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【短編小説】 明けの明星

 働いて得る稼ぎの全てを、投財してきた。
 他に女がいても別に構わない。
 ただ、彼の夢が叶うことだけが、私の望みだった。
 それなのに。

 彼の夢は絶たれた。
 ある人は無念だと言い、ある人は自業自得だと言った。
 本人は、時折寂しそうにして、時折はから元気で明るく振る舞ったりしている。
 きっと立ち直る。
 何かに秀でて、さらに努力を重ねた人は、自信を持って生きることを知っている。
 努力をすれば、一定の結果が手に入ると知っているから、喪失感が時とともに和らげば、立ち直るだろうと思う。
 私は、死のうと思っていた。
 私に才能がある訳でも、私が努力してきた訳でもない。
 自分に叶えられない夢を、他人に託す卑怯者だ。
 全てを投げうってきた。
 そこに後悔はない。
 けれど、喪失感は私の心を確かに蝕んでいた。
 長く勤めた仕事を辞めた。
 酒に溺れたかったが、体質に合わずに断念した。
 後頭部に出来たハゲを隠して、食料品を買いにスーパーに行く。
 私がそこまで彼の夢に固執することが理解出来ないと言った友人は、明らかにやつれていく姿を見ていられないと、しばらくの間こまめに連絡を寄越したが、返信を放置し続けて、それも途絶えた。
 死に場所を探して彷徨う日々。
 彼を追い込むことが目的では決してないから、なんとか事故に見せかける方法はないかと、模索していた。
 唯一の夢が無に帰して、生きる希望などもうどこにもなかった。

 早朝の公園のベンチは、朝露で濡れていた。構わずに座り、もう少し冷え込んだら、ここで眠ったら凍死出来るだろうかとぼんやり考える。
 酒の痕跡があれば、慣れないお酒を飲んで、事故死したように見えるだろうか。
 いいえ。自暴自棄になって、酒に頼ったように見えてしまっては、彼が気に病む。

「死にたいか?」
 嗄れた声が不意に降って来た。
 爪の間が黒い、皺々の手が、私に缶コーヒーを差し出していた。
 私が首を横に振ると、缶コーヒーはあっさりと開けられて、波打つ白髪を引っ詰めた、ホームレスの喉に流れ込んでいく。
「このコーヒーには睡眠薬が入ってる。俺はこのままここで凍死する」
 私は目を見開いた。
「嘘だよ。ただのコーヒーだ。今の俺の全財産だ」
 私財を投げ打って今空っぽの自分と、ホームレスの男の境遇が重なる。
「なんで」
「なんでかな」
 男は朝露で濡れたベンチに構わずどっかりと座る。
 白々と開けていく空に、小鳥が囀る。
「まだ間に合うと思ったのよ。俺はダメだけど、あんたはまだ間に合うなって」
 ヨレヨレのコートのポケットから、吸いさしのタバコを取り出して、震える手で火をつける。
「貴方の希望を私に託さないでよ」
 そんな言い方しか出来ない自分が嫌だった。
 散々、自分の希望を彼に託してきた。
 どの口が言うのだと、口にしたそばから傷ついていた。
 男は殊更美味そうにタバコを吸った。
「あんたに会えて良かったよ」
 男の目に、強い意志が輝くのを見た。
 ああ、かつて彼も、同じ眼をしていた。
 私はさめざめと泣いた。
 彼の瞳が、あの光を宿すのをもう一度見たい。
 今まで追ってきた夢と全く関係のない何かでもいい。
 彼の瞳が、輝く瞬間をもう一度見れたら、そう思うと胸が苦しくなった。
 気がついてしまった。
 彼を愛している。
「間に合うよ。あんたも、俺も」
 揉み消したタバコを、男はポケットに仕舞おうとして、思い直したように、横のくずかごに入れた。
 息を大きく吐いて立ち上がると、
「達者でな」
 そう言って、大股で歩き出した。
 私はしゃくりあげながら、小さくなる背中に向かって叫んだ。
「頑張れよ」
 男はこちらを振り返らずに、軽く右手を挙げてみせた。
 ふくよかな雀が二羽、距離を保ってこちらを伺っている。
 施すものなど何も持っていない。
 ごめんねと思った気持ちをくしゃくしゃに丸めてくずかごに放り込む。
 家に帰って、米を研ぐ。
 でかい握り飯を作って、腹を満たす。まずはそこからだ。
 袖口で乱暴に涙を拭って立ち上がる。
 東の空に輝く明けの明星に、愛とは何かを問うても、美しくそこにある。ただ、それだけだ。


こちらの企画に参加させて頂いています♪

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