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アキのエッセイNo.19-維持・向上で人は本当に幸せになれるのか?障害受容の重要性

こんばんは、アキです。

今回は上記のタイトルで話を展開させていただきます。

リハビリにおいて、機能や生活スキルの維持・向上は重視されており、短期及び長期などの目標でもよく取り上げられています。

ただ、私の個人の意見ですが、「維持・向上ができても、それで人は本当に幸せになれるのか?」という疑問が常にあります。

維持・向上に向けてアプローチをすることなの異を唱えているわけではありません。しかし、それを主目的にしてしまうのは危ういような感じがあるのです。

例えば、老年期の対象者様がいるとして、セラピーを受けてもらうとします。身体機能や生活スキルの維持・向上に向けて淡々とセラピーを行い、維持・向上が出来たとします。それに対して、少しでも自分の出来ることがあること対象者様は喜ぶかもしれません。介護の負担が軽減されることを周囲(ご家族様など)は喜ぶかもしれません。そうなることが理想ですが

中には維持・向上がなされても、喜べない対象者様やご家族様もいるでしょう。

その理由として、「元気だった普通の頃と比較してしまい、絶望しているから」など、現状を受け入れることが出来ず、「普通に戻ることを期待している」など、「障害の受容がなされていない」ことが考えられます。

リハビリに依存してしまう患者様がいらっしゃると聞きますが、そのような「受容が上手く出来ていない人」に対して、現状を受け入れるサポートを、対象者様やご家族様の気持ちに共感しながら行うことのほうが、維持・向上のアプローチより(もしくは同様に)重要だと私は思います。

そもそも、何のためにリハビリを行うのか?に焦点を当ててみます。

「普通の生活を取り戻すため」は×だと私は考えています。障害を負ったということは、以前よりも生活に不便を抱え、残存機能を駆使し、または周囲のフォローを受けることで生活するということは、ほぼ間違いなく避けられないからです。

では「維持・向上のため」かと問われれば、それも違う気がします

維持・向上のためのアプローチは、今を対象者様が生きるための「手段」であり、目的ではないと私は思います。

今を生きる術を対象者様、ご家族様と一緒に見つけ、開拓していくこと。つまり、「障害と共に生きることの心の準備を手伝い、受け入れた先の幸せを感じてもらうサポート」をするのが支援者の務めだと私は思うのです。

単に維持・向上にアプローチを行って、相手の気持ちを置き去りにしてしまえば受容はなされません。

障害を否定するためのアプローチではなく、「受容するためのアプローチ」をしていかなくてはなりません。

例えば「トイレが自立しなければ面倒を見られない」というご家族様もいらっしゃいますが、私はそれを非難しません。ご家庭の事情というものがありますから、ある程度の自立を求められるのは自然なことです。

だからこそ、対象者様やご家族様が安心して生活できるように、支援者が「どのようなアプローチをして、どのような資源を使い、どのように対象者様とご家族様が関わっていくべきか」を一緒に考えて、適切な対処をしていくのだと思います。

その対処の上で必要になってくるのが、維持・向上もそうなのでしょうが、それよりも「受容」なのだと私は思うのです。

支援者は、対象者様やご家族様に寄り添い、抱かれる気持ちに共感していく中で、「現状を受容されているか」、その経過を入念にチェックし、促していくこと。その手段として維持・向上のアプローチをかけること。それが重要なのではないかと考えています。

障害受容が出来ずに家族の関わり方で苦悩した例が私の家族です。

両親は共働き、祖母が中心で認知症の祖父を介護する老々介護状態の上、日常的に言葉による虐待、最終的に手が出る身体的虐待に発展。通所サービスを利用するも虐待はエスカレート。その末、家族が目を離した隙に食べ物を口に詰め込みすぎて窒息死。

私は祖父の死は家族の過失だと捉えています。それに至らないために必要だったのは何かを考えると、やはり「祖父の心身機能の低下や介護度のきちんとした理解」と「適切な現状の受容」だったと思います。家族みんなで見ることが出来ずに祖母に介護を任せていたのも間違いですし、どうしてもその状態が改善できないならば「入所」を検討すべきでした。

母は、「機能低下が深刻になる前に訓練すれば症状は抑えられた」と言って嘆いてましたが、それも違う気がします。

機能が向上、または維持されなければ受け入れられないということになりますが、確かに先ほども述べたように、ある程度の自立度がなければ家族が対応できないのは仕方ありません。しかし、「機能が向上、または維持されたとしても受け入れたのか?」という疑問があります。維持・向上が出来たとしても、「健常者」に戻すことは無理です。その普通を求め、比較して、維持・向上は出来ているのに、現状を受容せずに結局祖母に介護を任せきりで虐待進行というパターンが目に浮かびました

何度も申しますが、維持・向上のアプローチは「現状を受容するための手段」であり、リハビリなどの支援の目的は「今、そして今後をどう生きるか考え、今と向き合い、障害を含めた今を受容すること」です。

作業療法士復帰前に偉そうなことを書き記しましたが、一人でも共感して下さる方がいると幸いです。

お読み下さりありがとうございました。



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