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中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(コラム2「翻訳の学習態度」)

 学生時代は勉強のため、出版された翻訳小説を中国語の原文と突き合わせ、誤訳をあら探ししていました。でも実はこれ、やり方を間違えると精神衛生上よくありません。有名大学の教授のくせにつまらない間違いをしている、日本語もまともに書けないのかと馬鹿にしいい気になっていると、自分の翻訳で必ずミスをします。勉強は勉強として、他人を批判するよりも、自分の訳文を見直す方が前向きです。そもそも完璧に翻訳できる人なんて、この世に存在しないはずなのですから。

 例えば超一流とされる野球選手でも、投球やバッティングのフォームを毎日チェックしてもらっています。自分でもビデオでチェックし、他者からの指導を受け入れ、参考にします。本来ならば翻訳家も同じように、訳文を細かく見てもらう必要があります。数人の厳しい同業者に原文と比べつつ確認してもらえば、訳文の半分以上に赤が付くでしょう。ところが残念ながら、売れない中国語小説の翻訳のため、そこまで力を貸してくれる人はいません。頼れるのは自分の力のみです。

 だから翻訳家は自分が不完全なことを率直に認め、誤訳を少しでも少なくするよう丁寧に、時間をかけて翻訳するしかありません。他人の誤訳を見る時も、これは自分もやりかねないなという、謙虚な気持ちになるべきです。一人で部屋にこもり黙々とやる作業なだけに、客観的な目で自分の訳文を厳しくチェックしなければなりません。

 とは言え、翻訳という作業に没頭している間は、なかなか客観的になりにくいものです。一番いいのは、翻訳を一旦終えてから出来るだけ長い時間、訳文を放置することです。改めて見直すと、以前は気づかなかった誤訳、おかしな日本語表現が多いことに驚かされるはずです。さらに気恥ずかしいかもしれませんが、この未熟な原稿を印刷し、活字化してみましょう。手書きの原稿やパソコンの画面を目で追うよりも、誤植や誤訳が見つかりやすいものです。あなたの原稿に磨きをかけるため、他にもいろいろな方法を試してみてください。

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