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デリシャスパーティ♥プリキュア 品田拓海/ブラックペッパーの男性活躍と女の子の自立性描写の危機 #precure #デパプリ

【『プリキュア』の基本理念】

 まず基本テクストとして、こちらの記事に目を通していただきたい。
『「マイノリティーの居場所を守りたい」 女の子向けアニメの“常識”を覆した、プリキュア初代プロデューサー・鷲尾天さんの原点』

「私は子どもの頃、身体は弱かったし、足も遅かった。同級生の女子のほうがむしろ活発でした。だから「女の子だからおしとやかにするべきだ」「男の子は泣いてはいけない」などという大人の言葉に、違和感を抱いていました。」
「世界観は変わっても、「これはプリキュアである」と納得してもらえるだけのメッセージを出していく。
――そのためには何が必要ですか。
女の子が自立していること、りりしくあること。それに尽きます。」

 私がこのnote記事で扱う話題上、この2つの発言が特に重要に思われる。

 順を追って扱っていこう。

【“男プリキュア”は必要か?】

 昨今、語句の広がりを通じて“多様性”の語が多く一般に用いられるようになった。社会問題における“多様性”とは、人種、性、信仰、障害、容姿…といった、自身の意志で変えることが出来ない(あるいは変えることが極めて困難)なあり方の社会受容に関して用いられる語と認識している。あまりに膾炙しすぎたため、時に娯楽の趣味嗜好に関してまで“多様性”の語が引き合いに出されることがあるが、社会問題とは乖離してくる。

 さて、何年か前から声高に主張されていることとして、
「女の子だけがプリキュアになれるのはおかしい! 男もプリキュアになれるのが“多様性”だ!」
というものがある。先に触れた多様性定義の“性”カテゴリ分類に適っており、一見もっともらしく思われる。しかし、私の判断は「否」である(男プリキュアの存在は妥当ではない)。ハグプリの若宮アンリ/キュアアンフィニの存在は著名だが、終盤の一時的な変身ということでブラック寄りのグレーというところだろう。
(なお、ハグプリ作中での若宮アンリ描写については社会学専攻の方のこちらを参考にしていただきたい。
『HUGっと!プリキュア』はアイデンティティ論の二つの問題系のうち片方しか扱えなかった)


 そもそも、プリキュア作中で“多様性”を扱うべきか否かの問題はある。確かにスター☆トゥインクルプリキュアは真っ向から多様性をテーマとしたが、初代ふたりはプリキュアはそういったものを前面に押し出したか? プリキュア作中で“多様性”を扱う必然性はないことが知れる。しかしそういったことはいったん置こう。

【プリキュアコンテンツの存在こそがこの社会における“多様性”への足掛かりである】

 結論から言えば、『プリキュア』コンテンツ存在こそがこの社会における“多様性”の体現であり、男プリキュアはそうした(プリキュアという多様性体現)コンテンツを自壊に導く(究極的にはこの社会から多様性コンテンツを一つ消し去る)ものである。

女の子だって暴れたい

 プリキュアのコンセプトは『女の子だって暴れたい』であり「女の子はおとなしくすべきだ」のジェンダーバイアスに抗してコンテンツが作られた(冒頭引用記事参照)。そこで男をプリキュアにして“暴れ”させて何になるのか。すでにいる女の子プリキュアの存在が霞み、女の子の、女の子による、女の子のためのコンテンツが侵食されるばかりでないか。真に多様性が尊重されるべきはまず我々が住むこの現実社会においてであり、この世界に『プリキュア』コンテンツが存在していること自体が(現実社会における)“多様性”保証への足掛かりである。

 ツイッターで私がそうした発信をした際、ある人が「コーヒーもココアもあるのが多様性であり、苦いのが苦手だからと言ってコーヒーにココアを混ぜるのは多様性ではない」というリプを下さった。簡潔にして要を得ている。
 また、あるフェミニストの方が、性被害に遭った女性の集まりに男性が加わるようになり、(性被害によって)男性恐怖症となった女性が参加できなくなり、居場所がなくなったということを伝えても下さった。

「女の子は大人しくしなさい」のジェンダーバイアスからの逃避場所としてのプリキュアコンテンツに“男プリキュア”が加わることは本来の女の子の作品居場所が奪われることに繋がる。
 “多様性”を男プリキュアの正当性として持ち出し始めたら、「もっと男プリキュアを増やすのが“多様性”だ」「プリキュア人数を男女同数にするのが“多様性”だ」という論法も可能になってしまう。極論に映りもするだろうが、こうした割れ窓理論を未然に防止するのが大切となる。

 昨年2021年には張本徹氏が女子ボクシングに関して、「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだね」「見ててどうするのかな。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ」と、あからさまな性差別発言をして大いに問題視されたが、そうしたジェンダーバイアス(プリキュアが抗するジェンダーバイアスは女子格闘技に限ったことではないが、この件はコンテンツとピンポイントで重なった)を払拭するために『女の子だって暴れたい』のプリキュアが生まれた。プリキュアを単に娯楽として観る層にはジェンダー観点を疎ましく思う人間もいるかもだが、張本勲氏のような発言存在がこの社会の実態である。

