キャラ萌えにとって、ガチャは敵

キャラ萌えとして、昨今のソシャゲーは好ましくないと考えます。ガチャとあまりにも安易に結びついてしまっているところが。

「イベント□□□をクリアするには、どうしても△△△というキャラが居ないと無理だ!」

そんなわけで、課金して――人によっては大枚ウン万円はおろか、ウン十万円も――ガチャを引きまくるわけですよね。これはアカンですよ。

ガチャは英語圏ではルートボックスと呼ばれます。ルートボックスは海外では早くも問題視され、ドイツでは法規制の網がかかり始めました。

突き詰めると資本主義と倫理ということになるかと思います。

一人から多額の購入費を捻出させるビジネスモデルで、それを技術的に支えるのは疑似乱数。しかも、表記された確率が正しいかを監視する第三者的組織はありません。故意にではなくとも意図と異なる確率が仕込まれていたとしても、それを見破るのはなかなか難しい。

裕福な消費者がポンと気前よく課金するのはかまいませんが、そうでない人がうっかり、その日の夕食費まで課金してしまえるとすれば、これは人道的にどうなのか。

マルクス・ガブリエルという哲学者が興味深いことを言っています。「資本主義には悪の潜在性がある」と。だから、企業は倫理学者を雇うべきだと言うのです。

 トヨタにプロフェッショナルの倫理学者が三〇人いることを想像してみてください。エコカーの生産台数、車のデザイン、どの業界の株を買うか、こういった判断を倫理学者が下し、報告書をCEO(最高経営責任者)に提出するとします。資本主義は、完全に変化するでしょう。倫理学者たちが「ああ神よ、これを実行すると、私は二〇〇もの人間を殺めてしまう!」と叫ぶからです。
「これを実行すると車の価値が上がるが、(サプライ)チェーンの末端にいる者は死ぬ」という可能性は、今は完全に隠されています。実際にはトヨタに倫理学者のチームがいることはないので、この可能性が表に出ることはありません。いるのは経済学者ですが、経済学者は誰かが死ぬかもしれない、という可能性を考慮に入れていません。我々は倫理学者が介在するような構造を持つべきです。倫理資本主義は完全に可能です。このことを今まで提案した人がいない理由は極めて単純で、どの倫理学者も資本主義を批判しているからです。
          マルクス・ガブリエル「世界史の針が巻き戻るとき」
          「新しい実在論」は世界をどう見ているか(PHP新書)
                        株式会社PHP研究所
                     (Kindle の位置No.1264-1273)

ここからが本題ですが、キャラ萌えの気持ちからすると、ソシャゲー出身のキャラを二次創作するのは気が進みません。

たとえば可愛らしい公式イラストで表現された△△△ちゃんを、卓越した画力や人気を誇る○○○先生が二次創作すると、ひいてはソシャゲーの宣伝活動に寄与したようにならないでしょうか

私が△△△ちゃんを描いたくらいでは(描くつもりは毛頭ありませんが)、閲覧数もよくて二桁止まりで影響力など微塵もありません。ところが、○○○先生の場合は五桁、六桁いくPVです。その素晴らしい画を見た人は……

「へぇ~、△△△ちゃんって、可愛いな。このソシャゲー、試してみよう」

こんな風になるんじゃないでしょうか。そんな無垢な子羊の中から次の犠牲者――課金者が出てしまったりするわけだとしたら……

ガチャと結びついたソシャゲーは、キャラクタービジネスの手法では最低最悪の部類だと思いませんか?

また別の問題も。スマホを片時も手放さない現代人――特に若い方(かた)。同年代の4人で30代の方と会って食事しながら会話した時のこと、その方は右手の自分のスマホから、片時も目を逸らすことができないんですね。どうしても注意がそっちに行ってしまう。話しかけても、徐々に上の空に。

依存や中毒の問題は避け難いものです。

インターネットやモバイルアプリは寓話ではない。社会的影響を持ち、それは私たちの友人、家族、同僚にも及ぶ。バーは飲みすぎたお客さんを断ったりもする。私たちも同様、アプリを使いすぎたユーザーに責任を果たす必要がある。

もうちょっと、世の中、よくしていきたいですよね。界隈の企業の方。

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