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「ヴィーガン(完全菜食主義者)」という生き方

昆虫食についてのテキストを書いたら、元同僚のことを思い出した。

彼女は私が人生で初めて出会ったベジタリアンで、卵や乳製品も摂らないヴィーガン(完全菜食主義者)である。
私はそれまで、菜食生活をしている人たちが肉や魚を口にしないのは美容や健康のため、あるいは動物を殺すことへの罪悪感からだろうと思っていた。が、彼女が言うには「それもあるけど、欧米のベジタリアンは飢餓救済や環境保護を考えて菜食生活を実践している人が多い」らしい。
彼女もその口である。ベジタリアンになったきっかけは豚の屠場で断末魔の叫びを聞いたことであるが、肉断ちを決心してからいろいろ勉強したという。
「世界では二万五千人もの人が毎日飢えのために亡くなっているけど、食肉にするための家畜に与えている穀物が途上国の人たちに回ったら、その数字は格段に減る。先進国の人口に占めるベジタリアンの割合が現在のアメリカにおけるそれと同じになったら、餓死者はゼロになるの」
彼女がそれを「日本国際飢餓対策機構」という、私が見たことも聞いたこともない機関に問い合わせて確かめたというから驚いた。「スリムでいたい」「動物がかわいそう」といった個人感情のレベルの話ではなかったのだ。

当時、私は菜食主義について「動物の命を奪って肉にしたものを避けること」と解釈していた。が、それはまるで認識違いだった。
彼女は菜食生活をしている理由のひとつに、動物の生きる権利と福祉を挙げる。うん、殺生に対する嫌悪は理解できる。
でも、チーズもだめだというのはなぜなのか。牛を殺して牛乳を得るわけではないでしょう?
すると彼女は、「レンネット」というものを知っているかと私に尋ねた。初めて聞いたと答えると、こう続けた。
チーズの製造過程で牛乳を固めるために加える酵素で、それは生後一ヶ月の牛の第四胃袋から抽出されるものである。
「胃を取り出されたら、仔牛は生きられないよね」
ここまで厳格に口にするもの、しないものの線引きをしているのか!ハンバーガーからハンバーグを取り除けば食べられる、くらいに思っていた私は愕然とした。
「じゃあ卵はどうして?鶏は死なないよね」
と尋ねようとして、ハッとする。卵こそ、“命”そのものではないか。
彼女がはちみつを食べないのも、蜂が自分たちが生きるために作り出した食料を人間が横取りすることになるからだった。

しかし、話を聞いているうちにある疑問が湧いた。
「でもそうは言っても、肉けのものが食べたくなることもあるんじゃない?」
というのは、ベジタリアン用の中華料理店の前を通ったときのことを思い出したからだ。
ショーウィンドウには酢豚に回鍋肉、青椒肉絲に棒棒鶏といったメニューの皿見本がずらり。これのどこが菜食なのかと首を傾げたが、よく見るとすべての料理名の末尾に「風」の一文字がついていた。
そう、肉や魚に見えるものはすべて大豆たんぱくや小麦グルテンといった植物性の素材で作られていたのである。
「へえ~、この鶏肉が湯葉!えっ、イカはこんにゃく?」
サンプルではあるが、本当によくできている。私はそのアイデアと技術に舌を巻いた。
が、その一方で釈然としないものを感じた。
「肉を口にしたくなくて菜食をしている人のための店に、どうして本物の肉や魚に似せて作った料理が存在するんだろう。野菜で作ったメニューだけでいいんじゃないの?」
そして思った。野菜不足の食事が続くと、無性にサラダが食べたくなることがある。同じように、主義主張で肉を断っても体が欲することがあるのにちがいない、と。でなければ、“もどき料理”なんか生まれるはずがない。

