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【親ガチャ問題】生まれた環境に人生は左右されるのか。

大学入学共通テストの「倫理」から出題された問題で『親ガチャ』を想起させるものがあった、と話題になっています。ニュースになっているのは主にその対話内容です。

G:「すごい豪邸…、こんな家に生まれた子どもは運がいいね。不平等だな」

H:「生まれた家とか国とか、個人が選べないもので差があるのは不平等だとしても変えられないよ。与えられた環境の中で頑張ることが大事だよね。この家の子どもだって社会で成功できるかどうかは本人次第だと思う」

出典:   読売新聞

出典のところから問題全文に飛べるようになってるので興味のある方はご覧ください(読売新聞さんありがとうございます)ニュースで出てるのは対話文の一部で肝心な問題文が書いてなかったので探してみたんですが、問題文を読んでみたら
「なんか論点ズレてない?」
って出題の意図もわかんないのについ思ってしまったので、私が論点だと思う部分について勝手に掘り下げてみました。

そもそも親ガチャの定義とは。

生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子供は親を選べない」ことを、スマホゲームのガチャに例えている

出典:  wikipedia

wikipediaさんの表現があまりに簡潔でわかりやすかったのでそのまま持ってきてしまったんですが、ガチャってスマホのガチャだったのか…普通にガチャガチャをアイキャッチに充ててしまった。子育て世代には未だにガチャガチャって身近だけど、それ以外の人には馴染まないもんなあ(また脱線している)
前述wikipediaにも記述があるように、親ガチャには遺伝子要因(容姿、能力、障害など)と環境要因(家庭環境、経済環境など)に分かれますが、今回は出題内容が環境要因について言及してるのでそこを主軸に考えたいと思います。

アタリの人は言及しにくい問題。

親ガチャについて言及する方々は一般的に「自分がハズレを引いた」と思っている人が多いと思います。今回の出題ではGさんがそれにあたりますが、不平等という言葉で表しています。
「自分の努力次第だと思う」と答えるHさんの家庭環境には触れられていませんが、アタリを引いた人は恵まれているので格差問題を客観視できないと思われがちです。その一方、じゃあ誰がアタリで誰がハズレなのかという線引きについては本人の主観に委ねられるものです。

例えば経済的には何不自由なく育てられたと思われがちな人が、両親が共働きで愛情不足を感じ、本人はハズレだと思っている場合があります。環境要因の中でも家庭環境を重視するか経済環境を重視するかによりますが、経済的に貧しい家庭でも愛情に溢れていれば本人はアタリだと思う場合もあります。ただこれを第三者がアタリと判断するかというと難しい。経済格差の方が可視化されやすい側面があるからです。

家庭環境で人生が左右されるか。

私は比較的経済的には恵まれて育った方で、関東育ちで私立大学の学費を親に出してもらいました。旦那くんは地方出身で兄弟が多かったこともあり、経済的な理由で合格していた第一志望の大学には進学できませんでした。それでも今の大学から今の会社に進まなければ私と出会ってないので、ハズレだったとは言いません(ていうか私が言わせません)
私達は今幸せに暮らしています。

今回特に論争がヒートアップするきっかけになったのは、経済格差が受験問題には大きく影響するためだと思われます。質の良い教育を受けるためには学費と学力が必要で、その学力を身につけるためのツール(塾や予備校、通信教育等)にはやはりお金がかかります。ツールを使用せず合格する人もたくさんいますが、ツールを使った方が合格しやすくなるのも確か。お金がある方が、進学の選択肢、そして職業の選択肢が広がっていきます。他の道に進むことが許されなかった人から見たら、それは幸福以外の何者でもないのかもしれません。

学歴で判断されるのは新卒まで。

但し、これは私の経験則になりますが、転職をする時に重要視されるのは学歴よりも実務経験です。学歴は確かに、大学に合格するまでの努力を測る指針にはなりますが、大学で勉強したことがそのまま仕事に役立ってる人は研究職など少数派じゃないでしょうか。我々の世代の院卒の人間は「大卒の人よりも良い給料をもらうのだから、現場で2年働いた人間より使える人間にならなければならない」という壁に当たりました。お給料が高いことは良いことですが、当然のことながらそれに見合った能力を求められるので就職のハードルは上がります。
転職の際に重視されるのは学歴よりも(もちろん最低ラインはその企業で定めていると思いますが)職務経歴や実務経験です。学校で受動的に受けた知識よりも、仕事しながら能動的に積んだ経験の方が現場では大いに役に立つから。なので学歴という面のみにおいては、人生が左右されるほど大きく影響はしないと思います。

社会は平等ではない。

世の中には自分の仕事を好きじゃない人もいます。出生時の経済的な要因で希望の職種に就けなかった人もそこに含まれますが、就職した会社側の問題や、その後の家庭的な問題、様々な要因で自分の仕事内容に不満のある人はたくさんいるでしょう。理不尽なことも起こり得るし、不平等なこともたくさんある。自分の不幸を責任転嫁して生き続けることは、自分を不幸にしていることと同じなんじゃないかと私は思います。

私は家庭環境には大変恵まれている方で、やりたい仕事も決まっていましたが、それでもそこにたどり着くまでに時間を要しました。でも、希望じゃない仕事をして苦労したことも今の私を形成する大切な経験値です。そしてそう思えることが、私にとっては大きな強みになっています。

美味しいものをたくさん食べた人は、舌が肥えていて食べものハードルは上がっていきます。それよりなんでも美味しいと思える人の方が人生はハッピーだと思うのですよ。アンハッピーを知ってハッピーになりましょう。

…と、恵まれてる私が何を言っても結局説得力ないんですよねえ。経済的な負のスパイラルに巻き込まれてる人はそんなこと考える余裕もないし。私にできるのは、恵まれた環境を与えてくれた親に感謝し続けることと、娘たちにもそう思ってもらえるようにひたすら頑張ることだけなのですから。

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