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優しい時間

札幌から電車で30分。
車窓から見える景色を眺め家に帰る。

煌めく高層マンション群を過ぎ去り、リアルな生活風景が漫画のコマのように並ぶ集団住宅に変わり、遠くに見える山々が橙色に染まりゆく。夕日が染めたのは小さな町工場であり、放課後の小学生たちが遊ぶ公園であり、漬物用に干してある庭の大根である。線路の周りに草花が咲き乱れ、塾やスーパーが見えてきて、橋の下をくぐると札幌のはしっこ、あいの里公園駅に着く。

そこから徒歩3分のところに家はある。
リビングの大きな窓からは、横一列に並ぶ大きな木々が揺れているのが見える。

普段は、私は帯広に住んでいる。
札幌の実家に帰るのは月に1、2回。

2階の部屋に上がり布団に入ると、窓の向こうで街灯と月の光に照らされた木々がまだ揺れている。まるでトトロの森のように、風と一緒に葉がワサワサと騒いでいる。

見守られるように眠る22時。
朝6時、太陽の光で目が覚める。

鳥たちが木々のまわりを飛んでチュンチュン鳴いている。
1階に降りてコーヒーを淹れる。
お父さんとお母さんと、仏壇のおじいちゃんおばあちゃんの分。
甘いのが好きだったおばあちゃんの分だけ、お砂糖をたっぷり入れる。

朝日が差し込む場所を探して牛乳を飲みながら新聞を読んでいるお母さんと、木々の方を向いてのびのびストレッチをしているお父さん。

玄米がちょっぴり混じったご飯と生姜たっぷりの味噌汁と、興部町ベーコンエッグ。

朝ごはんの後はコーヒーを飲みながらみんなで朝ドラを見る。7時45分になると、それぞれバタバタと準備をして仕事に出掛ける。誰かが出掛ける時には玄関先で見送り、その後リビングの大きな窓から木々にその姿が隠れるまで手を振っている。これはルールではなく、なんとなくみんなそうしていること。

窓の外の木々は、私がこの家に住み始めた3歳の頃からずっと一緒の時間を生きてきた。悲しくて泣いている日も、怒られて拗ねている日も、友達と遊んでいる日も、家族でテレビを見ながら笑っている日も。家を丸ごと優しく包むかのように、木々はいつも見守ってくれていた。

実家から離れて暮らし時々帰るようになったからこそ、この優しさがより身に染みる。

地球を感じる、と言ったら大袈裟に聞こえるだろうか。木々や空、鳥といった自然だけでなく、それらが包んでくれる家族の愛もそう。ここに帰ればありのままの私を受け入れてくれる優しい時間が流れている。ゲーム機も高級な食材もブランド服も要らなくて、何気ない日常がただ愛おしい。

私にとってのゆたかさの象徴は、この家だと思う。

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