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(上)親とのつらい過去を癒す方法とコツ〈オカン可視化チャレンジ〉

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オセロがすべて裏返る日

親との関係から
大人になっても苦しみが続くのは
その暗い穴の奥の奥の奥に

「そんなこと承知の上で
何代も続くその苦しさを
私が引き受けてあげるよ」

と両手を広げ、微笑んで飛び込んできた、
途方もない愛の存在がいて、
それがその方の本質だから。

オセロがぜんぶ裏返る瞬間が来ます。

過日ツイッターのほうでそんな投稿をしました。
そこに「そんなふうになれるならそのやり方が知りたい」というコメントをいただいたので〈オカン可視化チャレンジ〉として今回の記事を書くことにいたしました。
長くなったので(上)(下)になりました。

まず最初にですが、書き手である私もまた、心身症を乗り越えてきた過去があります。
独身時代の終わり頃、ある日突然会社に行けなくなりました。
発作が出ると心臓が爆発しそうになるパニック障害、対人恐怖、顔を覆わなければ部屋からも出られない外出恐怖、抑うつ、自殺衝動。
なかなかに苦しい日々でしたが、当時すでにカウンセリングとワークを受けていたので、そこで指導されながら、内側を見つめ直して症状から脱していくことができました。

夢に示された幼少期の歪み

ここにちょっとおもしろい資料があります。当時、私はカウンセラーからの提案で夢記録日記をつけていました。絵日記みたいに絵を描き添えて(可視化が好きなのね)。
その夢記録日記の「実物」と描き直したものがこちらです↓↓(夢なんで、ちょっとグロいです。すみません)

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この夢は、私の生育期の状況に由来しています。
私の育った家は、アーケードの続く大きな商店街の中の一軒で、一階に自営の店舗があり、二階が住居になっています。私が生まれた頃は祖父祖母が店舗を経営しており、若かった母は赤ん坊の私を住居の部屋に寝かせてお店に立たなくてはなりませんでした。田舎から出て来られた若い女性の店員さんが二人ほど常にいて、祖母、叔母たち、店員の女性軍団のなかで、後継ぎである母は自身の立ち位置に苦労したようです。

赤ん坊の私は、ほとんど泣かない子だったそうです。はい、泣くと母が責められることを理解していたんですね。大人になってから「近所しゅうとめ」という言葉を母から聞きました。商店街なので隣近所はすべてお店。そこには常に店番の人がいます。アーケードの天井に囲われて、聞き耳を立てずとも声が反響します。母は周囲をそんな大勢の「姑」に囲まれて、私を育てました。私はそれを理解してしまう赤ん坊で、泣くことなく、自分の存在をきれいに隠していられる子でした。それはもちろん、赤ん坊としては致命的に不自然なことでした。

その、母を囲んでいた「姑」たちのが、数十年後に病んだ私の夢のなかで、のどから生えてきたのです。泣き声を禁じたのどに。そしてその無数の目玉をもぎ取ると、のどが枝分かれするように、筒が生えてくるのです。
象徴は、容赦なく私の歪みを意識化し、突きつけ、認めて受け入れよと現実化してきました。私は理解し、その歪みがそこに確かに在ると受容し、変容させられたのでした。

私は癒やされたでしょうか?
 はい、癒やされました。
傷は残っていますか?
 はい、残っています。
 今でも「ほしい」「ください」という言葉はなかなか言えません。
苦しさは残っていますか?
 いいえ、ぜんぶ透明になって消えました。
 ほとんど思い出すこともありません。
何が私を癒やしたのでしょうか?
 私の無意識にある、生命エネルギーだと思います。そのなかに「青写真(ブループリント)」となる自分の在り方のお手本のようなものが含まれていて、そこに向かって歪みを正していくちからが働くのだと感じます。
たぶんそれは、生まれる前に「こう在ろう」と決めてきた自分像で、一人一人違う理想像なのです。

つまり、過去の記憶が苦しいなら、それは内側に刻まれた歪みを正そうとするちからがすでに働いているのです。
オセロの例えで言えば、奥底に本質的な白いオセロがあり、その上にどんなに黒いオセロが積み上がろうと、あなたという意識が白いオセロである限り、すべてはひっくり返る日が来ます。

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いまの自分の完全な受容

もうひとつ、私の古い友人のエピソードを書かせてください。
彼女は正真正銘、被虐待児で、サバイバーでした。意識に上がってくる苦しさを打ち消そうと、タバコの火を自ら押し当てて皮膚を焼くほどの。

