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街明かり-もう一度- ④

 数日後、早速加藤君から連絡が入る。化粧はとりあえず毎日しているが、口紅をそっと引いた。家の近くの喫茶店まできてくれると言うことなので、喫茶店に向かうと、もうついていた。
「ごめん、お待たせしました」
「ううん、さっき着たところだよ」
と言ってメニューを差し出した。
「カフェラテで良かったよね。あと、ケーキもどうぞ」
「えっ、駄目よ。そんなもったいない」
「良いよ。別に経費なんだから」
「でも・・・・・・」
「俺も丁度ケーキが食べたかったんだ」
と言ってケーキの写真が載っている所を嬉しそうに見つめた。加藤君の無邪気さがきっと作家にウケているのだろうと思う。
「レモンのシフォンケーキなんて良いね。珍しい」
「確かに、お言葉に甘えてそれにしようかな」
「俺はレモンタルトにしよう」
と言ってウェイターを呼んだ。
 加藤君は鞄から新刊を四冊ほど出した。
「どれを紹介してもらおうか悩んでるんだ」
と机に四冊を広げた。
「いろいろあるのね。ジャンルとしては恋愛と多分、ファンタジー? それからミステリーとホラー」
と指でなぞりながら見ていく。
「夏生が興味がある物で良いと思うんだけど」
「そうね、私的にはホラーは避けたいところだけど、やっぱり読者にもよるわね」
「うん、これを読んでるのってやっぱり本好きな人だからな。俺が出したのはこのミステリーなんだけどさ」
と言ってきた紅茶にミルクを入れた。作者はあの『景山洋二』で巨匠とも言われている人だ。
「このコラムって前からあったっけ?」
「ううん、今回が初めてだよ」
「なら、巨匠クラスを入れても良いんじゃない? インパクトあるし」
と言った。腕を組み真剣な顔をして本を見つめた。
「ごめんなさい・・・・・・しゃしゃり出る訳じゃなかったの。構想があるならそれにあった本を読みます」
「ううん、良い考えだなって。そうしよう!」
と微笑みながらこちらを見た。
「やっぱり夏生に相談して良かったよ。俺、悩んでたんだよね。これからも俺の力になってくれない?」
「本気で言ってる? 私は全然そんな力になんて」
と笑っていると夏生の手を握って「頼む」と潤んだ瞳で加藤君は夏生を見つめた。あまりにも真剣な顔で見つめられた夏生は、動揺したがすぐに手を離して正気を装う。
「分かった。じゃあ、このミステリーを読んで紹介コラムを書いたらメールで送るわ」
「うん、頼むよ。楽しみにしてる」
 喫茶店を出ると、駅まで加藤君を送る。道中で加藤君が夏生に話しかけた。
「この前の話だけどさ。旦那さん、あまり話さない人だったっけ?」
「えっ、ええ、まあね。あまり話さないのよ」
「うん、今、結婚生活、楽しいの?」
「楽しいというか・・・・・・日々の営みを過ごしているだけよ」
「それは愛してるって言うのかな?」
「愛とかじゃないのよ。ほら、前も話したでしょ?」
そう、結婚をする前、夏生は加藤君に結婚に至った経緯を話していたのだ。
「でも夏生は彼の事を愛してたんだろ?」
「それも今となっては分からないの。貴方にこんなことを言うのはいけないことだと思うんだけど、好きだったかどうだったか分からないの」
 夏生はつい思っていたことを滑らせた。
「何言ってんだよ。好きだから結婚したんだろ?」
「ううん、私はもうあの会社にいたいと思わなかったのと、彼が先代の社長から会社を受け継ぐ事に不安を抱えていたから、手伝ってほしいって言われてそのままよ」
「編集部に行きたいってずっと言ってたもんな。でも叶わなかったの?」
「そうね、ずっと出し続けて五年目の頃だったかな。人事部から『まだ出すのか』って聞こえてきたの。そんなこと言われたらもう居場所なんてないなって」
「そうか・・・・・・そんなこと全然話さなかったから」
「良いのよ。ごめんね。こんな話しちゃって」
「いや、俺から聞いたんだ」
と言っている間に駅に着いた。
「原稿のこととか、なんかあったらいつでも連絡くれよ」
「ありがとう。じゃあまたね」
と言って手を振る。夏生は心の中で「またね」と少し照れくさそうに微笑んだ。
 本は案外あっさりと読み終わった。読書感想文にならないように人に伝えるにはどのようにしたら良いだろうかと考えに考え抜いた。
 とりあえず原稿を書き上げ、一週間足らずで加藤君にメールで送信した。
 加藤君からのメールが届くまで夏生は、少し緊張していた。誤字脱字のチェックはした。ただ、自分が書く文章に自信が持てないのだ。
