〔短編小説〕嗅覚(プロローグ)
午後6時、時間きっかりに咲夜は来た。俺の住む安アパートのドアをノックすると、即座にガチャガチャと開けようとする。
「おい、待てよ。鍵がまだ開いてないって!」
慌てて開けると、お嬢様高校の制服を着た咲夜が、不機嫌そうにむくれている。
「私が来るって分かってるんだから、鍵ぐらい開けておいてよ」
相変わらず無茶苦茶なヤツだ。
「そっちこそ、鍵ぐらい開けるまで待てよ。行儀悪いな」
「だって、そもそも、鍵なんかかけなくても良いでしょ?盗られるような高い物、この部屋に何もないじゃん」
「うるさい」
咲夜はとある企業の社長令嬢。貧乏大学生の俺とは住む世界が違うが、一度彼女の父親から仕事を受けて以来、相棒のような状態だ。彼女の持参した専門店のステーキ弁当と、よく冷えたペットボトルのお茶を受け取り、確認する。
「今回の報酬は、ここの家賃2カ月分だよな?弁当代、差し引いたりしていないよな」
咲夜が黒髪を揺らしながら鼻で笑う。
「そんなセコいこと、する訳ないでしょ。あんたじゃあるまいし」
コイツ、見た目は完全にお嬢様だが、口は悪いし性格はキツい。黙っていればファンクラブが出来そうな美少女なのに、この調子で毒づくので、教師からも生徒からも微妙に距離を置かれているらしい。
「てかさ、この部屋蒸し暑くない?何でエアコン使わないのよ」
「まだ夏じゃないだろ。この程度でエアコンなんて電気代が勿体ない」
「うわあ、ケチ!じゃ、冷蔵庫開けて涼んでもいい?」
「良い訳ないだろ。バカか」
俺は慌てて冷蔵庫の前に陣取り、弁当の蓋を開ける。
20分後。久々の御馳走の最後の一口をゆっくり味わった俺と、ほぼ同じスピードで弁当を食べ終わった咲夜が、自分のスマホを俺に渡してきた。
「今日の彼らの生配信は7時からだけど、先に予習しておいて。これまでの配信、短くまとめておいたから」
「分かった」
ステーキの余韻が残る口にお茶を少し流し込むと、ペットボトルの蓋をしてスマホを受け取る。動画を再生すると、童顔で線の細い若い男性が、優しい声で語り始めた。
『みなさん今晩は、マサヤです。今日も撮影担当のアキトと一緒に、不思議な現象に悩まされているお宅にお邪魔したいと思います。お力になれるかどうか分かりませんが、全力を尽くしますので、応援よろしくお願いします!』
もともとこの二人は、あちこちの心霊スポットを巡るだけのYouTuberだったらしい。そのうちマサヤの能力が目覚めたのか、人ならざる者たちと意思疎通が出来るようになったと、動画では紹介されていた。
『このアパートの一室で、毎夜何かが動き回って眠れないそうです』
外階段を上がりながらマサヤが言う。やがて二階の目当ての部屋まで来ると、ドアの前でピタッとマサヤが動きを止めた。
『マサヤ、どうした?』
別の男の声が聞こえる。きっとこれがアキトだろう。
『うーん、なんか臭うなあ。入りたくないような…』
『いやいや、ここまで来てそれはないっしょ』
『そうだよな…』
マサヤが呼び鈴を鳴らすと、頬がこけた男がドアを開ける。二人を見て、明らかにホッとした顔をした。
『どうぞ、入ってください!もう、俺一人ではどうにも…』
住人に招かれて部屋に入っても、マサヤはあちこちで『臭う』を繰り返す。やがて風呂場を『一番臭う』と霊の住処だと断定。霊と対話しようと試みたが上手く行かず、せめて鎮めようとしたものの失敗。結局事態を悪化させてしまい、『済みません、もう引っ越してもらうしか…』というオチだった。その費用はマサヤ達が出したとテロップが出ている。
この二人は、その他にもトンネルや廃校、公園、海岸など、怪奇現象が目撃された様々な場所で配信していた。ただその大半が、依頼人が引っ越したり、夜はそこを通らない、もしくは見ないように気を付けるという、何とも中途半端な終わり方だった。それが逆に『リアリティがある』と人気になり、マサヤの甘いマスクや、配信を条件に無料で請け負うことも手伝って、あちこちから依頼が来ているという。俺もまだ二十歳だが、最近の若い奴らの考えることは良く分からない。
「うわあ怖い顔!何かやらかした凶悪犯みたい」
思わず顔をしかめた俺に、咲夜が茶化すように言う。
「いや、ダメだろコイツら」
思わず真顔で返すと、咲夜も一言。
「だよね」
こんな二人を野放しにしておく訳にはいかない。危険な芽は、一刻も早く摘まないと。
もうすぐ、恐らく最後になるであろう、彼らの生配信が始まる。俺たちはネットに接続したテレビの前に移動した。
(本編1に続く)