。





時間が信じられないほどゆっくり進んでいる気がした。後ろを振り向くと白髪の少女が悲しみと諦めのようななんとも言えない切ない表情で僕を見つめている。

「ほら、助からなかった」
…助けられなかったな
「貴方は何も悪くないのよ」
…不甲斐ないよ。声が出ないことにこんな時に気付くなんてさ。
「きっと…きっと大丈夫だよ」
ぽろぽろ泣く君を僕は抱きしめた。

「…ありがとう」
『ごめんなさい』

ふっと、抱きしめていたはずの小さな腕には、数え切れないほどの傷があった。

『あれ…私…』

僕が抱きしめていたはずの白髪の美少女は、薄紫色の長い髪をした女性に変わっていた。

「『 私…。生きてるの…?』」

そこには確かにさっき僕を見捨てて身を投げた神様が目の前に居た。

『私…私…あれ?今そこで…最期を迎えたはずだったんですけど…』

僕も言わずもがな混乱した。しかし当の本人も相当混乱しているだろう。そんな状態で僕は彼女の手を取り声を絞り出した。







「僕と生きてくださいませんか、僕の神様」









一一一一一あの一件からしばらく経つ。僕らは互いにあった出来事を説明し合った。勤め先の会社でのストレスで声が出なくなりリストラされたこと、謎の存在がいつの間にか白髪美少女になったこと、見知らぬはずの目の前の女の子がよく夢に出てきたこと。彼女は家族の不幸で自分が生きてることを攻め続けてしまったようだ。よくわからない奇跡のような偶然で神様の命の恩人になってしまった僕は、神様と同棲する事にした。桜が舞うのも、波の音がさざめくのも、虫の声に聞き入るのも、雪がゆらゆら降るのも、神様が隣にいると悪くないかなと思えるくらいは穏やかに過ごしている。

ところで、あの時から白髪のあの子を1度も見ていない。でもあの子を抱きしめた時に彼女はなぜか屋上に引き戻された。泣き方や言動の一致で、この子と彼女は同一人物である可能性が高いって信じたけど…不思議な体験だったなあ…。もっといろんなもの食べさせてあげればよかったな…。そんなことを考えながらベランダでタバコを蒸した。




数年後、娘がこう言った。





「パパ、鈴カステラが食べたい。」




角砂糖を食べながら。



終わり







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