 作家に対して、失礼のなくなおかつ、読者に読んでもらえるような文章。作家になったみたいな気分になった。
 買い物をしていると携帯電話が鳴る。
「もしもし」
「あっ、夏生?」
「はい、どうだった?」
「それが結構好評でさ」
「そ、そうだったの?」
「来月号からもお願いしたいって言おうかと」
「そうなの? 私、心配してたんだから」
「俺は、全然心配してなかったよ。だって夏生は前から良い文章書く人だったから」
という加藤君の言葉に夏生は動揺した。
「そ、そんなこと・・・・・・」
「とりあえず、会って契約とか今回の話がしたいんだけど」
「うん、大丈夫よ」
「それが、俺夜からじゃないと動けなくて」
 夏生は結婚してからというもの、光の仕事の付き合いで呑みについて行った時以外、家から出たことはなかった。いつも光を待つ身だった。
「夜か、いつの夜? 今日はちょっと主人に確認してみないと」
「そうだよな。うん、明日とかどうだろう?」
「大丈夫だと思うわ。また連絡して良いかしら?」
「うん、待ってるよ」
と言って電話を切る。
 夏生は余韻に浸るように携帯の画面を見つめた。
 夕飯の準備をしているときだった。光から電話がかかる。
「貴方、どうかしたの?」
「うん、今日は会食があるから夕飯はいらない」
「そ、そう。あのね」
「ごめん、忙しいから」
と言って電話が切れる。夏生はため息をつく。
 光が帰ってきてからだと、酔っていて話にはならない。だが、こうなってしまうと光は一切電話に出ない。悶々とした時間が過ぎていった。
 深夜一時を過ぎた頃、ようやく光が帰ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま・・・・・・まだ起きてたの?」
「うん、ちょっとね」
「風呂入るわ」
と言って光は夏生に荷物を預けて、そそくさと風呂場へ行った。
 また言いそびれてしまった夏生は落胆した。
 翌朝、朝食の準備をしていると、光が顔色悪く気だるそうに寝室から出てきた。
「おはよう」
「あるわよ。飲み過ぎね」
と言いながら水と胃薬を渡した。それを何も言わずに受け取り光は飲み干す。
「今日ね、この間言ってたコラムの返しがあるの。だから夜出かけなきゃいけなくて」
「そうか、じゃあ夕飯は外で済ますよ」
「ありがとう。ごめんなさい」
「いや、かまわない。今日は遅くなる予定だったし」
と言って光はコーヒーに手を伸ばした。そして朝食のパンを少しかじると、そのまま家を出て行った。
 夏生はそんな光に少しだけ嫌気がさしていた。毎日、遅くまで仕事をしてくれていることはとても良いことだと思う。ただ、こちらに目を向けない会話もない光との関係性は、「夫婦」と言うよりも「同居人」だ。多分、おまけに「ただの」がつきそうなほど冷め切っていた。
 夏生は午前中に掃除と洗濯を済ませ、お昼には買い物まで済ませた。そして加藤君に連絡をする。
「もしもし、加藤君。今、電話大丈夫?」
「うん、大丈夫。今日どうなった?」
「主人はあっさりオッケーだった」
「そうか、じゃあ、銀座とかで食事でもどう?」
「うん、大丈夫よ」
「じゃあ、銀座駅に六時」
「うん、承知しました」
と言って電話を切った。夏生はウキウキしながら服を選ぶ。この間、三人で会った時のワンピースよりも少し肌寒いからと紺色の七分丈のワンピースにした。
 夏生は六時より五分早めに銀座駅に着いた。新橋や有楽町が近いこの付近は、OLやサラリーマンもさることながら、若いカップルも多くいる。もう少し若ければあんな風に腕を組んで誰かと歩いていただろうか。
 そんな事を思いながら、加藤君を待っていると駅の方から加藤君が駆け足でやってきた。加藤君の背丈は、一七五センチぐらいで、大学までサッカーをやっていた事もあってすらっとした体型だ。目鼻立ちもくっきりとしていて、精悍な顔立ちだった。
「待たせてごめんな」
「ううん、私も今来た所だから」
「はあ、じゃあ何食べようかな。何が良い?」
「そうねぇ~ 何でも食べれるけど」
「それよりも申し訳なかったな。旦那さん、怒らなかったの?」
と言いながら歩き出す。
「うん、大丈夫だった。仕事だから」
「おっ、ここ、前にみんなできて良かったよね」
と立ち止まる加藤君に併せて、夏生も視線を合わせた。
「あっ、オムライスが美味しかった」
「そう、ここにするか」
と言って二人は入っていった。
 店内は変わらない老舗感を漂わせ、デミグラスの良い匂いが充満していた。
 注文を済ませると、加藤君が話し出す。
「この間の原稿、とても良かったよ」
「本当? あの編集長、何にも言ってなかった?」
