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「幸せモデル」にハマれない

若林さんの文章が好きで、著書は全部読んでいる。
スルスルと水の如く読めて、面白い。
でも今回の「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」はちょっと具が大きくて、咀嚼しながら味わう本だった。それでもやっぱり面白かった。読んでとても良かった。

一人旅の間には、普段なら目にも留めないであろう細部にシャッターを切るような瞬間がある。若林さんの書く旅の細かな描写が呼水となって、自分の旅の細部が思い出された。夜の空港でつかまえたタクシー、窓から入る湿っぽい風に揺れる運転手のカールした髪の毛。砂浜に残った消えかけの足跡。甘すぎたドーナツの粉糖の輝き。朝、ひとりで齧った小さなりんごの色。綺麗なグリーンだった。

ああまた旅に出たい。遠くに行きたいな、とちょっと心が震えたような気がした。

毎日、目の前の手近なことをクリアし続けるだけで時間は過ぎる。立ち止まらないで、社会の一部として稼働する。その原動力はなんだろう。なんで働いているんだっけ。何が楽しいんだっけ。そもそも幸せってなんでしたっけ。漠然としたことを考え始めるのは怖い。この社会は人それぞれのオリジナルな「幸せ」について考えないような仕組みになっているのでは?とも思う。思考を停止するのは楽といえば楽だから。勝ち、を目指せば戦略だけを考えれば良いから。ていうか勝ちって何?社会を稼働させるための個人であることから逃げるのは難しい。

旅先ではアウトサイダーとして息が吸える。旅行者として社会の一端を担っているかもしれないけれど、なんというか「うぶ」でいられる気がする。予定調和が少ないし、感動しやすいし、とてもありがちな感想だけど、自分の暮らしについて客観的に考えられる。自粛期間中の東京で若林さんの文章を読みながら、擬似的に心を遠くに飛ばして今の暮らしや幸せを思った。


読んでいて、星野源さんの「Pop Virus」という曲がずっと思い浮かんでいた。私は最初の「音の中で 君を探してる」という歌詞がとても好きだ。聴いた時に衝撃を受けた。本の中では、誰かの定義した幸せから抜け出すためのキーとして「血の通った関係」という言葉が出てくるのだが、歌詞とその言葉に同じニュアンスを感じた。広告やSNSなどで日々供給される「幸せモデル」をスクロールしつつも、自分オリジナルの幸せを感じるのには大切な誰かとの関係が必要に思える。自己を愛するだけでは感じられないもの。家族や友人、今まで出会ってきた人たちの顔を思い浮かべて、なんだか体温が上昇するような心地。

また折に触れて読み返そうと思う。





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