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この世界に居場所が無かった理由、そして居場所は自分で作るものへ

ずっと人には言えないことを、書き出したら止まらなくなっていたわね。
2、3千文字を7本も書いたのね。

ここからは、もう一つの人には言えなかったことを綴るわ。
本当に書きたかったのはこっちの方ね。
でもどこから書けばいいか分からなかった。

まず、現在のマダム♡千壽は、心穏やかにマイペースでやりたいこともやりながら働いて、自分と猫を養っている。
ただここに来るまでは、結構大変だったのね。
幼少期はこの個性(アスペルガーとAPD)のせいで親にも受け入れてもらえず、兄弟と比較されて辛かったし・・・
社会人になっても、周りとチグハグな思いをして、失敗もいっぱいしたし・・・

離婚して超多忙な日々を送り、ようやく子供達が成人する前に、両親を見送ることになるし・・・
(見送るまでが大変)
地震や台風で被害も被るし・・・
ずっと長い間、嵐の中にいるような人生だったわ。
それが数年前に、スポッと嵐から抜けたみたいに急に穏やかになったの。

だからこうして自分を振り返る時間も出来たのね。

幼少時はこの世界に居場所がないと思っていたんだけど・・・
それがいつから生まれた感情なのか?
そこから綴ってみることにするわ。


私の最初の感情は「あの場所を忘れたくない!」

私が最初に記憶している感情は「あの場所を忘れたくない!」なの。
はっきりその光景も覚えている
それが生後数ヶ月のことなのね。
(親の説明と私の記憶とを照らし合わせてあとで分かったの)

薄れていく記憶の中で必死で「忘れたくない!」「忘れるのは嫌!」と抵抗していたから、とても強く覚えている。

でもそれがどこなのかは全然分からなかったし、追求しようと考えたこともなかったわ。(光景と感覚は覚えているの)

ところが30代で離婚や就職、環境の変化から鬱になりかけた時、医師に勧められた本で理解できたの。

その本は飯田先生の「生きがいの創造」
その中で「中間生」と言われていた場所がそれ。

「あ、忘れたくなかった場所は、生まれる前にいたとこだったんだ」
「中間生って言うんだ」
(ということは死んだらあそこに帰るのかしら)

生後数ヶ月で必死で抵抗していたあの感情
その理由が、突然ストンと腑に落ちたの。

「生きがいの創造」は前世ありきの本で疑問も多い

私はそれまでスピリチュアルなことには全く興味がなかったので、前世がどうとか考えたこともなかったわ。
怪しいことを言う人たちは、むしろ避けてきたくらい。

医師がなぜこの本を勧めたのかしら。
多分視点を変えてみたら?と伝えたかったのでしょうね。

ただ「生きがいの創造」は面白かったので、そこから生きがいシリーズをはじめ、ブライアン・L・ワイスの「魂の伴侶」など、前世療法関係の本は読みあさったわ。

当時、現実が大変で次々いろんなことが起こっていた。
なので、心の拠り所も必要だったのでしょうね。
前世療法や催眠にもとても興味があったわ。

ただ今現在の私は前世とか来世とか信じていないというか、もうどうでもいいの。
(この話はまた別の機会にするわ)

ずっとここは私の居場所じゃないという感覚

とにかく「あの場所を忘れたくない」と言う想いがあまりにも強くて

ここ(この家族)には私の居場所はない・・・
本当の親はどこか他にいるんじゃないか・・・

いつの頃からか、ずっとそんな想いを抱いていたの。

現実に絶望して、小学2年生で「・・・へ行ったら人知れず死ねるんじゃないか」と考える子どもだった。

おまけにアスペルガーでAPD、周りとチグハグで人が怖い
幼少時から小中学生までは、現実を生きることが本当に辛かった。
だけど、何が辛いかは全然分からなかった。

現実が混沌としているから空想の世界に逃げて誤魔化していた。
空想の世界がないと、現実を生きることが難しかったのよ。

高校生で過換気症候群、大学で摂食障害を患ったわ。
大学でほとんど家に寄り付かずに、自分のやりたいことに打ち込むようになってから、ようやく人生を生きているという実感を持てたの。

