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「一夜明けたら叶う恋」(4)

(これまでのあらすじ)
商業施設で開催されるバレンタイン販売イベント。社のブースに立つ営業部の宮内を気にかけている「僕」は、彼に似合いそうなソムリエ衣装をレンタルする。初日から盛況で多忙な現場。手伝いを要請されたが、僕は気が進まない。

(1話)



なんやかんやと理由をつけて、僕は会社に張りついていた。
現場担当の児島によると、ブースは異様な熱気に包まれているらしい。ソムリエ姿で接客する三人のうち、客の注目をもっとも浴びているのはやはり宮内だった。驚いたことには、人気の噂を聞きつけた地元テレビ局が、宮内を名指しでインタビューに訪れたという。
その様子が夕方のニュースで流れるのを、僕は会社のパソコンで見た。宮内はやや緊張しながらも、商品の魅力を精一杯アピールしていた。放映翌日、ブースの前は黒山の人だかりになった。用意してあった在庫は最終日までに底をつくことがわかり、ほかの支店から余剰分を譲ってもらう事態となった。

イベント五日めの最終日、土曜で会社は休みだった。企画部には休日返上で応援要請が入っていた。人手が足りない。僕も顔を出さないわけにはいかなくなった。
駅に向かうバスの座席で、頭にちらつく宮内の笑顔を何度も追い払った。これは仕事だと自分に言い聞かせる。
商業施設の通用口で社員証を見せ、エレベーターで七階まで上がった。バックヤードの暗い廊下を進み、イベント会場へ通じる扉を開けた。

チョコレートの甘い香りが僕の鼻腔を瞬時に満たす。ピンクのハートで埋まる広場を、足早に僕は歩いた。いちばん奥の小さなブース。何人かの姿が遠目に見える。
あの背中。
宮内だ。
ブースの前で商品の箱を並べている。瀬尾が僕に気づいてこちらへ手を振った。つられて振り向いた宮内と、僕の視線がぶつかった。

整えた髪。真っ白なシャツに黒い蝶ネクタイ。黒いベストの胸は厚く、高い腰にぴたりと巻きついたソムリエエプロンが長い足を包んでいる。
視線が吸いついて離れなかった。SNSの画像やニュースを繰り返し見て、もう目が慣れたと思っていたのに。
宮内が僕に近づいた。
いますぐ帰りたい。

「近藤さん、おはようございます。お休みのところ出てきていただいてすみません」
僕は曖昧に微笑んで目線を下げた。宮内の顔が見られない。
「どうだ、決まってるだろ宮内」と児島が横から僕に言った。
「このままどっかの一流レストランで働けそうだよな」
僕は児島に向かって笑みを作ると、宮内の脇をすり抜けるようにしてブースの中へ入った。

児島と宮内、瀬尾の三人が、僕の後ろで話を始めた。
「宮内さん、めっちゃいい体してますよね。ふだん鍛えてます?」と瀬尾。
「別に鍛えてはないけど、ジムのプールに通ってる。週二ぐらい」
「俺もそれ思ってた。スーツ着てたら細く見えるけど、こういう格好だと筋肉ついてんのわかるわ。ちょっと触らして」
会話が少し途切れたあと、児島が驚きの声を上げた。
「うわ、マジで固い。これ割れてんじゃないの?おい近藤、おまえも触ってみろよ。すごいって」

僕は商品が詰まった段ボールの中身を熱心に数えるふりをして、児島に背を向け続けた。
「なんだよ、聞こえてないのかな」
体が熱い。コートを脱ぎたいが、いま脱ぐと僕の気持ちが皆に知られそうな気がする。
宮内が「めっちゃいい体」だということを、僕はとっくに知っていた。スーツの上からでもわかるのだ。そういう目で見れば。ソムリエのベストを宮内の胸囲ぴったりのサイズで選んだのは、つまりそういうことだった。宮内をより美しく見せるため。

渡辺主任が到着し、朝の打ち合わせが始まった。児島はほかの数名とともに、ブースで会計や品出しをサポートする。僕はSNSを担当することになった。会社のスマホで写真を撮り、こまめに情報を発信する。
「宮内ばっかり撮るなよ」
商品もしっかりアピールしてくれという渡辺主任の言葉に、僕は慌てて頷いた。向かいにいた児島が僕を見て言った。
「近藤、コート脱いだら?ここけっこう暖房効くんだよ。熱いんだろ、顔赤いぜ」

私物はブースの奥の段ボールにまとめることになっていた。そこに鞄を入れ、コートを脱いで畳もうとしたら、背中から声をかけられた。
「ハンガーラックありますよ。裏にみんな吊るしてます」
「そう、ありがとう」
振り向かずに僕は礼を言い、ブースの裏手にまわった。
「ハンガーいっぱいなんで、僕の上からかけてください」
目の前に伸びてきた白シャツの手が、コートのかかったハンガーを取った。
「いいよ僕は、畳んでしまうから」
「シワになりますよ」
言いながら僕が持っていたコートを取り上げ、自分のコートの上へかぶせた。
「僕こういうの気になるんです。きちんとハンガーにかけたくなる。あの夜もだから近藤さんのスーツ脱がせたんです」
振り向いた僕の目のすぐ前に黒い蝶ネクタイが見えた。ゆっくり見上げた先に宮内の笑った顔。
「最終日、がんばりましょうね」
言い置いて宮内はブースの中へと消えた。
コートを脱いでもまだほてる顔を、僕は両手でしばらく押さえていた。


(つづく)

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。