小学校で経験した不服な怒られと『面白い』が消えていくインターネット

僕はかなり痛い子供だったので、小学校で教師から怒られが発生することもそれなりにありました。今回はその中でも特に印象的だった『自分の中で不服に感じた怒られ3選』と、ついでに近年のインターネットについても語りたいと思います。

まず1つ目、国語の授業中に漢字を使って例文を作る課題が与えられた時のこと。その時の漢字が『殴る』だったのか『殺す』だったのか、その辺は記憶が曖昧ですが、僕は『木刀で殴り殺す』みたいな例文を作って発表しました。あまりの暴力性に生徒がウケて笑いが起こります、ところが教師が顔を真っ赤にして怒り出し「そんなことを面白いと思ってるのか君は!?」「いいか、そういうことを笑いにするのは酷く間違ったことで…」みたいな感じでその時間中くどくど皆の前で説教される羽目に。確かに今考えれば、もし仮に教師がこんな例文発表してたら確実に倫理問題になるだろうし、教育的指導が必要なアホ生徒かも知れません。だけどやっぱり当時は(なんでこんなにウケて例文として何も間違ってないのにこんな延々説教されなきゃいけないんだよ…)って思いが強かった記憶があります。

2つ目、あれは図工の時間だったでしょうか?自分の全身写真を画用紙に貼り付けて『自分が小さくなった世界』を描く課題が与えられました。各作品は廊下に貼り出されます。皆がちょうちょと遊ぶようなファンシーな作品を発表する中、一人だけ俯いた全身写真で『飼い猫に潰されて死ぬ寸前』という作品を発表したところ今度は職員室に呼び出され、普段絡みの無い教頭から「君は何でこんな設定で描いたんだ!?」と尋問される羽目に。どうやらシチュエーションがエグすぎた様で御立腹です。「いや何でと言われても…リアリティがあって良い設定だと思ったし…」とごにょごにょと自画自賛したのですが火に油、結局また長いお説教を喰らいます。図工の先生は僕のキャラを理解してるので「まあまあ、普段からこの子はこうなので…」とフォローになってないフォローを入れてくれてました。まさか飼い猫ではなく教頭相手に俯いて潰される寸前になるとは思ってなかった小学生の僕は(クソ…ブラックジョークに理解の無い奴め…絶対後で友達相手にこの事ネタにして話そ…)と考えながら説教を聞き流していました。
けどよく考えたら子供向けのアニメとかでも小さくなったら命の危機が迫る展開になるのは定番だと思うんですけど。例えば当時で言えば『ポケットモンスター』とかサトシ達がナツメに小さくされて人形の投げたボールに潰されかける展開とかあった気がするし。もしかするとその辺にインスパイアされてたのかも知れませんが、仮にその場合、怒る人は影響を与えたアニメに怒ったり、又はアニメに影響された僕に怒るんでしょうね結局。

3つ目は、まあかなり僕が悪いと思うんですけど、更に時を遡り小学校低学年の頃の話です。何故か屋上を開放しての授業があった時の事、友達とプロ野球の話をしていて贔屓の球団を否定されたのか、喧嘩して大声を出したか走り回ったか、その辺はうろ覚えだけど、とにかく教師に怒られるようなことになり「帰れ!」と言われたんですね。で、教室に戻ってから荷物をまとめて家に帰ろうとした(笑)。それを他の生徒が止めに来て教師も止めに来て教室に連れ戻され、授業が終わった放課後に緊急ホームルームだかなんだかになって、教壇に立たされ吊し上げが始まりました。教師に「『帰れ』は教室に帰れってことだってわかるだろう」と怒られる。喧嘩した理由についても訊かれ、僕と同じ球団を贔屓にしていて話が盛り上がったことのある女子にチラッと救難信号を出してみましたが「わたしは同じ球団が好きですが、必死になって喧嘩して騒ぐのは意味がわかりません」とあっさりバッサリ斬り捨てられ追撃を加えられます。更に当時一番よく遊んでいた習い事も同じ友達に「こんな奴のせいで何で放課後の時間削られなきゃいけねーんだよ」とイライラされ、教室にいる全員が敵で僕のことを白い目で見ている。僕の方は、もう目を白黒させて(自分はここにいる全員に非難されるほど間違っているのか、実はここまで皆に嫌われていたのか)と絶望し目の前の景色が歪んでいき壇上で立ち尽くすばかり。あの時味わった他人という集団に対する恐怖心は大人になっても尾を引いています。


