猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

今回は番外編です。

コロナ禍で集会自粛が求められる中、東京大学を退官されるロシア文学の沼野先生の最終講義が行われた。初めてのユーチューブでの退官記念最終講義だ。(なお先生は最新講義と命名されている)。これがとても良かった。素晴らしかった。アーカイブが後に見られるということです。

 タイトルは「チェーホフとサハリンの美しいニヴフ人ー村上春樹・大江健三郎からサンギまで」

 私はタイトルからしてわからん、とんでもない文学音痴が必死に聞き取ったのは、めちゃくちゃ面白い話だった。サハリンという場に文学がどう絡んでいるかなど考えたこともなかった。沼野先生は世界文学の波は何度も辺境にまで及んでいるという表現をされた。現在のサハリンの本屋には三島由紀夫、村上春樹、カズオイシグロが並んでいるという。そして村上春樹は「東京スルメクラブ(これでいいのかな?)」の面々とサハリンを訪れているのだそうだ。それはなぜかはのちにつながる。村上春樹とロシア文学はつながるのか?という疑問がある。これについて、沼野先生は1985年の雑誌「国文学」に中上健次と村上春樹の対談があり、中上はフォークナーを強く意識しているのに対して村上はフィッツジェラルドを押していたのだが、どうも村上はこれでは自分が軽すぎると感じたのかトルストイを持ち出しているのだそうだ。

 さて、チェーホフがなぜサハリンに長期旅行をすることになったのか?そんなことも知らなかったのだが。チェーホフには「サハリン島」という作品があるそうで、チェーホフは医者で、サハリンの人口調査を行った。それは綿密な膨大なもので、しかしその調査の原資料は誰も注目することもなく、なんと2005年に発見され、現在は公開されているそうだ。そこでなぜチェーホフはサハリンに渡ったか?それがとても興味深い。つまり、彼はすでに有名作家ではあったが、その作品には無原則で、価値も疑問視されるという批判がなされ始めていた。それに対抗したいという意図がサハリンに渡ったのではないか?サハリンとは周縁であり、そこには解明しきれていない人々、文化があるということを意識していたのだろう。この点に村上春樹は興味を持った。そしてサハリンに渡った。その中から村上は「アンダーグラウンド」でオウム真理教サリン事件のインンタビューを行い社会へのコミットメントを作品化した。さらには1Q84での主人公の異質性を導き出している。1Q84の中にギリヤーク人として出てくるのが沼野先生の講演タイトルのニヴフ人のことだそうだ。ギリヤーク人は自らの言語で自らをニヴンと呼ぶそうである。

 大江健三郎ももまた初期に北方への興味があり「幸福な若いギリヤーク人」という作品があり、村上春樹がこれに応じた形で「気の毒なギリヤーク人」という作品を書いているらしい(未確認)。

 現在ニヴフは4466人で孤立した言語で、文字はない。そのニヴフの作家がサンギで非ロシア人作家との付き合いも多い著名な作家だそうである。沼野先生が2019年(なんとサハリンで村上会議という読者が独自に行った会議だそうだが、非常に質が高かったそうだ)にサハリンを訪れた時に、会談を頼んだところ、80歳をゆうに超えたサンギ氏が訪ねてくれた時の映像(沼野先生がiPadで撮ったもの)が流されたが、沼野先生は気高く美しいと言われていたが、その通りであった。サンギは国家によってロシア語を話すように強要された時、政府が学校へ来て子供達に強要した時、サンギは意識することもなくニヴフの言葉で歌が口をついて出た。それをなぞってくれたが、もちろん私にはわからなかったが、不思議な鳥の歌うようなとても尊厳のあるもので、サンギの初めての詩だと言っていた。彼は「もはや滅びざるをえないが、どんな時も同調圧力の中で心の中では不同意を小さなものの中に秘めて守り続ける」と語っていたのが印象的であった。

 沼野先生は4月から名古屋外国語大学に移られるそうだが、これからもチェーホフにこだわり、世界文学の意味を追求し、記録文学の意味の重要性を語られていた。

 ネットからの質問に対して、印象だったのは中学生からのもの。ロシア文学の何を読んだらいいですか?=好きなものを好きなように。罪と罰は怖いかもしれないが、好きなように読んだらいいです。

 コロナ騒動のこの時代に文学に意味はあるか?=文学は弱いものの支えになる。政治家はこのことを受け止めるべきだ。


 こんな感じでした。



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