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エッセイ・創作小説

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エッセイと短い小説を集めてます。
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記事一覧

短いふれあい

「こちらお客様のエコバッグですか?」 レジ係の女性が私にそう尋ねた。黄色いカゴの上に載せてあるぺちゃんこのバッグを彼女の指先が示している。そうですと私が答えると彼女は間髪入れずに言った。 「次からは新しいカゴにバッグをセットした状態で持ってきてください」 「あ、はい」 すいません、と口の中で呟く私には目をくれず、彼女は自身の手でやや乱暴に私のバッグを新しいカゴの中へ広げた。彼女がずっと真顔なので、私はなんだか叱責されたような気分だった。 このスーパーでは、持参したエ

 何か辛い目に遭っているとき、これはかつてあなたがとった悪行への報いですよ、ともし誰かに言われたら、ああ、あのときの。とすぐに思い当たる出来事が、2つや3つはある。  10代は言いなりだった。  20代は強気だった。  30代で、思慮という言葉を少し覚えた。  40代に入って、自分の身に起こることは必然だと思うようになった。  だから、報いを受けているのだとすれば、それを引き寄せる原因を作ったのは大抵、20〜30代の頃となる。  まわりの人を深く思いやることができず、自

『彼女が欲しいもの』

01-小さな本屋  本が欲しいと彼女は言った。 「どんな本?」と尋ねてみても、ふふと笑うばかりだ。  日曜日の昼下がり、彼女は僕を本屋へ誘った。古くからやっていそうな、ごく小さな本屋さん。 「わたしの欲しい本はここにあるの」  店の前でそう言うと、彼女は僕に手を振って、風のように去っていった。  僕は店の中へ入った。いらっしゃい、とエプロンをつけたおじさんが、僕に気のいい笑顔を向けた。僕は軽く会釈して、さてどうしようかと思案した。  雑誌コーナーを覗いてみる。ファッシ

古い文芸作品との新たなる出会い

まったくただの自己満足のために、スタエフで細々と朗読を続けている。著作権に慮って、「青空文庫」の収録作品という括りを自分に課している。世の中には便利なサイトがあるもので、朗読時間の目安を教えてくれる「ブンゴウサーチ」が私の頼りである。 この中から「5分以内」に読み終えることのできる作品を選んで読んでいるのだが、私の朗読ペースが遅いので大抵7分ほどかかる。5分で終わるよう、自分では急いで読んでいるつもりなので、収録後に表れる7分近い数字には毎度驚かされる。 誰にも頼まれぬ朗

人生の濃度

ふといま思ったことを書きますが、歳を重ねてくるとあれですね。人との違いがどんどん気にならなくなりますね。 若かった頃はさあ。まわりがみんなピチピチやん? だからなんちゅうか、平均点が高かった。高く感じていた。あの子はうんと美人だとか、スタイルがいいとか、運動神経抜群でかっこいいとかさ。お父さんの仕事の都合でロサンゼルスへ転校します。絵画コンクールで県知事賞取りました。校舎の入り口に掲げてある立派な絵を見上げながら、自分との格の違いをひしひしと感じていたのでありますよ。 二

「うちの子」

 越してきたときから気配はあった。  ベランダの左の端。  エアコンの室外機が置いてある、その奥の狭い隙間のあたり。  最初は鳥かと勘ぐった。鳩やカラスがマンションのベランダに巣を作ることがあると聞く。小枝や葉っぱや鳥の羽根をここに集めてこられては厄介だ。洗濯物を干したり取り入れたりするたびに左隅の暗がりを覗き込んだが、室外機が作る暗い影に巣ができる様子はなかった。  鳥でないなら何だろう。野良猫の休息場にでもなっているのか。狭くて暗いその隙間は、いかにも猫が好みそうでは

体の匂い

病を得てから夫が匂うようになった。たまたま時期が重なったのかもしれないが、おそらく加齢臭である。仕事から帰って脱いだ靴下も嗅げるほど、夫は体臭の薄い人だった。出張続きや二日酔いでよほど疲れているときを除くと、彼は常時無臭であった。 インナーの上からかぶるパーカーなどは、一週間身につけても洗い立てのようだったのに、いまでは一日着るともう匂う。私に匂うということは出先でも匂っているはずなので、彼の衣類はまめに洗うようになった。 以前勤めていた会社に長く患っている人がいて、彼か

