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社会のなかで言うことの難しいことについて

社会のなかで言語化するのが難しいことがある。社会のなかでは様々な決まりがあり、それは私たちの思考を確かに拘束している。私たち、つまりこの「私たち」という指示子が呼びかけている対象は主に日本に住んでいる人ということになるのですが、私たちは確かに何らかの仕方で言葉の世界に入っていかないといけないことがある。私たちは言葉の世界に入っていくことができないとそこで苦しみを覚えることがあると思います。
私自身も言葉の世界に入っていくうえで非常に大きな苦しみを経験しました、言葉の世界に入るということは実際に自分が考えていることやしたいと思っていること等を言葉の決まりのなかで表現することになります。
私たちは言葉の世界のなかで何かを本当はしたいとか、したくないとか、そうしたことを言うことができることが求められます。
私は正直なところ普通の男性として育っていましたが、確かに少し性別違和を覚えたことはありましたが、女性のことを好きになるので、自分のことは先ほども書いたように男性だと思っていました。
社会のなかに入るうえで、自分が二重の物語を生きていることを感じています。それは自分が従順な存在として社会のなかに現れるか、もしくは社会に対して抵抗もする存在として現れるかです。私はそのどちらも生きています。それは実際にはここで何回か紹介している平野啓一郎さんの分人主義で言うところの2つの分人を生きている自分がいるということです。
実際、自分は本が好きなので、本に関わる仕事をしたいですが、今している仕事はそういう仕事ではないですし、本に関わろうと思ったら、そういう世界に一度は足を進める必要があります。私は社会のなかでそうした仕事に関わるために何かもしかしたら一度は(もちろん心は壊さない仕方で)勇気を出して今いる環境の外に足を進める必要があるのかもしれません。

私は確かに様々な自己分析をしています。その自己分析のすべてをここで開陳する必要はないかと思っていますが、私自身はそれは自分のなかでは単独=特異化のスイッチだったのではないかと思います。
私は自分の知っていることをすべて反映するような文章を書いていたのですが、それだと自分の醜い部分まで言葉にできてしまうので、私一人ひとりは確かに単独かつ特異な存在としてそれぞれがいて、そのsingularitéは尊重されてしかるべきだと思うのですが、私自身は悪い意味で単独=特異化されてしまい、おそらく他者と交通するのが難しい状況のなかに置かれてしまっていたのだと思います。それは他者と本当に人として交わるのが難しい状況でもありました。
その悪い意味での単独=特異化については私は悪魔化と言っても良いかもしれないと思います。ある人が悪魔のように感じられる。それは確かに何らかの事件があった時にその犯人に対してその言葉を適用することはあるかと思います。ただ、そうでなくても、自分の知っている人に悪魔のような側面があるということを日常生活のなかで知ることはあるのではないでしょうか。
その悪魔的な側面、自分の言葉の切れ端、その断片に悪魔的なニュアンスが込められていないか自分は気になるようになりました。
私の中には確かに悪魔がいたのかもしれません。
私は悪魔的な存在とともに生きている。そう言うと、引いていく人が多いかと思います。
私には確かにそうした側面はあるかもしれないです。そうした思考の流れもあるのだと思います。
悪魔的に自己呈示することだってできると思います。
ただ、役者さんで悪い人の役割を演じる人はいますが、私自身はそういう状態に近かったのではないかと思うこともあります。
また、『ネオン・デーモン』という映画では、そこである女性の子どものモデルがモデルの世界で大変なことに遭遇することになります。

私はそうしたことに遭遇することはこれまでないとは言えないかもしれませんが、私自身は正直なところ人生のほぼ半分以上を男性として過ごしてきたので、「見る側」として存在していたわけです。しかし、私自身今話しているジェンダーはどちらかというと見た目としては男性寄りになりますが、言葉を含めた性表現は井手上獏さんと同じジェンダーレス系、つまりいわゆる「無性的」な感じだと思っています。私はそうした「無性的」な語りをするようになりました。私はそれは社会人になってからなのですが、そうした語りをするようになりました。しかし元々思い出したら中学校・高校(小学校までそうかもしれないですが)では元々「無性的」な感じでしたし、今は社会人として対外的に人と接する時と同じようなつまり「無性的」な話し方をしている可能性はあるかと思います。
ただ自分自身元々女性の方が好きということもあり、体型は維持していますが、無駄毛とかは処理していないです。そういう美容の世界にはまだ洗顔フォームと化粧水や糖分・脂肪分の体内への吸収を抑制する健康飲料くらいしか使っていないかもしれないです。あとは、角質を落とすとか。
女性が使うものも使いますが、男性が使うものも使います。
また精神科医から見ても私自身が女性的には見えないみたいです。そのようにこの前私は診察の折に聴きました。

私は声の高さは高く出す時はあるのですが、それでも確かに自分で聴いてみて女性的な感じはしないですね。そこに、客観と主観のずれがあるのかもしれないです。
私は妄想を持っている可能性があるので、妄想の影響はあると思うのですが、自分の書いていることで正直なところきちんと良い影響を与えられているか不安になりましたので、少しそれを反省する意味でも今回の記事を書きました。
また自分自身、自分の語りに不安を覚えたのでこう書きました。

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