が、彼女はきっぱり言った。
「そういう料理は遊びのようなもので、本物の肉や魚だと思いながら食べるわけじゃない。肉が恋しくなることはまったくないし、もし本物を食べたら具合が悪くなると思う」
そうなのか。ずっと食べていなかったら、体が肉を受け付けなくなるんだね。
「そうじゃなくて、良心の呵責で」
なにかがストンと胸に落ちた。ああ、だから彼女はこれほどまでに徹底的に動物性食品を排除しようとしているんだ。
十年以上、彼女は旅行に行っていないという。菜食生活を始めたら、外食ができなくなったからだ。
肉や魚が目に見える形で入っていなくても、原材料までさかのぼって動物性成分の混入がないかを確かめる。そのため、フライドポテトやゼリーといった、素人目にはなんの問題もなさそうなものでも彼女が口にしないものがたくさんある。
揚げ油にはラード(豚の脂)が混じっているし、ゼラチンは牛の骨や皮が原料である。精製の工程で骨炭(牛や豚の骨を焼いて炭にしたもの)を使用する白砂糖、動物の骨からとったブイヨンや卵が含まれるトンカツソースやマヨネーズもアウト。つゆに煮干しやかつお節が使われていないことが証明されないかぎり、ざるそばさえ食べられないのだ。
そんな生活を「我慢」で続けられるわけがないのである。

もうひとつ不思議に思ったことがある。
彼女は私の身近で唯一のベジタリアンだ。なのに、彼女のまわりには菜食仲間がたくさんいるのはどうしてだろう。
「私、アムウェイやっててね。そこで知り合う人たちにベジタリアンが多いの」
アムウェイの製品は開発段階で動物実験をしていない。そのため、動物の犠牲の上に作られた化粧品や洗剤をボイコットした人たちが自然に集まってくるのだという。
ケージの中から首だけを出したガチョウの口に漏斗をくわえさせ、毎日毎日大量の餌を送り込む。数週間の“拷問”の末、普通の十倍にも肥大した肝臓を取り出す------私がフォアグラの生産に対して感じているおぞましさを、彼女たちはあらゆる工業畜産に感じているのだ。
「動物は人間のために存在するのではない。人間が生きるために動物を苦しめたり命を奪ったりしてはならない」
そう考える人たちは毛皮やダウンジャケットを着ず、革のバッグや靴を持たず、羽毛布団で眠らない。ヴィーガンにとって菜食主義というのは食生活にとどまらない、生き方の問題だったのである。

「菜食してると自然と勉強家になるよ。情報を自力で集めないといけないから」
ベジタリアン・フレンドリーでないこの国で、それを実践し続けるのは苦労が多いにちがいない。偏見の目で見られることもあるのではないか。
……いや、ゼラチンを使用しているからとカプセルの薬も拒むほどの覚悟を持って、完全菜食主義を貫く彼女である。変わり者だと思われることくらいなんともないのかもしれない。


「蓮見さんも一週間に一日でいいから菜食してみない?」
と言われたことがあるが、そのとき私は畜産が環境に与えるダメージについてよく知らなかった。
でもいまは、家畜の放牧やその飼料となる穀物の栽培のために世界中で大規模な森林伐採が行われていること、大量の穀物が家畜によって消費されている一方で、途上国では八億もの人が飢えに苦しんでいること、家畜のゲップに含まれるメタンには二酸化炭素の二十倍以上の温室効果があり、地球温暖化の原因になっていることなどを理解している。

だから「宇宙船地球号」の乗組員の一人として、肉の消費についてはちょっと意識している。牛よりも環境負荷が小さい豚や鶏、魚の献立を増やすのもいい。焼肉の食べ放題に行って、もう満腹なのに元を取ろうと箸を伸ばすことはするまいと思う。
動物の命と引き換えに与えられたものを、余すことなくおいしくいただく。それが肉や魚を食す者の最低限の務めだろう。


【あとがき】
菜食主義には「肉は食べないけど、魚は食べる人」「肉も魚も食べないけど、乳製品や卵は食べる人」「そのすべてを食べない人」などいろいろなタイプがあるそうです。ちなみに、ベジタリアンという言葉は野菜の「ベジタブル」とは関係なく、ラテン語の‘vegetus’ (健全な、新鮮な、元気のある)が由来とのこと。へええ!
ベジタリアンの中には家で飼っている猫や犬にも動物性のものを与えたがらない人もいるらしく、そのために植物由来の材料だけで作られたドッグフード、キャットフードも売っているとか。
うーん……。人間は雑食性の動物だけど猫は肉食獣だし、犬も肉食性の強い雑食獣。ベジタリアンペットフードでも必要な栄養は摂れるようになっているんでしょうけど、ペットも菜食主義にすることには疑問を感じます。