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【なぜ、”猫月だんくるおすてうす”は「毒」なのか】

 こんにゃちは🐱、猫月だんくるおすてうすです。

 私、猫月だんくるおすてうす”毒”を自称しておりますが、その所以についてお話ししていきます。

○ヒトは、ミスをする生き物――

 自分語りをすると言っておきながら、いきなり話を逸らします。

 我々ヒトは、ミスをする生き物です。

 これは日々私が申していることです。

 例えば野球の天才打者であるイチローも、打率が4割を越えることはありませんでした。半分を大幅に越えてミスをしているわけです。これが集団プレーであるサッカーになると、Jリーグでも1試合で27本のシュートを放ちながら無得点、なんていう例もあります。

 日常の中でも、小さなミスはいくらでもあるでしょう。いつも置いてあるはずの場所に財布がない、乗りたい列車を一本逃した、買い物で買い忘れたものがあった……致命的ではなくても、ミスをするのは当たり前なのです。

 ところで、ミス(好ましくない行為)にはいくつかの種類があります。

 第一に、それがミスだと知らなかった場合。(無知)

 第二に、不注意でミスを犯してしまった場合。(過失)

 第三に、意図してミスを引き起こす場合。(故意)

 (自信を含め)誰かがミスをした場合、それが無知によるものか、過失によるものか、故意によるものか、見極めることが重要なわけです。

○より良い保育を目指したい――

 さて、本題に入りましょう。

 以降は、私を取り巻く現状での話なので、保育業界全体の話ではありません。あくまで、私事であるとご理解の上で、読み進めてください。

 例えば、保育所保育指針が2017年に改定、2018年に施行されました。

 保育所保育指針という物は、いわば保育を進めていく上での羅針盤です。「子どもたちの成長を保障していくために、こういう手法を取ろう、こういう手段は回避しよう」というものです。

 目的だけを掲げても、その経路や手段が伴っていなければ、八甲田山の雪中行軍やインパール作戦のような人災を引き起こしてしまいます。そして、残念ながらそういう保育を行い、民事的に係争される例もあれば、違法行為として刑事訴追されている例もあります。

 小さい例でも、望ましくない保育の手法はあるわけです。

 例えば、”脅し”。

「良い子にしていないと、鬼が来るよ」

「そんな悪い子には、サンタクロースは来ません」

「泣くなら、小さいクラスへ行きなさい」

「それじゃあ、小学生にはなれないよ」

 これ、子どもに対する脅迫です。しかも、大人の利益しか考えていない罪深い言葉です。まったく、子どもの育ちを保障していません。保育士のみならず、子どもと関わる人間が口にして良い言葉ではありません。

 とはいえです。これらの言葉が、子どもの育ちに害を為していると知らない大人は、実は多いのです。何故なら、自分たちも育ちの中でこういう言葉を投げ掛けられてきたからです。つまり、誤った価値観を正す機会が無かった。それが、ひとつの事実です。

 無知なまま子どもと接し、子どもを傷つけている大人がいる、と言うことです。

 保育所保育指針の改定は、こういう無知を振り返る好機でした。新しい羅針盤を理解しなければ、子どもたちの成長を遂げる航路が分かりませんから。

 私も、新・保育所保育指針を学びました。十分かというと、そうとは言い切れないことも自覚しています。まだまだ、日々の保育と指針とを見比べる必要があります。それが、より良い保育に繋がるからです。

 ん?”毒”要素がまだ出てきてないって?

 自画自賛してるだけじゃないかって?

「俺って向上心ある保育士、ウェーイ♪」じゃねって?