共に参加したワークのなかで彼女が思い出した記憶では、仰向けに寝ている自分を乱暴に踏みつける足の裏が、あごから足の先ぐらいまでの大きさで、巨大でびっくりしたと言います。1メートル以上あったわって。でもそれは、赤ん坊だった時代の記憶だとすれば、ただの大人の足サイズなんですね。そんなに小さい頃からひどい虐待を受け、育った彼女ですが、そうした記憶をすべて受容し、癒やしきってこう言いました。

「いま、小説を書くのが楽しくて書いているんだけど、もしいまの私を主人公にするなら、やっぱりあの経験を主人公の過去として採用すると思う」

いま現在の自分を完全に受容して、つらかった虐待時代の記憶すら、構成要素として受け入れる強さ。拒絶でも忘却でもなく、包み込んで自分の一部として愛せてしまう。「あれが私を私にしてくれたんだから」と。
これがオセロがぜんぶひっくり返った状態なんです。

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記憶をさわってはいけない

では、どうすればオセロをひっくり返していけるのか、です。
「過去の記憶が苦しい」なら、それは基本的に、再生方法を間違えているからなんです。記憶を記憶として、シーンやエピソードとして再生すると苦しいです。つまり、左脳の働きとして再生してしまうと、変えることができない上に、「記憶を再生して苦しむ」という回路を強化してしまうのです。記憶は変えることができません。無限にわいてきます。記憶の解釈を変えようとしたり、理解し受け入れようとしても、なかなかうまくいきません。そうすればするほど、黒いオセロは膜で包まれたように硬化して、沈黙のなかに隠れてしまいます。問題はすべて変えられぬ過去にあるんだ、と信じてしまい、無力感に押しつぶされてしまいます

過去が身体のなかに残した歪み・筋緊張

記憶に触れないで過去を癒やすとはどういうことなのでしょう。
実は、私も古い友人も癒やしの方法として取り組んだ方法があります。記憶と違い、それは変えることができるんです。

変えられるのは、記憶が身体のなかに作った筋緊張です。

筋肉の緊張、筋緊張。はじめて聞かれる方には、なぜこの流れで筋肉の話が出てくるのか、不思議に思われるかもしれません。私が受けていたワークはスタニスラフ・グロフという方のブレスワークの系統を引くセラピストのものでありました。

このワークの考え方では、わたしたちは苦しいとき身体のどこかを無意識に緊張させて、それで感情をブロックしてしまうというものです。そしてその部分は緊張していることすら、感じられなくなります。その隠れた筋緊張をほぐして、そこにある感覚を感じきって受容していけば、過去のつらさは薄れていくんです。このとき、呼吸が筋緊張をほぐす役割を果たします。なぜなら身体にブロックが作られるとき、無意識に息を止めているからです。ワークではこれを開放するための激しい呼吸を行うこともありますが、私自身が自宅で自分で行っていたときは、普通の深呼吸でじゅうぶんでした。

呼吸をしながら、いま、ここにある身体のなかの、いま、ここにある感じを感じきること。
過去を思い返すのではなく、いま、ここなんです。
エピソードではなく、身体の感じです。

私が癒やされたのは、赤ん坊時代ののどが封じ込めて耐え抜いてくれた痛みを、見つめ、それがそこにあると受け入れ、感じきったからでした。その痛みは自ら開き、役目を終えて今現在の私の存在の中に組み込まれました。夢は癒やしの理解を深めてくれました。

親個人を許す/許さないこととは関係ありません。親との関係をどう捉えるか、でもありません。癒やしとは、身体のなかにいまある「感じ」を見つめて、受け入れてほどいていくことなんです。そうだ、それがそこにある、と意識することなんです。

そして、自分がそれを変えるのではなく、それ自身が勝手に変わるのを我慢強く見守るんです。意識という水がそそがれ、花が開くように「感じ」が動き、開き、変容します。そうするとそれは拒絶すべき記憶ではなく、私の一部になります。

まとめますと、

生命には歪みを正すちからが
あることを知り、
そのちからにゆだねながら
呼吸とともに身体のなかを感じて
そこにある感じをただ受け入れて
見つめて、変わるのを見守る。

これならできそうでしょう?
オカンにできたんですもの、できますよ。

(下)親とのつらい過去を癒す方法とコツ〈オカン可視化チャレンジ〉に続きます。(下)はオカン式の実践編です。

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