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エッセイ

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#ひとりごと

心に言葉を。

みなさんは名言ってお好きですか? 大切にしている言葉ってそれぞれみんなありますよね。 私も好きな言葉は色々ありますが 素敵な言葉は意外と沢山あり過ぎて どんなにいい言葉でも、正直全ては覚えていられません。 しかしそんな中でも覚えているものも いくつかあります。 今回は心に残っているものの中から少しだけ ここに書いてみようかなぁと。 *** まず一つ目の言葉は「ムーミン」より。 これは断捨離を始めた頃に一番心に響いた言葉です。 「自分できれいだと思うものは、なんでもぼ

つらつらつら。

昨日戌亥さんが、記事の中にねじりのことを書いてくださった。 めーっちゃ嬉しかった。めーっちゃ。 今回書いてくれた経緯は、以前のこの記事だったようだ。 これです、これ。 この記事ね、すっごく書きたくて書いた記事だったんです。 基本、この人のここ好きだなぁ~と思うと すごくそれを伝えたくなっちゃうんですよね。 noteじゃなかったら、口で言っちゃう。 別に誰も私の気持ちなんて聞きたくないかもしれないけれど そういう時だけはお構いなしに伝えてしまう。 ある人に言われたの

「ミニヒマワリ」

とある休日の夕方。 夫といつものお散歩をしていた。 私達のお散歩コースはいくつかあるが いつもその時の気分で決めている。 その日、最初に決めたコースがあったが 歩いているうちに話し合ってコースを変えた。 「じゃあ、今日はこっちにしよう。」 途中でコース変更。 その日は結局、ある公園に向かった。 入り口すぐには小さな子どもとお母さん方がいて 子ども達は遊具で遊んでいる。 しかし私達の目的の場所はここではない。 その公園は奥が小さな丘になっており その一番上を目指すのが

「おぉ~いいじゃん」の効果。

最近よくイラストを描いていますが 文章を書く時との大きな違いがあります。 それは「描いたものをまず夫に見せること」です。 今までは文章が完成したとしても、ただ完成した事を伝えるだけで 特にその完成品を見せることはありませんでした。 なので夫は、私の文章をほぼ読んだことがありません。 けれど読まないからといってこのnoteを反対しているわけではなく むしろ応援してくれているので、記事が完成したことを伝えると いつも「お疲れ~」と言ってくれていました。 これについてはいつも必ず

「ライラックまつり」自己開催。

この前ライラックの写真を投稿した時に思い出したのですが 札幌には「さっぽろライラックまつり」というものがあります。 これは札幌市中央区にある大通公園や白石区川下公園で5月中旬に 開催されるイベントです。 ちなみに昨年はコロナの影響で開催が中止され 今年の第63回さっぽろライラックまつり(2021年度)については オンライン開催でやったそうです。 こちらに参加して楽しんだ方もいるのかな~。 HPには動画もありましたので、ご興味のある方はそちらもどうぞ。 そもそも「さっぽろ

ねじり、応援する楽しさを知る。

まさに題名の通りのことに最近気づきまして。 今月は自分の記事の中でいくつかnoterさんのご紹介記事を 書かせていただきました。 あ、ご紹介だなんてちょっと偉そうかな…。 でも書いてみた感想としては「すっごく楽しかった‼︎‼︎」です。 もともと書いてみたいな~という気持ちはありました。 でも特にきっかけがなくてどうしたらいいものかと思っていた所 有難いことにnoterさんからイラストのご依頼を受け そのイラストを描いたご縁からお礼の気持ちを伝えるべく 紹介記事を書くことが

変化を好み、変化を恐れる。

最近よくこのことを書いているので よく知っていただいている方もいるわけですが 最近の私はイラストを描いたりしていて 自分の中では結構新しい挑戦をしているわけです。 他にもできればショートストーリーなども考えたいのですが なかなかそこまでは時間がありません。 けれど以前にはなかった「やりたいこと」の波に 現在は翻弄されているので、その波にこちら自ら進んで 乗りにいきたいと思っているのです。 波に翻弄されるのではなく、波に乗りたい。 そう考えています。 しかし、この挑戦という

「人の問題」を奪ってはいけない。

題名がちょっと物々しい感じになってしまいましたが でもその言葉のままなんですよね。 書きたいことは。 自分の周りにいる人がイライラして機嫌が悪かったりすると 恐らくまずは「どうしたのかな?」と思いますよね。 それがほとんど自分とは関係のない人だったら その思考はそれで終わりかもしれませんが 関係が少しでも濃いと「自分が何かしたのかな…」 と心配になってしまうことってあるのではないでしょうか。 例えば会社で上司や先輩に声を掛けた時に 相手から素っ気ない態度が返ってきたとしま

そこは仲間なのか?