 それは、次の項で話します😁

○組織にとって”毒”になる――

 当たり前の話ですが、どこの保育園も、どの保育士も、プライドを持って保育に当たっていると思います。

 ただ、そのプライドが「プロフェッショナルのプライド」「個人の沽券」かは、分かれるようにも感じています。要は、顧客である園児と保護者の利益を追求しているのか、自身の価値観を重視しているのか、の差違ですかね。

 私自身は、顧客の利益という目的のためならば手段は問わないのが、プロフェッショナルのプライドだと考えています。保育の手法は数々あれど、所詮は道具に過ぎない。自分の保育保育観なんて物は、存在しない。子どもの育ちに関する理論に基づいて、仕事をする。そういう保育士です。だから、子どもの様子に合わせて、コロコロとやり方は変えますし、変えられるだけの選択肢も用意しておきます。

 保育士としては、やはり特殊なタイプだと思います。

 そして私は、水たまりに石を投げ入れることを心懸けています。今は波風の立っていない保育園に、保育論という石を投げ入れて、波紋を起こすのです。しかし、波紋を起こしたからといって、何かが変わるとも限りません。何も起こらないことの方が多いでしょう。それでも、石を投げ続けるのが、私です。

 さて、猫月だんくるおすてうすが”毒”である所以についてですが、

 先の項でも述べましたが、現状の保育園と保育士は、無知であることがほとんどです。恥ずかしながら「”PDCA”って何?」と平然と口にする古参保育士がいるくらいに無知です。そういう職場に、PDCAサイクルOODAループ仕事の5Sミドルアップダウン主体的・対話的で深い学び、などの石を、私は投げ入れ続けています。

 そう。私は、保育士が無知であることを許容しません。

「保育士は、特殊な職業だ」「保育園は、他の職場とは違う」そう言う保育士は、多いと思います。実際、会社員とは働き方は異なるでしょう。でも、そんなのは、どの職業でも言えることではありませんか?保育士だけが特殊なわけではない。どの職業にも、どの業界にも、それぞれの特色や社会からのニーズに合わせた、”特殊”さはあるはずです。

 保育士だからPDCAサイクルを知らなくて良いわけではないし、業務の最適化を検討しなくても許されるわけでもありません。

 ましてや、「多忙だから」を理由に、保育所保育指針を学ばない、教育改革に興味を持たないことが、まかり通せる理由にもならないでしょう。

 だから、私は「知らない」という保育士に知らせるのです。知った上で、時代にニーズに応えようとしないのは、それはもはや過失ではなく、故意です。

 保育現場に情報を提供し、「知った上で、我々はどうするのか」を問い掛ける私は、やはり組織からすれば”毒”なのです。

○保護者に、情報を提供する――

 当たり前の話ですが、保護者にも保育所保育指針の内容は伝えますし、今後見込まれる教育のトレンドについても、私は情報提供を行います。

 ある保護者から、尋ねられたことがあります。

「そういう情報を、他の保育士も勉強されているのですか?」と。

 職場から指示された研修などで得たものは、「これは研修で得た、公の情報です」とお答えしますし、個人で学んだ物についてはそのようにお答えします。

 これは、猛毒だと思います。

 私は、先述の通り、自分が得た物は職場にも還元していますし、どう活用していくかを投げ掛けてもいます。保護者にも情報提供していることは、伝えています(保護者会資料やクラス便りは、園長の決裁がなければ配布できませんしね)。

 保護者からしたら、情報を提供してくれる保育士と、そうとも言えない保育士がいたら?どうでしょうね。


 ということで、【なぜ、”猫月だんくるおすてうす”は「毒」なのか】について記述させていただきました。

 私とやり取りしてくださっている方の中には、「猫月は、毒ではない」と仰ってくださる方もいらっしゃいます。おそらく、その”毒”は「毒づく」の意味で捉えられていらっしゃるのだろうなぁ、と推察しております。

 私は、他者を変えようとは思わない。そんな力はありませんしね。

 ただ、情報という劇薬は、常に提供し続けます。

 保育士が見据えるのは、子どもたちが学校で困らないことではなく、20年後に自分で飯を食えることです。そのために、劇薬の石を投げ続けていきます。

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