〔短編小説〕嗅覚(本編1)

『今晩は。マサヤです』
7時を少しまわった頃、生配信が始まった。
『今夜の依頼は少し深刻で…。子ども達のためにと、お母さんが頑張って購入した家に、家族以外の何かがいそうだと言うことです』
マサヤは住宅街を歩いているようだが、カメラ担当のアキトが周囲を映さないよう注意を払っていて、場所の特定は難しそうだ。
やがて小さな一軒家に辿り着くと、少しやつれた母親と、小学生ぐらいの兄妹が出迎える。
『この子たちのために、アパートよりは中古でも一軒家をと…とにかく働いて』
疲れた母親が小さな声で言う。
『やっとこの家を手に入れたのに…でも…このままでは、もうここには居られません』
涙が一筋こぼれた。胸が苦しくなるような光景だ。マサヤは真剣な顔で聞いていたが、やがて静かに言った。
『僕にどこまで出来るか分かりませんが、とにかく全力を尽くします』
『よろしくお願いします…』
母親が消え入りそうな声で言い、深く頭を下げた。


家の中に入ったマサヤは、辺りを見回してから母親に向き直り、質問をぶつける。
『ここ、入ったときから何か臭うんですが、お気付きですか?』
母親が頷く。
『そうなんです。何度も掃除して、ゴミがないか確認して、消臭や消毒を繰り返しているんですけど、生臭い臭いがどうしても消えなくて…』
また「臭い」だ。マサヤはどうやら、自分の嗅覚をセンサーにしているらしい。
『この臭いからすると、ここに居る物は、あまり良い物じゃないですね』
『ええ…ここに引っ越してから、子ども達が家の中で怯えるようになってしまいました。それだけじゃなくて、夜中に起き上がって部屋の中をぐるぐる歩き出したり、泣きながら窓を指さして暴れたり、もう何が何だか…』
母親は溢れる涙を拭いながら、絞り出すように話す。子ども達はそんな母親を心配するように、そばにピタッとはりついて離れない。
『ここの前の住人は?』
『不動産屋さんからは、急な転勤で、一年で引っ越したと聞きましたが…』
マサヤは暗い目をして笑った。
『多分、転勤というのは口実でしょうね』
母親は何も言わずに俯いてしまった。


その後、嗅覚やアキトの助言を頼りにあちこちに盛り塩をしたり、お札を貼ったりしていく。けれど、状況が良くなっているようには全く見えない。最後にマサヤは、窓の前に立った。子どもが泣きながら指さしたとしたという、例の窓だ。可愛い猫柄の、クリーム色のカーテンがかけられている。
『このカーテンを開けても良いですか?』
マサヤの声に、母親と二人の子どもはビクッとした。
『あの、そこを開けると子ども達が怖がるんです。私も何か気味が悪くて、ずっと閉めたままにしているのですが』
『ああ…そうでしょうね。どうやらここが根源だと、僕も感じています。でも、だからこそ開けないと、何も変わらないんじゃないでしょうか。ただそれが必ず上手くいくとは言えないので、もちろん無理強いはしません。どうしますか?』
母親はしばらく逡巡していたが、やがて意を決したように顔をあげた。
『分かりました。マサヤさんにお任せします』
マサヤは大きく頷くと、カーテンを一気に開けた。窓の向こうには、密度の濃い闇が広がっている。住宅街のはずだが、こちら側に家の灯りは全く見えない。空き地になっているか、川でもあるのだろうか。マサヤはまた少し鼻をひくつかせると、硬い声で告げた。
『窓も開けようと思いますが…良いですね?』
母親と子ども達は体を寄せ合い、小刻みに震えている。それでも何とか頷いたのを見て、マサヤは窓を開け放った。一瞬、カメラの向こうに風が流れ、空気が軽くなったのを感じる。マサヤも住人たちも、表情が緩んだ。が、次の瞬間、画面がぐわんと歪み、唸り声のようなノイズが入る。あちこちに貼っていた御札は外れて落ち、盛り塩をしていた白い小皿はパリンと乾いた音を立てて割れた。
『だ、ダメだ!みんな早くここを出て!早く!』
マサヤの焦った声と、子ども達の泣き叫ぶ声が入り混じる。アキトも慌てているようで、映像が大きく乱れ、悲鳴や慌ただしい足音だけが続いた。


落ち着いた時には全員家の外にいた。
『僕の力不足です。本当に申し訳ありません』
ガックリと肩を落としたマサヤが、母子に深々と頭を下げる。
『もう、ここを諦めるしかないと思います。引っ越し費用は僕らが持たせていただくので、どうか明るい時間に荷物をまとめてください。引っ越すまでのウィークリーマンションの費用なども、こちらで用意させていただくので…』
母親は放心状態で、ただ機械的に頷いている。子ども達は母親にしがみつき、ずっと大声で泣き続けていた。やがて母親は、感情を無くしたような声で、
『よろしくお願いします』
と一言。配信はそこで終わった。


(本編2へ続く)



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集