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豊かさを受けとる

最近は、グダグダの生活をしていた。
身体に力がはいらなくて、今日は10時間も眠ってしまったと。

わたしは、最近悩みがある。
人との間に距離を感じるというか、なんだか寂しい気持ちがある。

それで私は、あの人が話し掛けてくれないからとか、なんで~してくれないのと、心の中で怒っている私がいる。

わたしはこれが自分の問題だと気づいている。私が、話し掛けないし、私が人に心を開くのが苦手なのだ。

人が悪いと思う身勝手さは、いつか、トラブルとなって出てくる。いままでのトラブルを確認していったとき、原因がここにあったと気づいたから。

では、どうすれば良いのか?

わたしは、祈った。

いま私は、友達がほしい、寂しい、どうかお導きくださいと。

そうして天に預けていて、しばらくしたら『わたしは周りのことを享受できているかな?』というような気づきがえられた。

それは、言葉というよりも感覚的なことに近いのかもしれない。

それを感じてから、そうかいま不満に思っているのは『自分に無いものをねだっているからか』と感じた。そうして、いまあるものを受け取ってみた。

僕には、家族もいるし、家もある、知り合いもいるし、動かせる手があって、お金もあって生活もできているじゃないか。と心が一瞬にして満たされていった。

これが感謝の気持ちなのか、すごく明るくて満たされていて幸せだった。

不満にの反対、満たされていた。

私は思った。満たされているって、心の問題なのだと。(この記事を書きながらも気づきがある)

私は、こうして享受という気づきをえられたのだが、いつの間にかもとの考え方に戻ってしまう。

ここでまた私は落ち込んでしまうのである。それの繰り返しでなんだかため息のついてしまうようなときもあった。しかし、私はここでまたある気づきを得たのである。

わたしは簿記の勉強をしている。簿記って最初は、訳が分からないからなんだかイライラする。覚えることも多くて大変で。それから、問題集をやって、そこでもたくさんのミス。

あんなに努力したのにと落ち込む。それでも、試験に意地でも受かりたいって気持ちでまた勉強する。

もう一通り教科書を勉強して、また問題集。そしたら、以前よりもまだましな自分に出会う。その喜びを糧にして、何度も問題集を繰り返す。

そうしていつの間にか、出きるようになっていくのである。そう思うと、この『享受への切り替えも同じことだろう』と思う。

そう簡単には、難しいかもしれないけれども、不満が満足に、感謝へとかわっていけるのなら、ぜひ努力したいと思える。

こうして文章が打てているのも、手があって、目が見えて、考えることができてすごく幸せなことなんだなぁと感じられる。

こうやって、何度も思い起こすことが、私のできること。今に満足していたら、寂しいもなく、友達の問題も解決していくような気がする。

何しろ祈って得た知恵である。モタモタせず、飛び込んでやってしまうのが一番な気がする。


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