mirage

オーラが溢れる女性なりたい。
街を歩いていると、歩くというより、闊歩している、という言葉が似合う女性に見惚れる。
細いヒールで前だけを見て簡単に歩く女性はどうしてこう美しいのか。

人の悩みや抱えているものというのは目に見えないし、決して理解できるものではないというのは世の常だが、どうも私からは無敵に見えてしまう。

思い出したくもない辛い過去すらも振り返ることはないように見えるからこそ、美しいのか。
そもそもの前提として、辛い過去がある、という定義をしているところもポイントなのかもしれない。

辛いけど気にしない、辛いけどこなしてきた。だから今がある。

自分もそうなりたい。つまらない羨望だ。

これまでの積み上げた経験、自信、全てを身に纏って何もないかのように、今日を生きる姿勢が透けて見えるからこそ美しい。

宇宙のように果てしなく、手を伸ばしても掴めない巡り合わせには、そう簡単に気付けるものではないけれど、活力は数秒先でもいいから、先のことを順序だてて考えていく先に生まれてくるのかもしれない。

人や環境、本や知識だって、縁があって回ってくる。きっと知らぬ間に宿している魅力から生まれる自信だってあるが、どうしたって自分で選択してきた今を生きている女性は美しくみえてしまう。

自分のオーラを見ようとしてしまえば、永遠に色探しの旅に陥り、自分の色を見失うだけだが、ふと目についたビルの隙間から覗く空や、割れた道路から伸びる草、アスファルトの先に見える暖かい空気の色、定義できない色の美しさに心奪われることで、自分の色は少しずつ淡く色づいていくような気がする。

言葉を紡ぎながら、憧れの女性像を通して見える自分のありたい姿に戸惑いと、苛立ちが混じっていることに気づく。羨望には自分の行動力の無さ、覚悟の無さを鮮明に映し出す。

それでも、どんな日だって少し上を向くのだ。
悲しみは雨のように降り注いで、身体を濡らし、体温を少しずつ奪っていくけれど。

綿毛のように漂う幸せは自分からだけではなく周りからの気持ちから生まれて、偶然手のひらに乗った分だけが吸収されていくから。

幸せと目を合わせて、気持ちを受け取ることで、これまでは気づかなかった、自分の培ってきた経験が形として芽吹いていく。
そうであってほしい。

憧れから見えるものは自分への劣等感。
どうしたって、見たくないものに気づいてしまえば、自然と視線は落ちてしまうけど。
それでも、つま先にある自分の目線を少しだけ上に向けるのだ。

どうなるわけでもない、ただ、今生きてるこの時間を目と肌で感じて少し先の未来を自分の意思で想像していくことが、根拠のない自信として私を養っていくのだから。