楽しいことは人一倍楽しんで、努力する時は人一倍努力して、何もかも一生懸命すぎて、今度は周りと歩調が合わなくなったりはしたけれど・・・
(これもアスペルガーならではよね)
周りとチグハグしながら、それなりに頑張って生きていたわ。

忘れたくない場所が中間生ならこれは罰ゲーム

成人して結婚して家を出て、離婚して一人で頑張って必死だった頃
あの忘れたくない場所が「中間生」と知って、また幼い頃の感覚を思い出したの。

本当は生まれたくなかったんじゃないか・・・
私が生まれたのは何かの罰ゲームなんじゃないか・・・
一体何の罪で今世をやらされているのだろう・・・

生まれて最初に覚えている感情が「あの場所を忘れたくない!」だから、あの場所(中間生)から本当は離れたくなかったと思って当然よね。

じゃあ、離れたくなかったのに、自分はなぜあの場所(実家)に生まれたんだろうと、ずっと疑問を持っていたわ。
あの心地よい場所にずっと居たかったのに・・・って。

前世療法や退行催眠への興味と幼い頃の夢

40代もがむしゃらに生きなければならなかったけど、40代後半で子育ても先が見えてくると、少し自分に使える時間ができてきたの。

気になると追求したくなる性格で、前世療法が気になって「催眠」の体験をしに行ったりしたわ。催眠はいくら体験しても全然かからなくて、逆にムキになって催眠療法の勉強もした。
(この話はまた別でしたいわね)

でもこの頃は個人事業で忙しくしていたので、やりたいこともやっていたし、徐々に前世とかどうでも良くなっていたわ。
結局、退行催眠を受けることはなかった。

ただ、ひとつ思い出したことがあるの。
まだ幼い頃に何度も何度も夢で見た、ある時代のある場面のこと。

繰り返し見ていた夢から思うこと

幼い頃は田舎の家の夢を見たと思っていたけど、少し大きくなってから「あれ?なんか違う?」と気付いたわ。

実際の「田舎の家」は大きな梁があって平屋で周りは田んぼなの。
夢の中の「古い家」は大きな梁こそあるけれど、私はその2階から玄関を見下ろしているのね。
しかもどう考えても昔の商家で街中にある。

なぜ幼い頃からあの光景を見ていたのか?
実際に幼少時にあんな2階建ての旧家に行ったことはなかったはず
それに時代がもう少し古い気がする(明治か江戸後期)

だから前世があるなら、あれも前世の一つかも知れないとは感じていたわ。
ただ・・・
別に前世があったとしても、今の私とは関係ない。
もしかしたら、何代か前の近しいご先祖様かも知れない。
知ったところで関係ないと思い始めていたわ。

私にできることは今を一生懸命生きること

親を見送り、親戚を次々見送り、いろんな人生の終わりと向き合い、あらためて思ったことは・・・
一度きりの人生だから、その時その時を大切に、自分や自分と関わりのある人たちが心地よく暮らせるように、感謝を持って暮らしたい。

親とは嫌な思い出もあるけれど、育ててくれたことには感謝しているわ。
それに嫌な思いをしたのも、そもそも自分にも原因があったわけじゃない。

周りのせいには出来ないわね。

自分の思いや気持ちをきちんと言葉で伝えてきたか?
自分も周りを理解しようとしたか?と問われると耳が痛いのよ。

あの場所を忘れたくない!」から人生が始まっていたから、そもそもこの世の中を積極的に知ろうとしなかった自分も悪かったの。
あの場所をとっとと忘れていたら、この世に居場所を早く作れたのかも知れないし・・・
そう「ここに居場所が無い」ではなくて「居場所は自分で作るもの」だったのよ。

この14、5年はいろんな人生を看取ってきて、人生のお片付けもたくさんしたわ。
だからかしら
「今」が愛しくてかけがえの無い「有難いもの」としか思えないの。

普通に生きることの有り難さ
今日も迎えられたことの有り難さ
ご飯が食べられること
寝る場所があること
家族がいること
猫と暮らせること
好きな本やドラマが見れること
趣味を楽しめること
仕事があること
・・・・・
全部いつかは終わるのだから、本当に小さなこと全てが今は有難いわ。
感謝はそこかしこに溢れている。

真っ黒ばかりだったオセロ盤がひとつひとつ白にひっくり返っていく
マダム♡千壽の人生はそんな感じでここまで来たようね。

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