 どうしても変身ヒロインものに男性を混ぜたいなら、プリキュアと別に0からコンテンツを立ち上げて行うべきだろう。

【デリシャスパーティ♥プリキュアにおけるブラックペッパーのプリキュア手助けに関して】

 現行作品『デリシャスパーティ♥プリキュア(以下:デパプリ)』では、クッキングダム由来のアイテムを手にして超人能力を得た品田拓海が一歳年下の幼馴染の女の子ゆいちゃん(主人公プリキュア)に関して、「お前の笑顔を守る」とした。私はデパプリのこうした展開、特に拓海の「守る」発言に大きな懸念を覚えている。

 歴代プリキュアは女の子たち自身の力で敵と戦い、大切な日常、住む世界を守ってきた。誰もが知る『女の子だって暴れたい』はまた、困難を前に道を切り拓く女の子の強さを体現したモットーでもある。ここで男(品田拓海)がプリキュア(キュアプレシャス)を“守る”となったらどうなるか。歴代プリキュアで描かれ続けてきた女の子たちの自立性は毀損され、そればかりか、我々の現実社会に対して「男に守られる女性」のジェンダーバイアス再生産となってしまう。冒頭引用記事でも述べられた通り、そうした「女の子はこうあるべき」のジェンダーバイアスに抗するためにプリキュアコンテンツが生み出されたのでないのか。

【歴代プリキュア作品における男キャラの取り扱い】

 歴代プリキュアでも時に男キャラが戦闘参加してきたではないかという声があるかもしれない。しかし彼らは多くすでに滅ぼされた、あるいは危機に瀕した異世界の住人であり、プリキュアとはいわば利害一致、頼りとしている立場からの共闘で、幼馴染女の子の和実ゆいを「守る」とした品田拓海とはまるで事情が異なる。また、拓海はクッキングダムの力を用いるにあたり、ブンドル団による飲食店被害や町の危機にはまるで無頓着で、ただゆいのことだけを考えて行動している。「(男の立場から女性を)守る」態度のみである。

 また、歴代プリキュアでの男性キャラ取り扱いを注意深く見た場合、彼らの存在・行動はプリキュア達の“女の子”としてのアイデンティティを(不当なジェンダーバイアスで)毀損しないばかりか、逆に高める働きをしていることに気付く。以下、順に見てみよう。

 言及の必要性からどうしても(未視聴勢にとって)ある程度のネタバレ要素を含んでしまうので、当該作品・シーンを鑑賞した人間にはわかる程度に作品内容言及をとどめるに努める。

【プリキュア5のココナッツ】

 初めに挙げるのは、ほぼ戦闘参加しない存在ではあるが、プリキュア5のココとナッツである(2年目の5GoGoから、無力さに心を痛めた2人がプリキュア達の決め技に寄与するが、基本的に戦闘に関して無力で、1年目の5時点では敵に抗する戦力をほとんど持たない)。

 プリキュアでは初代ふたりはプリキュア・Splash☆Starにおいて、それぞれ主人公のなぎさ・咲の憧れの存在として藤P先輩・美翔和也の男性キャラが出た(他、咲に思いを寄せる同級生の健太も)が、5のココナッツは異世界パルミエ王国の住人で、シリーズ通して初めてプリキュア活動に明確に関与した重要な男性キャラである。

 ココもナッツも容姿が極めて優れた“イケメン”であり、それぞれのぞみ・こまちが想いを寄せる、王道少女漫画的な王子様キャラである。実際、ココは教師として、ナッツは読書家として、のぞみとこまちそれぞれに助けを与え、日常パートにおいて2人の精神を高めていく。

 しかし、『女の子だって暴れたい』の“プリキュア”作品の骨格における戦闘パートでは完全無力で、5人のプリキュア達に守られるばかりである。私はここにジェンダーバイアス払拭を目指したプリキュアの見事な逆転描写を見出す。「女は男に庇護されるべきだ」の(不当な)ジェンダーバイアスから、「男(ココナッツ)を勇敢に守る女の子(プリキュア)」へ——。しかも普通にプリキュア5作品を鑑賞する限りでは、時に押し付けがましく取られかねない、そうした(ジェンダーバイアス撤廃描写の)意図がほとんど前面に現れてこず、空気のように自然に達成されている(後のドキドキ!プリキュアでのジョー岡田の育児描写も同様の自然な見事さである)。

 日常面でプリキュアたちを精神的に引き上げて恋愛要素すら交えながら、プリキュア作品の骨格たる戦闘パートでは(男女の庇護関係のジェンダーバイアスを逆転させる)プリキュアたちに頼りっぱなしの無力さ——
 ココナッツはプリキュアたちと互恵関係にある共助還元を見事に達成する存在として生み出された。『プリキュア』の男性キャラの理想形と目される。

【スイートプリキュア】

 戦闘参加の形とは違うが、スイプリではキュアミューズが奏太をネガトーンから守り、“お姫様抱っこ”するシーンがある。(プリキュア変身前に奏太が守ろうとするシーンはあるにせよ)『女の子だって暴れたい』のプリキュアらしさを体現する見事なジェンダーバイアス逆転描写と言えるだろう。

