猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

白樺派というなんか美しくて、清純そうで、下層の自分には関係が薄い作家のような気がした有島武郎の本、タイトルが気になって読んでみた。

「有島武郎をめぐる物語 ヨーロッパに架けた虹」杉淵洋一著

 本書は博士論文をもとに、加筆されたものであるようだ。現在日本で、有島武郎がどう読まれているかは私はまるで知らないし、それ以前の段階で、私は有島も白樺派も全然読んでいない。それゆえ批評することも紹介することもとんでもなく間違えるのではないかという思いがして、ためらったのであるが、有島武郎の「或る女」が発表後早い段階にフランスで翻訳出版されていたというこの本の出発点に興味を持った。

 この1926年の翻訳出版は有島の周辺に存在し、有島を師と仰ぐ人物たちが複数存在し、多くが国際的に活躍する人物であって、彼らの人脈によるものであったということの証明なのである。この26年の出版を掘り起こしたのは1998年フランスの有島文学の研究者クリスティアン・ガランで、「或る女」を改題して「葉子の日々」として再出版された。そこには日本の近代化過程における「新しい女性」の表象として取り上げた、すなわち言ってみればフェミニズムからの再発見という経緯があるようだ。

 26年の翻訳は好富正臣とアルベール・メーボンとなっていて、好富は外交官、メーボンは当時のアジア学研究の第一人者で1910年代日本に滞在し、多くの日本人文化人との交流があった。しかし、この翻訳はフランスでは評価されることはなかったらしい。

 むしろこの翻訳過程の解明はそれほど重要性があるわけではなく、本書は有島をめぐる人脈の広さ、特に国際的である点の証明が目指されている。有島がホイットマンを信奉し、その著書「草の葉」から引いて、草の葉会というサロンを開き、多くの一校生、東京帝大生を引きつけていたこと。同時期に、鶴見祐輔が「火曜会」というサロンを開き、いずれもその源泉は新渡戸稲造にある。この二つのサロンは場所的に近かったことだけにとどまらず両者がお互いに重なり合って、多彩な人材を教育し、社会に送り出したということである。

 「或る女」の翻訳の本質についての文学論の読みについては、私にはまるでわからないのでなんとも言う資格はないのだが、ベルグソンの「生の哲学」がその中核であると指摘されている。それが新渡戸稲造から有島へとつながる大きな流れである点の指摘ともう一点、この著書の中心に置かれている有島から彼の思想がヨーロッパへという流れがありえたのではないかという指摘である。有島を師と仰いだ芹沢光治良らのヨーロッパでの活動や、同時期にフランスに滞在した石川三四郎(アナキスト)との間接的な関係性がうかがわれるのは興味深い。有島が草の葉会でホイットマンを朗読し翻訳すること以上に大きな意味を持ったのが国際情勢や社会分析やらの談話であったらしい。その中にはマックス・スティルナー、クロポトキン、マルクス、バートランド・ラッセルなどが紹介もあったことがのちに作家となる大佛次郎の回想に書かれているということである。

 一方鶴見の一族の思想的な流れもまた興味深い。金曜会のサロンの人脈も多彩で、芦田均、安倍能成、小宮豊隆や谷崎潤一郎もいた。鶴見祐輔は作家として名を成したが、のちに政治家となり新渡戸稲造を師とし、ウィルソンを敬していた祐輔が政治家に転身するとともに「無自覚的にかつなし崩し的」に転向し、戦後は公職追放を経て54年には鳩山一郎内閣の厚生大臣となる。この父親を厳しく見つめていたのが息子鶴見俊輔で、彼の「共同研究転向」論を生み出す原動力になった。


 有島についての物語は有島について、白樺派の先頭に立つものという指摘には疑問符が付けられると指摘されている。有島は自らがブルジョワ階級であることに悩み、農場を解放している。この点の評価が難しい。本書では、単純化されない問題として捉えている。小作人への解放についてのイデオロギー的側面と、もう一つには父親の精神的な圧力でもあった農地を手放すことでの自らの解放を果たした。私には判断材料を持っていない。さらに白樺派のメインの人物たちはこの有島の苦悩を持っていないという位置付けである。

 有島については20世紀の世界的な思想の潮流の中でアナキストをも含む人脈をつないでいた精神的な結び目として再認識すべきなのかもしれない。

 そしてどうして最近私が読む本読む本、最後に鶴見俊輔が出てくるのだろう?本書とは関係ないのだが、その俊輔がリベラルについて書いているという文章が引用されている。

 「リベラルということが、自由を守り広げることに熱心な流派と考えるならば、リベラルな資本主義、リベラルな共産主義もあり得る、と私は思う。リベラルで兄ところのある種の資本主義支持者、ある種の共産主義者、ある種の封建主義者と、はっきり対立するところの概念」をリベラルというのだということを書いている。現行の日本の政治のシーンに当てはめてみて考えさせられる。


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