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哲学者ディオゲネスの自由にあこがれて

私はなかなか素直に生きられない。
その場その場で自分を使い分け。
まあ大人というものは、ある程度はみんなそうだとは思うけど、だからか、 たまに、自分に素直に生きる人が羨ましくてたまらなくなる。

見よう見真似で、生きています。
「無」だった私は、自分に近い誰々さんのコピーと誰々くんのコピーを、繋ぎあわせるみたいに生きてきた。

「自分らしく」とか「自由に」と、いくら言っても、結局、人間には本能的に承認欲求があって、そこから「自由」になることはとても難しい。

だから古代ギリシャの哲学者・ディオゲネスみたいなのは、ある種の極致だ。彼は、
「人に無視されることに慣れて承認欲求から解放される」
ために、ずっとひたすら岩とかに話し掛けてたそうだ。
今で言う浮浪者で、その野良犬みたいな生き方から「犬のディオゲネス」「犬儒派」と呼ばれた。

かのアレキサンダー大王は、
「私がアレキサンダーでなかったら、ディオゲネスになりたい」
と言ったそうだ。
彼は、ありのまま生きることの素晴らしさを教えてくれる。
本当に必要なものってそんなにないんだろうな。

#コラム #哲学 #哲学だより #自分

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