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HIT! もはや社会現象?マッドマックス 怒りのデスロードについて

No.018
表紙写真・著作者 Jesse Clockwork



映画「マッドマックス」シリーズの4作目となる「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が全国で絶賛公開中だ。私はレンタルビデオで鑑賞した世代だけど、漫画「北斗の拳」の元にもなっており、腐敗と自由と暴力のまっただ中の世界観に魅了されたひとりである。

既に伝説的な名作ではあるが、本作は過去3作を凌駕するほどのレベルであり、一度ハマると何度でも繰り返し劇場に足を運んでしまうことから、一部の間では「マッドマックスは観る麻薬だ」などとも囁かれているらしい。遅ればせながら、ようやく私も休日に鑑賞することができた。

登場人物全員が最後まで九九を言えなさそう」とか「最初から最後までずっと色んなモノが爆発している」などの感想がネット上で飛び交っており、究極のおバカ映画のように思われガチなのだが、マッドマックスは極めて知的な映画である。例えば悪に捕えられた女性たちの深い心理を研究するために、アフリカの人身売買を専門に研究している学者を招いたり、徹底したシリアスな演技を追求している。

この映画が凄いのは、説明的な解説がまったくないこと。役者たちの台詞は少なく、微細な仕草や表情で様々な意味を語らせている。また冒頭で輸血袋にされたマックスの背中に逆さ文字で使用方法のタトゥーが彫られるが、あれは人間を逆さ釣りにして使うからそうしているらしい。随所にアイディアや工夫が凝らされており、単純な人体破壊描写を超えた残酷さ、皮肉さがある。

もはやマッドマックスは芸術ではないか?

そんな風にいうと、湧き上がった熱が冷めてしまうかもしれない。しかし熱を冷まし正気になってモノゴトを見つめていくことに意味がある。現代アートというのは「価値付け合戦」の面があり、長々と難しく説明的すぎたり、逆に説明がなさ過ぎてまったく意味不明だったり、或いは思わせぶりなだけで中身は空っぽだったり、事実そんな作品が目立つことはある。その点、マッドマックスは知性をひけらかした映画ではまったくない、一見すると芸術性は皆無だ。しかしこの抑制の利かせ方こそが絶妙なのだ。超ド級のエンターテインメント性で、初見は頭がおかしくなるくらい面白くて、興奮しまくりで何度も鑑賞しているうちに少しずつ熱が冷めて正気に戻り、ようやくディテールの作り込み、小さなメッセージに気付く。繰り返し何度も観ることで、より深く感動する仕組みになっているのだ。

さらにマッドマックスは突発的に現れたイロモノというわけではない。過去様々なアクション映画の手法、伝統を受け継いだ上で、CGに頼らない迫力ある映像作りの技術的進歩をしており、映画史としての革新性がある。

私たちクリエイターがマッドマックスから得るものは無限にあるように思う。正直ここまで書いて、私はまだ鑑賞一回目の初級者だ。仕事をズル休みしてでも、7〜8回は観て、もっと勉強したいと思っている。



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