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叱る依存と、権限委譲

こんばんは。
今日は、子供達と収穫したじゃがいもでスイートポテトを作ったので、そのことについて書こうかと思ったんですけど…変えます!

数日前から思いっきり体調を崩していて、この土日は、夫に子供達を見ててもらう時間が長くありました(あ、スイートポテトは、ど〜しても作りたいと熱い希望あり、頑張りました)。
私は寝室で寝てて、リビングから夫や子供達の声が聞こえてくる状態。

なんだかんだ、3人を2日間面倒見てくれて、今日はスーパーに連れてって買い物してきてくれた。なかなか、7、5、3歳を一人で買い物に連れていってくれるパパもそうそう居ないんじゃないかと、夫への感謝がふつふつと湧いてきました。

で、す、が…。
やっぱり、声を聴いていると、ちょいちょい、「そんな言い方すると、あの子、むくれるのに…」とか、「もうちょい、ゆっくり言ってあげて…」とか、思っちゃう面がある。

そんなときは、頭の中で、「デリゲーション、デリゲーション」と唱えてました。デリゲーション。権限委譲。ここ数ヶ月で初めて知った言葉ですけどね。

権限委譲…って、なんか、上から目線な響きがあるな…。Google先生に聞いてみると、「上司から部下に権限の一部を渡すこと」。やっぱ、上から下に、なんだ。

そこで、この間読んだ、「叱る依存が止まらない」っていう本の内容がよぎりました。「叱る」方の側は、自分の考えが絶対正しいと思って、それで、「相手のため」と思って叱ってる。でも、そもそも、その考え自体が相手にとっては正しくないかもしれない。っていうようなことが、書いてありました。

どきっ。
私は、私の子供達への接し方が正解みたいに思って、夫に対して「あれが違う、これが違う」って思っちゃうけど、そもそも、私の接し方がいつも100%正解ってわけじゃないな。それなのに、私の正解をふりかざして、これに従わなければ、バツ!みたいのは、夫にとって、めちゃめちゃやりづらいな…。うーん、以前、そんなようなこと言われたことあるわ…反省。

まあこれは、夫→子供、あるいは、私→子供、にも言えて、夫や私が正論と思って子供達に言っていることも、もしかしたら、全部正解ってわけじゃなくて、子供たちにも子供たちの正解があるのかもしれない。

だから…。
「私の権限の一部を移譲する」とか「子供たちを正してあげる」とかじゃなくて、お互いにどういうふうに考えてるのか聞き合って、一番いい落としどころを探すのが、Win-Winってことなのかな。

まあ、現実、それが難しくて困ってるんですけどね!!
少なくとも、自分が100%正しいと思うのは止めないと…って、思いました。

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