朗読を始めた理由

 趣味で朗読を始めたが、人前で話すのは気後れするたちである。頭の中にあることを自由に話してみなさいと言われると、大変まごつく。思い浮かぶあれこれをこうして文章に綴ることはできる。それを口に出せとなると、途端に尻込みしてしまう。  だから朗読はやっても、フリートークはやらない。たいして面白くもない話をごにょごにょ喋るだけになるのは目に見えている。面白くない上に、話があちこち飛び火し、結局何を言いたいのだか、わからないまま終わるのだ。それでは聞いてくれる人に申し訳ない。  朗

結果に歓喜! 「#匿名超掌編コンテスト」by板野かもさん

板野かもさん主催の「第1回匿名超掌編コンテスト」に応募した2作のうちの1作が、あろうことか同率2位という快挙を遂げ入選を果たしました。やあやあ、ありがとう。 参加者120名、参加作品178作だったそうで、Twitterでの投票期間中、個人企画の規模とは思えぬ大盛り上がりを見せていました。私ももちろん全作品をくまなく読み、厳正に投票しましたよ。 書き手が誰だかわからないという仕組みはとても公平です。そこにある500字の文章をただ味わえばいい。純粋に「この話好きだなあ」と思え

掌編「下足焼き」

 するめの足だけをまとめて袋詰めに売っているのを、近所のスーパーで見つけて以来、毎週のように買い求めている。  十本つながった足を二本ずつに裂き、小さい鍋で温める。やがて、ぱち、ぱちとはぜる音が聞こえてくる。細長い二本の足がじんわりと動き出し、開いたり閉じたりする。熱された鍋の上で身をよじる姿は、女の肢体を思わせて少しなまめかしい。漂い始める香ばしい煙に、僕の鼻孔が広がる。  ある晩突然訪れた人があった。舟橋だった。焼酎の瓶を手に提げていた。暗い顔に細かな無精髭を生やした

トンボは私

ゴミを捨てに行く途中、道路の端にひっくり返っているトンボを見かけた。近づいて少し観察し、ゴミステーションにゴミ袋を入れ、帰りにまたトンボを見た。6本のか細い足を空に向け、見事に固まっている。ジ・エンド。そんなふうに。 このあとほかの昆虫や鳥などの肥やしになるのか、風雨の中で朽ちていくのか知らないが、トンボはトンボの一生を毅然と全うしたように見えた。 私もそうなんだよな、と、家までの短い道のりで考えた。生まれてきて、生きて、死ぬ。ただそれだけのこと。とても単純。何のために生

ぶれない軸を持つ

世界はその人の数だけある、とはよく言われることで、目や心に映る景色がそのままその人の世界を形作っている。 例えばうちにいる猫はあなたの世界にはいないし、あなたがいま着ている服は私の世界には存在しない。 各人が各人の世界を持ち、そこで生きている。 野良猫を保護する活動に熱心な人が私のまわりには多くいて、だから私の世界には野良猫があふれ返っている。仕事が終わったあとの時間や休日を野良猫の保護に費やしている人、あるいは24時間のほぼすべてを使って保護猫を一年中世話している人もいる

文才の意味

毎週のように読んでいたエッセイがある。とにかく文章がわかりやすく、あまり興味のないテーマでも最後まで読んでしまう。筆者自身がそのエッセイの中で、自分には特別な文才というものはないとあるとき書いていた。著名な作家である。

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姪と地球

姪がいる。いま6歳。今春、小学生になった。弟夫婦にできたひとりっ子。ダンスと習字が好きらしい。不妊治療の末、諦めた途端授かった子で、44歳で父親になった弟は、こちらが照れて目をそらすほど我が娘を溺愛している。 100年後、長寿であれば、姪は106歳になる。彼女の目に映る世界は、どんな姿をしているだろう。 半世紀近く前、小学校で未来の地球を絵に描いたことを覚えている。クラス全員が小さな手に大きな絵筆を持ち、空飛ぶ車や料理するロボットを画用紙いっぱいに描いた。エアコンがまだ珍