私、ネギが本当に苦手なんです。 (ネギ好きの方、ネギ農家さん、ネギ関係者の皆様、本当にごめんなさい。 悪気はいのです。) 全然食べれません。 かろうじて大丈夫なのは餃子に少しだけ入っているとかだったら 一応美味しくいけます。 普通の餃子タイプなら、い、いけます。 ネギが大量に入ってるのは無理です。 そんな私のネギ事情をここでちょっとご紹介。 ネギ嫌いの私には、「それ変だよ」と時々周りからクレームが入ります。 ネギが嫌いな人ってあまり周りにいなかったのですが だから

自分の書く字がおかしくなってきた?

年々字を書かなくなってきたなぁと思う。 パソコンやらスマホやらで文字の入力は全て そちら任せだ。 字を書く頻度は本当に格段に減ってきている。 お店で個人情報を差し出す時に昔は必ずといっていいほど 記入していたし、何もかも全てにおいて字を書いていた。 それが今やほぼ全てが入力。 すごいですね。時代の進歩とやらは。 ただしそのせいで、自分の字が嫌になってしまった。 以前はよく字を書いていたが、今一番長く文字を書くのは 実家の家族への手紙くらいかもしれない。 書く時は便箋

意見のある者と意見のない者。

私自身全く意見がないというわけではないけれど 何かについて意見するという事を 実はもともとあまり やってこなかったのかもしれない。 特に夫を見ていると 自分がそういう人間にすごく思えてくるのだ。 夫は常に何かしらに意見し問題提起してくる。 凄腕の「意見する人」である。 他に例えるなら、御意見番か? 何かに意見している時の夫は、そんな風に見える。 打って変わって私は…あんまり意見がないかもそれない。 いや、意見がないわけではないのだが 自分からの「始まり」がないんだな。

砂時計で時を忘れる。

以前実家に帰省した時のこと。 実家に大分古そうな砂時計が置いてあった。 久しぶりに手に取る。 「久しぶりだなぁ砂時計なんて」 そういえば、これ昔からあったっけ。 周りは木製で作られており、中央部分はガラスでできている。 急に砂時計をいじりたくなった私は 透明なガラスの部分に入った砂のさらさらに見惚れながら 何度か上下逆さまにしたりした。 ガラスの部分は中央がくびれており、細い管になっている。 そこから砂が落ちていく姿はなんとも美しい。 砂の量とくびれの傾斜や細さ、

短いようで長い、長いようで短い。

これなーんだ? 謎かけみたいになってしまいました。 私が言いたかったのは「時間」です。 そう、ジカン。 会社で働いている時は時間が長く感じる… 楽しい時間は早く過ぎる… さっき寝たと思ったらもう朝だった… あ、最後のはちょっと違うかな?(笑) でも誰もがみんな 一度は思ったことがあるのではないでしょうか。 時間のスピードは同じはずなのに その時の気持ちによって、私たちは勝手に時間を歪めてしまう。 時間そのものは何も変わってはいないのに 早いだの遅いだのと意見してしま

おばあちゃんには敵わないや。

私には今年97歳になる祖母がいる。 祖母は実家で父と母と暮らしているので 今は一緒には住んでいない。 私が家を出るまでは一緒に暮らしていた。 祖母は共働きで忙しい両親の代わりに兄と私の面倒を見てくれていた。 母が夜勤の時は特に忙しかったと思う。 家事全てに加え私たち二人の面倒を見るのだ。 兄とは四歳離れていたが小さい子供二人の相手は大変だったと思う。 だから幼い頃は、特に私はいつも祖母にべったりだった。 この食べ物が好きだと言えば、すごい量を作ってくれた。 それで