【ドキドキ!プリキュア】

 ジョー岡田はいわゆる“イケメン”的な容姿ながら、当初より言動の怪しさから、むしろ面白キャラとしてのインパクトを強く与え、歴代プリキュアシリーズ通して『岡田枠』の言葉を生み出すに至った(どこか得体の知れない秘めた部分を感じさせ、戦闘参加も限定的なイケメンといった認識立ち位置だろう)。

 ジョー岡田(ジョナサン・クロンダイク)は窮地にプリキュア達を助け、その後も数度プリキュアとともに戦うが、幾度となく(素の怪しさの延長線上と言えるような)情けなく足手まとい的な姿を見せ、プリキュア物語においてはあくまでプリキュア(女の子)たちが主役ということを強調する役回りを担っていた。5のココナッツと同じく、(イケメン)男キャラの存在がジェンダーバイアス払拭に寄与している。

【ハピネスチャージプリキュア】

 誠司はプリキュアのような本格的な戦闘能力を持たず、神ブルーもたまに補助に回るばかり。視聴者によって“キュ荒ブリー”と評されることもあるキュアラブリーが2人の“男”のために激して戦うことが多い。無論2人の男性は(女の子たる)プリキュア達に一方的に守られる立場である。

【プリンセスプリキュア】

 プリンセスプリキュアではカナタ王子の存在感が強い。戦闘能力を有した上、人格高潔でジョー岡田のような不審なところもない。窮地にプリキュアを救いもし、レギュラー戦闘参加でないといえ、一見すると女の子の自立性要素を侵食しているかのようである。

 しかし、そんな彼も途中で(やむを得ない事情といえ)弱さに落ち込んでしまうことで、あまりに強すぎる(男性)ヒーロー的性格が剥がされる。そして、そんな彼が救われるのは他ならぬキュアフローラ/はるかの奮起によってである。おとぎ話的な「女性の目を覚ます王子様(男性)」と正反対で、カナタがプリンセスプリキュアを、“プリキュア”そのものを体現したと言えるような、主人公キュアの力強い前進に打たれる様は、自立した女性の力強さの尊さを何より訴えかけているように思われる。

【魔法つかいプリキュア】

 魔法つかいプリキュアでは魔法学校の校長先生が権威ある地位・立場と優れた容姿にもかかわらず、冷凍みかんを凍ったままかじるなどしばしば変わった行いをし、典型的な『岡田枠』キャラとなっている。
 彼も途中で強い戦闘能力を発揮するが、力及ばず、最後はキュアミラクルとキュアマジカルの2人の女の子が強い想いで敵に立ち向かうに至る。

【プリキュアアラモード】

 プリキュアアラモードではピカリオが窮地に颯爽と現れ、強い力を発揮するが、結局は“女性”の強さがはっきりすることとなった。

【デパプリ:ブラックペッパーの取り扱いと“プリキュア”コンテンツ自壊への懸念】

 これまで挙げてきたとおり、歴代プリキュア作品で男キャラ(多くが年長のイケメンである)が現れる際は、
・レギュラー戦闘参加しない
・明確に(プリキュアに)力が及ばない
・最終的に守られる立場にある
といった“負性”が付与されており、それがプリキュア世界におけるプリキュア女の子優位性確立に却って寄与し、(我々現実社会の)「女は男に守られるべき」から「男キャラを守る女の子【プリキュア】」へのジェンダーバイアス逆転(払拭)事象として働いている。

 対してデパプリのブラックペッパーからはそうした負性は今のところ認められない。もちろん今後どういった物語展開となるかは未知数だが、品田拓海による「お前(和実ゆい)の笑顔を“守る”」明言から、13,14話と立て続けに実際にプリキュア達の危機を救った以上、歴代プリキュアとのはっきりした差異が認められる。換言すれば、歴代で女の子たち(プリキュア)の地位を高めるジェンダーバイアス払拭要素が認められないということである。
 デパプリのこうした性質に、歴代プリキュアが積み上げてきた『女の子だって暴れたい』の自立性要素排斥、“プリキュア”コンテンツ自壊の危険が懸念されてならない。

【歴代プリキュア作品にブラックペッパー要素が紛れ込んだらどうなっていたか?】

 歴代プリキュア作品にデパプリのブラックペッパーのようなキャラが紛れ込んでいたらどうなるか。

 いかなるプリキュア作品でも想定可能だが、同じく主人公キュアに思いを寄せる男子存在(和実ゆいより1つ上の品田拓海と違い、こちらは同級生だが)から、フレッシュプリキュアのキュアピーチ/知念大輔の関係に当てはめてみるとわかりやすいだろう。
 フレプリで大輔がことあるごとにキュアピーチを“守”ったらどうなるか。凛々しさが盛んに喧伝されるキュアピーチの現在に至るまでの評価はほぼ望みえなかったろう。イースとの決闘——拳の語らいも今ほどの伝説となり得たかどうか。デパプリでそうした介入を行っているのが品田拓海によるブラックペッパー活動である。

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