虐待からの生還猫・次郎のこと

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2015年10月、以前住んでいた都内住居近くの公園で、重傷を負った猫が袋に入れられてガムテープでぐるぐる巻きにされて捨てられていたという事件がありました。

自分もそれを近所の人から聞き、またニュースにもなったのでその事件は知ってたのですが、続報で犯人が捕まった事、被害に遭った猫が警察から危うく動物愛護センターに送られる所を保護団体のねこけんさんが引き取る事になり、そちらで心身のケアをしている…という所までしか知りませんでした。

この時点では、被害に遭ったのは遺棄されたというイメージでずっと子猫だと思ってました。

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その事件から約5年後の2020年8月。ブログに「2014年のお盆と猫」というタイトルで、当時近所を早朝巡回して会う事ができた猫たちの画像を掲載ところ、「画像に掲載されている、白キジ猫をご存知ですか?」というTwitterのDMが送られてきました。

「その猫は、某区のあの公園でとある事件に巻き込まれ、巡り巡って数年後我が家から最近里親さんが見つかりました。今日ブログの写真をみて、その頃の虐待事件前の、あの子ではないかと思いました…。お鼻の下、ホクロのような柄が有る子です。。おかげさまで現在は幸せになっています。」

DMの送り主は、ねこけんさんから被害に遭って心を閉ざしてしまったこの「次郎」と名付けた猫を預かってケアをして、里親様の元へ送り出したボランティアの方からでした。自分のブログを常に閲覧してくださり、画像を見てた際にこの次郎の姿を見つけてDMを送ってくださったそうです。

その前後のお話も送っていただきました

なんと。この辺りでのあの時期の虐待事件といったら、2015年秋のあの事件しかありません。被害に遭ったのは、あの猫だったとは…。

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のちに次郎と名を授かった猫とは、2014年8月頃にある企業の施設付近で家族猫?と一緒にいるときに遭遇しました。

だいたいいつも3匹で一緒にいて、たまにもう1匹加わるような感じでした。

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前に出てくるのは黒キジ柄の子猫、そして白キジ猫2匹が後方で控える感じが恒例でした。

黒キジ子猫は人なつこくて好奇心が旺盛でいつもおもちゃをお土産に持っていく自分も撫でることができましたが、次郎ともう1匹の白キジはきっちりと距離を開けて近寄ってくる事はありませんでした。

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当然懐こい黒キジ子猫ばかり撮っていたのですが、そのDMを貰って見返してみると、面白いくらいに黒キジ子猫の後ろで地味に存在を主張をしている次郎の姿がありました。

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この企業施設は取り壊しが決まっていてその準備期間の為に人の出入りがなく、外に生きる猫たちにとってはちょうどいい溜まり場だったようです。そして、猫たちは周辺の民家にも出入りをしていて、黒キジ子猫はその関係で保護されて里親が決まり、じきに会えなくなりました。

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そのうち、この企業施設も取り壊しの工事が始まり、この場所から猫は他所に流れ、黒キジ子猫以外の猫たちも姿を消しました。

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通りがかりで民家の敷地で見つける事はあっても、元々自分に懐いてはいなかったので元気そうで何よりと思うくらいなものでした。
しかし、今日会えても明日には会えないのが外の猫の常。それは飼うか保護する事ができないのであれば諦めるしかありません。

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次郎もそんな猫のひとりでした。
関係性は不明ですが、一緒に生きていた黒キジ子猫は幸せになった。
会えなくなったとしても、ねぐらを変えてどこか住宅の隙間で逞しく生きてるだろう…。

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次郎の画像は、2014年8月から始まり、その年の冬までありました。
事件に遭ったのは、2015年10月。
自分のHDDの中にあるのは、これから過酷な運命が待ち受ける次郎の姿。

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次郎は、縁があって関わってくれたねこけんのスタッフの皆様や預かりボランティアの方のおかげで閉ざしていた心を開き、今では里親様の元で幸せに暮らしているそうです。

当時はなんとなく撮っていた画像と、時を経て判明するその顛末。
関わってくださった方々や教えてくださった方にただただ感謝、そして次郎と里親様、全ての猫と猫の幸せを願う人たちに幸多からん事を。


※この記事はライブドアブログに書いたエントリーの画像が多いバージョンです。



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