さて、近年のインターネットについてですが、かつての『面倒くさい学校』を彷彿とさせる空気になったなと思います(今更ありがちな例えで小っ恥ずかしいけども…)。
謎に沸点が低い教師の顔色見なきゃいけなかったり、スクールカースト上位グループにいじめられないように目合わせないようにする感じ。SNS断ちについての記事読むと大人でも「やってないと世の中の情報についていけなくなって仕事が回らない、他人と会話出来ない」って感じの苦悩もよく見かけるけど、「不登校児になったらお先真っ暗、クラスで浮いちゃう…」って悩んでる昔の学生のような。
嫌いなインフルエンサーが目に入る時は嫌いな教師の授業みたいに(またこいつの時間か…早く休み時間来ないかな…仕方ない、この時間寝とくか…)って感じでやり過ごす。

昔はもうちょっと『放課後感』とか『部活終わり感』のようなくだけた空気があった気はするんですけど、ずいぶん教育的になったというか窮屈になったというか。
アニメなどの話をするにしてもバカな友達と「あれ観てる?」って気軽に話すより「声に出して皆の前で読める内容の、賞取るための感想文」的なものが求められるようになったような。

学校のように、実用性のある知識を与えてくれるようになったメリットもあるとは思います。
例えば『オタク部屋紹介』とか昔からよく観てるんですけど、最近は具体的なグッズの収納や保護について解説してくれるうえに商品ページのリンクまで貼ってますからね。何を訊いても「ググれカス」「まず服を脱ぎます」とか言われるよりはだいぶ親切です。
だけど娯楽性を犠牲にした部分は否めないかな。『面白み』に関してはどうしても昔に軍配が上がる、少なくとも僕が軍配を渡されたら昔に上げてしまう。だって昔は中高生が生活感のある部屋で雑誌付録を得意気に自慢したり、逆に「漫画全巻揃ってなくてすみません(汗)」って謎の意識の高さを垣間見せたり、フィギュアに鼻息荒くなってリアルにハスハスしてたり、笑ってしまうポイントが多々ありましたから。『ちょwwコーヒー噴いたwww』状態ですね、今は流石にそんなのありません。
失礼だけど、昔は『可愛げのある黒歴史』を観れる楽しさがあったと思う。『井の中の蛙』なとこが面白くて好きだった。でも今は若い子も皆『模範的優等生』になって、動画制作が『キャリアの積み重ね』って感じで、ツッコミ入れる隙も無いし、ツッコミなんて傷付くだけだから求めないって感じ。
「インターネットは遊びでやってんじゃねえんだよ!」
って言ってたとしても、昔と今では意味合いが変わってきます。

そんなこんなで、僕はインターネットで『面白い』を共有することを諦めるようになりました。『面白い』と感じる作品があったとしても「◯◯くんがこんな酷いものを持ち込んでましたー!皆さんどう思いますかー!?」「酷いでーす!」みたいに教室で吊し上げられたらタマったもんじゃないから「教室では見られないようにササッと隠して、人がいない時間に図書室に行って、こっそり本棚の奥の方に隠しておく」様な姑息な作戦を取るようになりました。

昔Twitterでは、オタク界隈で発生する議論もどきの炎上沙汰を『学級会』って揶揄するのが流行ってましたけど、言い得て妙だなって思います。
アニメ『ユリ熊嵐』でもそんな感じのシーンあった気がしますね、観返さないと忘れてるけど…。

というわけで『学校化するインターネット』って感じで書きたいがためにいささかこじつけ臭い記事を書いてしまいましたが、なんとなくイメージだけでも伝わって参考になってればいいな。
結局何が言いたいかって言うと、『面白い』を発信するにも探しに行くにも効率の悪い場所になったなって感じてるってことですね。

そろそろ終わろっかな、ではまた。

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