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工業高校の普通科目は個性的な先生であふれてる(英語・世界史編)

前回、工業高校での普通科目である数学の熱血漢溢れる先生の思い出を書きました。

英語は教科書読むだけの先生

しかしこの数学の先⽣と反対に英語の先⽣はいかにもやる気がない。といった感じの⼈でした。授業の進め⽅としては、教科書を最初からただ読み上げて説明するだけといったところでしょうか。

その話し方には抑揚もなく、いかにもめんどくさい、仕事だから仕方なく授業を進めてるだけって感じがありありなのです。

私が通っていた⼯業⾼校は県⽴でしたので、当然同じ県⽴の⾼校間での職員移動とかはあります。ここに赴任してくる前は普通科⾼校に在籍していたかもしれません。そうした場であればもっと中⾝の濃い授業をすることも出来たでしょう。

もしかしたら不本意な移動でこの⼯業⾼校に来たのかもしれません。それがために⼤学受験とほとんど関係ない学⽣に普通科⽬を真剣に教えたところで何になる︖必要最低限の授業だけやってればいいだろう。

これは私の勝⼿な推測です。この英語の先⽣がそのような考えであったかどうかは分かりません。しかしそのように勘繰りたくなるような授業のやり⽅でした。

あるいはこれはやる気以前に、ただ単にその先⽣の能⼒的なことかもしれません。私が社会⼈になって取得した公的資格の5年に1度の更新講習で、こういった感じで講義を進める講師がいました。

その講師もテキストに書いてあることを、すべて一行一句そのまま読み上げるだけなんです。それはテキスト⾒ればわかりますよ。そうじゃなくてその中のポイントとかを解説してほしいんです。

テキスト棒読みなら私らが講習に顔出す必要あります?

世界史の先生は教科書も指導要領も無視のぶっ飛び授業

「俺は教科書通りの授業はやらんからそのつもりで」

世界史の第1回⽬の授業の冒頭で先⽣はいきなりそう⾔い放ちました。

訳がわからずポカンとしている我々⽣徒たちをよそに先⽣は続けて説明し始めます。

「歴史は何のために勉強するのか︖ それはこれから先、我々はどう⽣きていくべきかのヒントを過去の歴史から学び取るためだ。⽇本がこれからよりよい⽅向へ進んでいくためには、明治以降の⽇本とアジア諸国との関わりを徹底的に勉強する必要がある」

ということで、この先⽣の世界史の授業についてはそれから1年、『⽇本とアジアの近現代史』だけに集中して勉強することになったのです。

さらに「俺の授業では教科書は持ってこなくていい」なんて⾔うものだから、柄の悪い⽣徒から冗談半分に「だったら教科書代返せ︕」なんてヤジを⾶ばされる始末。

ここは⼯業⾼校ですからほとんどの⽣徒は就職しますが、⼤学へ進学する者も少数ですがいます。そのため「⼤学進学希望者は申し出てくれ。放課後に受験⽤の補習授業は責任もってやる」とまで言うのです。

大学受験を目指す生徒からしたらこんな迷惑な話ないですよ。

大人になった今から考えればこれは思想的にちょっと偏ってない?と思えなくもありません。

この先⽣は常々「歴史はその出来事が何故起こったのかを考えながら全体の流れを覚えろ。年号を覚えることには何の意味もない」と語っていて、事実この先⽣のテストに年号問題はいっさい出題されませんでした。

私は大人になってから⼤河ドラマを⾒るのが好きになりました。ある⼈物や時代背景に特化したドラマを1年⾒ていると歴史の流れが理解できるようになります。

教科書に載っていた⼈物や事件など、学生時代には細切れでしか覚えていない部分がドラマで思い出されて、そういう背景だったのかと合点がいくと楽しくなります。

勉強のできなかった学生時代の私には、この先⽣がどういう思想を持ってこんな授業をしたのかまで考える⼒はありませんでしたが、ハチャメチャもいいところです。普通なら教育委員会にクレームが入るんじゃないでしょうか。

しかし、歴史は流れで覚える。

この考え⽅は理にかなったものだと今では思えますし、普通科⾼校では決して出来ない⽣きた授業だったと⾔えるかもしれません。


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