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読まれた方の「変容体験」

オカンの本「左脳さん、右脳さん。」を読んでくださって、本のなかのワークをずっと続けてくださった方からの、体験レポートを先日いただきました。
超、うれしい。感激しました。

本のなかには、オカンが右脳さんから教えてもらったワークが載っています。これは、読んでくださった方への敬意と感謝をもって、他では同じことを書かないようにしています。ご理解くださいませ。
ひとつは、呼吸法です。
もうひとつは、呼吸によって思考が静まってきますので、思考の代わりに直観を軸にするための、直観ワークです。
そして、思考を静め直観を軸にしていくなかで起こりうるさまざまな出来事に対処する方法を書かせていただきました。

え?こんなので?こんなので、思考が消えたりするの?
というぐらい、簡単なワークなんです。笑ってしまうかもしれません。
でも、教えてくれたのが、神経そのものの意識ですからね。

神経が神経を変える方法を教えてくれて、やってみると本当に変わった、って、まるでマンガの世界です。

今回は、そのマンガみたいなことに真正面からチャレンジして、自ら人体実験してくださった方のレポートです。私に伝えてくださった個人的な事項はぼかして抜いていますので、文章は「オカン:文責」であります。(※ご本人掲載了承済です)

このレポートの時点で、呼吸法を始めてくださってから半年が過ぎています。普段から瞑想をされていて、ランニングなどの運動もされていて、オカンの呼吸法は主に通勤電車の中で、だそうです。

◯レポート◯
この呼吸を続けてきてですね、感覚が変化してきたのがわかりました。
思考に関しても
「自分が考えてるって……自分の頭で考えてる、のほうがより近い表現だ」「同じじゃん、では決してない。私は考えてない」
「私は、脳という細胞組織を持っている、持ち主ではあるけど、考える主体ではない」
「脳が処理した結果を味わっているだけだ」
「自分の『思考』、自分が考えてると思ったのは、脳の高速の処理を受け止めているだけ」
「そこで受け止めるのと同時に、言語化してるだけ……なんじゃね?」
といったことが、感覚的にイメージ化されてることに気づきました。
理論化するようなプロセスではなく、すでにあるものを、あえて言葉にすればこういうことだよ、となっているだけ……。

呼吸法を続けることによって、思考である左脳意識とガッシリ一体化していた意識が、少しずつ距離をおけるような感覚が出てきます。他の方からも、思考が見えてくる、というご報告をいくつもいただいています。
見えるのは、距離ができてくるからです。思考の内容ではなく、思考が出てくるようすに気づきます。
自分が考えている、のではなく、思考がただ生産されている。それを受け取っている。または味わっている。そんな感覚に変化していきます。それを体感できます。

そして、ついに。

電車の中で、眉間にイガイガする感覚があらわれました。
そのイガイガが、ジンジンすることで存在感を強調していた(たぶん)そのとき、目を閉じて例の呼吸をしていました。
電車内で、立ったまま。
すぅーっと息を吸うと、おなかのなかに真空のような空間ができて、そこに空気が流れ込むようなイメージを持ってたら、
その息を吸い込むのと同時に、イガイガの中にいる「存在感を主張したがってるヤツ」(といっても俺なんですけど)の、
エキスというか、しがみつこうとするエネルギーが、身体の真ん中にある「存在」に吸い取られる感じがしました。
そんなところで自己主張してなくて
いいからさ、
ほんとはひとつなんだから、
こっちにきなさいよ
と引っ張るような。
で、だんだん「俺」を主張するヤツがしがみつこうとする力が失せたか、小さくなるかしていくような感じで
最後にイガイガが、消えた。

眉間にある思考の主と、おなかのなかの意識が別々に感じられて、やがておなかのほうへ吸収合併される。とても興味深い体験です。

その後、仕事でトラブルがあったんです。
頭を巡らせて、手を打ったり指示したり、フル回転なんですけど、
「やばい、どうしよう」とか
「なんでこうなるんだよ!」とか
余計なことを考えない自分がいました。
そこで、ふと気づいたんです。
頭で考えない代わりに、胸のあたりがジンジンするんです。
で、以前からたぶん、この感覚はあったんです。
大人になってからの自分は、この感覚を
「未知なことへの不安」
「何か大変なことになるのではという嫌な予感」
「変化を強いられる圧迫感」
のようにとらえていたかも……。
これを左脳の俺くんが、せっせと言葉にしてささやいていたのかもしれません。
さらにもっと子どもの頃はこれを
「胸がドキドキする」
ワクワク感としてとらえていた気がする。
現に今日のトラブルでは、起きることを半ば楽しんで
「あー、そうきたかー、ほうほう」
みたいにとらえて、
「さて次はどうなるんかな」
とただ見通しながら行動する自分を体験しました。
自分は胸のほうにいて、
思考の「大変だ、うわーーーーー」に巻き込まれない。

胸のところには、もともとドキドキやワクワクがあって、子どもの頃と大人になってからでは、受け取り方が違っていた。
それを思考が言語化して、ささやいていた。つまり、感じをそのまま感じるのではなく、いったん思考化して、外から考えていた。
そのむだなループが無くなって、ダイレクトに胸のあたりにある意識として外の世界を感じ、対処できた。困難ではなく、楽しみながら。

胸の意識は副交感神経を活性化するので、緊張しないんです。
思考は、交感神経を活性化するので、緊張します。
胸の意識は「楽しもう」と言います。
思考は「備えろ!気を抜くな!」と言います。

役割が違うんですね。
このスイッチを、自在に自分が使えるようになるといいですよね。

嬉しいのは、オカンみたいにお気楽な立場ではなく、いわゆるサラリーマン、それも管理指導する側に立たれているような方が、呼吸法で思考から離脱されたこと。
そして思考から離脱したほうが、ストレスなく仕事ができることが、証明されたことです。

いやーん、嬉しい。泣く。泣きながら転がる。

お一人お一人、変容の展開は違います。
でも、日常の中で気づきが連続発生すること、
思考と意識の間に距離が取れて、思考が見えるようになってくること、
胸の意識感覚に気づき始めること、
そして、意識が頭から胸に移動すること。
この流れは、ある程度共通しているように思います。
もっと研究するぞー!
皆さまのチャレンジとレポートに、心から感謝です。
ありがとうございます。

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