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ショートショート「生活」

6日前、離婚した。もう何年も前の出来事のようにも思えるし、それはやはり6日前の記憶でもある。

(もしも運命というものがあるのならば、きっとこの相手なのだろう)と、お互いに愛し愛されて結ばれたはずの2人。裕福ではなくとも、一緒にいたらそれだけで楽しいと思っていたはずの2人。そうして4年間に及んだ結婚生活の終わりは、なんとも呆気ないものだった。

「じゃあ、元気でね」

引っ越しの朝、そう言って彼はいつも通りに仕事へと向かった。これは後から知ったことだが、パブリックイメージとは恐ろしいもので、友人一同は気の強い私から別れを切り出したと思っていたらしい。そう、普段から気の強いことで知られる私は、周囲にいわゆる”鬼嫁”として認識されていた。この4年間、それを否定するタイミングも必要性も特になかったのだけれど、実際のところの夫婦関係は大層な亭主関白だった。もともと私には、結婚願望もなければ離婚の意思もなかった。結婚を決めたのも離婚を切り出したのも、彼だ。捨てたのは私ではなく、”捨てられた”のが私なのだ。

私は、2DKの古びたアパートから、1Kの古びたアパートへとすぐに引っ越すことにした。結婚生活という名の倹約生活を経て得たものは、築年数の長い建物を無条件に愛せる心だ。それにしたって、女という生き物は不思議なものだ。あんなにも長いこと離婚を拒み続けていたのに、いざ役所に届を出そうものならば、その翌々日には引っ越し先の物件を決めているし、次にふと我に返った頃には引っ越し業者の見積もりを見比べていた。そのスピード感たるや、半ば夜逃げのようだった。

「必要なものは、ぜんぶ持って行っていいから」

その言葉のままに、テレビも冷蔵庫も電子レンジも、挙げ句の果てに洗濯機まで、私はほとんどの生活家電を新たな引っ越し先へと持ち込んだ。元の部屋に残る彼が、この先の日々をどう暮らしていくのかは微塵も顧みなかった。今になって考えてみれば、きっとあの時はそうでもしなければ、私は私を保てなかったのだろう。なにせこの気の強い私が、唯一といっていいほど気を抜いていられる間柄でいられたのが、他でもない彼なのだ。その存在を失うのは、どうしたって、痛い。

新しい部屋の照明器具がないことに、引っ越しを終えたところで私はようやく気付いた。あんなにもたくさんの生活家電を持ち込んだのに、だ。独り身になって初めての夜を、キッチンと呼ぶには忍びない、台所に備え付けてあった小さな蛍光灯だけでやり過ごす。このとき私は、持ち前の気の強さに初めて感謝した。涙の1滴も出なかったのだ。私には、捨てられた犬になることはおろか、負け犬にもなれないプライドがある。彼と出会い、結婚生活を送ったことが運命なのならば、こうして独りで生きていくこともまた運命なのであろうと、また新たな次の運命を受け入れることに成功していた。私は、この薄暗い部屋から、また新しい私を生きるのだ。できるだけ明るい方へと。

その決意に呼応するかのように、古びた板の間がミシッと音を鳴らした。

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