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友人の茶会に呼ばれて、やっとお菓子以外の楽しみがわかった。

茶道の何がいいって、美味しいお菓子が食べられること。これに尽きる。始めた理由も、続ける理由も、これに尽きる。いや、尽きないけど。大部分を占めていることは間違いない。

お茶を点てるのも楽しい。

でも、道具を拝見するのは、あんまり興味ない。


茶道ってね、道具をめっちゃ見るんですよ。

まず茶室に入ったら掛け軸とか花とか釜とか見て回って、お茶を飲んだらお茶碗をじっくり見て(隣の人の飲み終わったお茶碗が、見るためだけに回ってくる!)、終わったら退出する前にもっかい道具を見て回って…

昔のお家元の好みの道具だとか、ウン百年前の茶碗だとか、、いや、確かにすごいものなんだろうし、確かに美しいなぁと思うのだけど、「ふーん」で終わってしまう。

とか言ったら茶道界隈の方々から雷が落ちてきそうですね、ごめんなさい。たくさん勉強して、詳しくなったら面白くなるのかな。

今は、完全に猫に小判、豚に真珠状態なわけです。
悲しいかな、道具見て何が楽しいんだろーとさえ思ってしまう。


そんな心持ちがガラっと変わったのは、友人の茶会のおかげでした。

家でお茶会やる!ということで呼んでもらいまして。
高価なものなんて持ってないから、それはもう工夫が凝らされまくっていたのです。

ホームセンターで買った廃材を使ったり、
メルカリで数千円で買った良い感じのお盆を使ったり、
旅行に行ったときに買ったお茶碗を使ったり。

どうやって手に入れたのかの話を聞くのが面白いし、思い出が詰まって入ればなおのこと、自然とじっくり見入るし、もっと質問したくなる。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、部屋を出るときに最後にまた道具を見て回るのだけれど、これで見納めか、と思って必死に目に焼き付けようとする。だって、彼女がもう一度お茶会を開く保証はないし、もし開いてくれたとしても、同じ道具は使われないかもしれない。

あぁ、これが「道具の拝見」か、と腑に落ちた瞬間。ただの「型」に血が通った感じ。頭ではわかっているつもりだった一期一会の意味も、はじめて実感した気がする。


以来、敷居が高いと思っていた「すごい道具たち」にも興味を持てるようになりました。まだまだチンプンカンプンだけれども。


こういう友人同士の気楽で工夫に満ちた茶会が身近にあれば、茶道へのハードルももっと低くなって皆楽しめるだろうに、などと思ったのでした。

いつか我が家でもお茶会を開こうと、いろいろ考えるのが楽しい日々です。


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