「何なら絶賛だった。どこで見つけてきたんだってね」
「はあ・・・・・・あのおじさんがね」
「そう、夏生の名前を出したらびっくりしてたよ」
「名前出したの?」
「うん、本当は文才があるんじゃないかって」
―何が文才だよ。全然認めなかったくせに―
と思いながら、水に手を掛けた。
「良かったら続けてくれないかな? もちろん、ギャラも渡す」
「もちろん、私は全然続けるわ。ギャラなんて」
「ううん、仕事なんだ。必ずギャラは発生するから」
と言って明細書を渡す。
「この金額でどうだろう?」
 明細書の金額を見て、夏生は驚いた。自分が書いた文章にあまりに自信が無かったため、こんな金額もらえないと思ったのだ。
「こんなに良いの? 私、素人だし」
「いや、俺はさ。夏生の文才を信じてる。むしろ、作家向きだなって思ってた」
「やだな。そんなに褒めても何も出ないよ」
と笑いながら出てきたオムライスに手をつけた。
真剣な眼差しの加藤君に夏生は、思わず照れ隠しをしてしまった。食事を終えて、店を出た。
「もう少し良いかな? カフェでも」
「うん、全然かまわないわよ」
と言ってカフェに入った。このカフェは作家もたくさん来る、いわば談合喫茶。ここで効いたことや見たことは、他言無用。門外不出の話もあるようだ。
「ここね、原稿を届けてくれって言われて中に入っただけで、コーヒーの一杯も飲んだことないの」
「そうだったんだね。なら、今後はここを使おう」
「いやいや、だって私たちに他言無用の話はないでしょう?」
と言うと返事をせずに、加藤君は通された席に座った。そして紅茶とカフェラテを頼む。
 そして、改まったように夏生を見つめた。一気に夏生は緊張が走った。
「夏生、今、幸せ?」
と聞く。夏生は考えた。ここで幸せだと答えれば、加藤君はなんと答えるんだろう?
「どうだろう・・・・・・働かないで食べさせてもらってるって言うことは周りから見れば、幸せなんじゃないかな?」
「周りから見れば・・・・・・か。夏生はどうなの?」
「そうね、『同居人』という立場が否めないのは・・・・・・」
「『同居人』?」
「前も言ったかもしれないけれど、私たちは付き合っている時から、愛されていたという感覚がないの。だから好きとか嫌いとかそういう感覚も無いの」
と窓の方を向いた。
「お前はそれでいいの?」
「良いのよ。夫婦なんてそんな物だって母も言っていたし。もう十年も経った夫婦なんてそんなものよ」
と笑って見せた。すると加藤君は俯いた。
「夏生、俺はずっと夏生を見てたよ。夏生と一緒に編集部で頑張りたかった。だけど、あの時の俺は自分のことばっかりで、お前を助けてやれなかった。だから、今からでも夏生と・・・・・・仕事をしたいと思ったんだ」
「仕事・・・・・・それで」
「そう、俺は入社当初からお前に、文才があると思ってた。だからいずれは作家向きなんじゃないかって」
と言う。その言葉が夏生の心が揺れる。
「作家さんなんて・・・・・・」
「それと・・・・・・・夫婦生活だって・・・・・・見直さないか」
「見直す?」
「うん、俺は夏生に幸せになってほしい。いや、幸せにしたい。だから・・・・・・」
 加藤君が言いたいことは分かった。だが、突然のことに動揺が隠せない。加藤君を見つめながら動揺を隠すようにカフェラテを飲む。
「し、幸せって。私、結婚してるのよ。加藤君は独り身だけど、私なんて駄目よ」
「俺は前からお前のことが好きだった。俺は、夏生がどんな形でも愛してる」
その言葉に偽りはないようだった。それは加藤君の顔を見れば分かる。夏生が返事に困り、下を向いていると、加藤君はふっと身体の力を抜いて、ソファーの背もたれに身体を委ねた。
「ごめん・・・・・・俺、唐突しすぎたな。申し訳ない。俺も伝えたい気持ちが先走ってさ」
と顔を押さえて微笑んだ。
「ごめんね、なんかちゃんとした返事が出来なくて」
「ううん、気にしないでほしい。断られると思って言ったからさ。もちろん、仕事とは別だから」
と言ってくれた。夏生は安堵しながら頷く。
 二人はカフェを出ると駅の方へ向かった。
「今日は遅くからごめんな」
「良いの。主人にも言ったし、これからも仕事続けて良いって言ってたから」
「そうか、また仕事の件で呼び出すかもしれないけど良いかな?」
「うん、かまわない。私こそよろしくおねがしますね」
と微笑み会った。すると車が夏生のすぐ側を、猛スピードで車が横切った。
 加藤君は夏生の腕を引いたときだった。そのまま夏生の唇を奪い去っていった。

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