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狸穴桜

ショートショート 
狸穴桜まみあなざくら

 ――生き場所を求めて、私はある山の麓までやってきた。
 死に場所ではない。あくまで「生き場所」だ。
山笑やまわら う」とはよく言ったもので、山全体が桜色に染まっていてなんとも美しい。
 麓には花見客も多く行楽客は皆、幸せそうに楽しそうに笑っていて、はっきり言って一人スーツ、革靴姿の私はとても浮いていた。
 だがいいのだ。私が求めている「桜」はここにはない。
 ――狸穴桜まみあなざくら
 満開の桜の中にただひとつだけ枯れた桜の大木がある。
 桜の木のわりに胴回りが太く、大きな洞が開いている。
 この市の名物、首なし大仏の側に「ある時もあるし、ないときもある」      ――らしい。
 情報は少ないが、「首なし大仏」なら山頂付近の寺にあるはずだ。
 山歩きには不慣れなので先を急ぐ事にした。
          ***
 狸穴桜は狸穴 まみあなさま様とも呼ばれ、それまでの人生との縁を切り、生き直しの機会を与えて下さる神様だという。
 その本体、ご神木とも言える木が「狸穴桜」なのだそうだ。
 
 ――もしまた生まれ変わることが出来たなら、いつかまたあなたに逢いたい。
 ――後を追おうなんてしないで。どうかどんなかたちでも生き抜いて幸せに……。
 
 桜の花の様にはかなく散った恋人の最後の言葉が忘れられない。
 そう、私は何としても生き抜き、そして生き直したいのだ。
 地面を見つめ、過去を反芻しながらただひたすら山路を登っていると首なし大仏のある寺の前まで来た。
 境内も桜や桃の花が咲き乱れ、ただ一本だけ枯れていた「それ」は境内をめぐるうちにすぐに見つかった。
 伝承どおりその桜の大木は根元がずんぐりむっくりしていてかなり大きなほら があった。
 洞の中をのぞき込むと何とその中の空間に満開の桜が咲き零れていた――奇妙だが、花籠のようでとても美しい。
 普通の桜の表裏 おもてうらをくるりとひっくりかえすとこんな感じになるのだろうか――?
 洞の中には先客が三名ほどいたが、洞内の桜に見とれて私には気がつかない様だった。
 私はあらかじめしつらえてあったかの様な空きスペースに我が身を滑り込ませた。
 桜咲く洞内はふかふかしていて、よい香りに包まれていたし、そんな桜の洞内から見る夕景はこの世のものとは思えない美しさだった。
 それにしても先客の人はまったく動かないけれども、果たして私と同じく「生き直し」にここまで来たのだろうか……? 
 チラチラと目線を動かしていると隣の男のどろりとした目線と私の目線がパチリと合った。
「奥のヤツらはもう退行化が始まっている」
「退行化……?」
「いわゆる赤ちゃん返りってヤツさ、ホラ、指をしゃぶりながら気持ちよさそうに寝ているだろう」
「あなたは……?」
「俺は君よりほんの少し先に着いたのさ」
 どうして生き直しに……? とはさすがに不躾で聞けなかったが、そんな思いを察してか、男は自ら話してくれた。
「俺はな、一人娘がいたんだ。まぁ、長いこと父子家庭だったんだが……先日娘が自ら命を絶っちまってな。それから何だか虚しくてな。でもよ、後追いって柄じゃないし娘の最後の姿をみたらとても同じ事をする気にはなれなくて」
「私も……フィアンセが病気で亡くなりまして……最期に言われた言葉が『どんなかたちでもいいから生きて幸せになってね』だったんです。でも……」
「こんな虚しさを抱えながらこれまでと同じ人生を歩むよりは」
「ええ。狸穴様に『生き直し』をしてもらうほうが前に進めるかな……と」
「お互いつらいな」
「ええ。でも、それにしたって何だって狸穴様は我々みたいな者に『生き直し』の機会を与えて下さるのでしょうね」
「ああ、それは……知っているかい? 狸ってのは元来夫婦愛がめっぽう強いんだ。同じ相手と一生添い遂げる。そしてもし何かの事情でパートナーが死んじまったらその後は他の相手を選ぶ事もないんだそうだ」
「……」
「ただなぁ、パートナーだけじゃなく子どもまで死んじまったメスの狸の場合はまれに狸穴桜に化けることがあるらしい」
「つまり、狸穴桜が『ある時もあるし、ないときもある』というのは」
「不幸なメス狸がいる時もあればいない時もあるってことかね。どちらにせよ人も獣も……いや、狸穴様は神様か。まぁ、ともかく『生き直す』には何かきっかけが必要なんだろうさ」
「……確かにそうかもしれませんね」
 狸穴桜まみあなざくら ほらの中ははら の中。
 その狸に取り込まれ、子どもとして生まれ変わる――つまりそうして生き直す事ができるのだ。
 まさに満開の桜が咲きこぼれる洞の中は棺桶のようでもあり、ゆりかごの様でもあった。
 多幸感に包まれながら空を見上げる……。
 暮れなずみながらも夜の空に星々が光りはじめた。
 だんだんと洞の入り口が閉じて行くことに気がついてはいたが、私は湯船に浸るかのような、羊水にたゆたうかのような心地よい微睡みから抜け出そうなど考えもしなかった。

 彼らが消息を絶った山の付近ではやがて四匹よんひき の子狸を連れた狸が目撃されるようになったという……。



(了)


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以上。
版元のGakken様のご厚意により、
「カプセルストーリー3分間のまどろみ ・緑」より、
拙作「狸穴桜 まみあなざくら」を全文公開させていただきました。

お気に召していただけましたら、シェアなど拡散やご購入などしていただけましたら幸いです。
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(人喰い沼の水、全部抜く・夜の迷子ほか) Kindle版 には
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(セミな~る・謎解き海岸・魔法の言葉ほか) Kindle版 より
拙作「狸穴桜」を公開させていただきました。

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どうぞご高覧ください。

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