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ノットイコール。

本日のヘッダーは、20代前半の私の産物、CDアルバム。細かいので見えるかなぁ?という感じなのですが、ノットイコールの記号(≠)だけで、ノットイコールの文字を描く、というジャケットデザインでした。

今日のnoteは、"クリエイターである事"と、"社会的・政治的な活動家である事"は、第三者が勝手にラベリングをしてイコールにしてはならないと思うのですが、いかがでしょうか、というお話。

なお、こちらの記事には、ジャンルを問わず各所で尽力されていらっしゃる方々やその内容についてを否定する意図はございませんこと、ご承知おき頂けたらと思います。

社会問題にクローズアップした作品に取り組むと、どうしても活動家的な側面での立場やコメントを求められる事が多くなる様な気がしています。その良し悪しについては、個々の意見や主張によって変わると思うのですが。

今の私自身はクリエイティブに直結したポジションにはいませんが、それでも、あくまでモノづくりに関わっているのみで、正直なところ社会活動や政治活動をしているつもりは・・・まるで無い、のです。

そもそも、内なるものを「言葉にできない」だったり「言語化しきれない」ものがあるから、それらを音や、絵や、映像などにして表現するクリエイター達と共に在り、彼らはあくまでもクリエイティブをしているのであって、本来それ以上でもそれ以下でもない、のだよなぁ……と思ったりもする訳です。だからと言って「何も考えていない」や「語る気がない」のではない事も、言うまでもなく。

ただ、クローズアップしたものの中身によって、第三者による勝手なラベリングが起きる事は、いかがなものかしら、というお話でした。

さて、冒頭で説明した「ノットイコール」というアルバムのキャッチコピーは確か

「分かり合えないから、歌うしかなかった。」

としていました。私は元来、物書きという職業に大層憧れていて、故に、色々なキャッチコピーもこれまで自分で書いてきたのだけれど(さらに言うなれば、頭の中に浮かんでいるワードやフレーズが基本的にあるので、勝手に付いたキャッチコピーに不満を抱きやすい面倒なタイプでもあります(笑))、今の自分がこれから関わるであろうまだ見ぬ作品にキャッチコピーを付けるのなら

「分かり合いたいから、作るのです。」

となりそうです。

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