「かわいい」と「かわいそう」という無責任さ

毎週木曜日はデイサービスの日。

母は相変わらず人の言うことを聞いていなくて、お迎えの時間を伝えても1時間前くらい余裕でフライングする。止めてもどうせ聞かないのでもう何も言わなくなった。暑いから、寒いから、ともう少し待つように言っても無駄だと悟った。待てないのだ。それが認知症。

案の定お迎えの時間10分前くらいに戻ってきて「迎えがこない!」と言い始める。これもお決まりのコース。直前ギリギリまで我慢して戻ってきて文句を言う。だから早いって言ってんだろうが!と怒鳴りたくなるが言っても無駄なので言わない。「あと10分で来るよ」と伝える。

いつもはもう一度ドアを開けて出ていき(家の中で待っているように言っても聞かない)そのままデイサービスに行くのだけれど、昨日は違った。

ドアの前に猫がウロウロしているのが見える。以前よく見た地域猫?の白いやつ。顔を見るとシャー!と威嚇してくるので我が家では結構嫌われている。

母はその猫を指さして「何かあげてよ」と言う。

あの猫は家から少し北側にあるお家でお世話になっている。時々道を通るとドアの前に設えてもらった小屋っぽいものの前に白猫がいるのを見たことがある。「ああ、ここで世話になってるんだな」と思ったのを覚えていた。

他所で世話になっている猫なのでうちが餌をやるのはちょっと迷惑行為じゃないかと思い「他で餌を貰ってるから駄目だよ」と言っても母は「でもかわいそうじゃない!頼むからあげてよ」と言う。

私も猫は好きだ。家にお迎えしたいと随分長い間悩んでいるくらい好きだ。好きだけれどそんな単純な動機だけでお迎えして本当に良いのかと考えてしまう。私に猫さんを迎える資格はあるのだろうか?とか色々考えてしまって。

かわいそうって・・・可愛いからと気が向いた時に餌をやってその後は放ったらかしにする方がよっぽど可哀そうじゃん・・・と私は思う。

母は昔からそう。「かわいそう」「かわいい」という無責任な言葉を使ってその日の気分で対応する。

ずーっと世話する覚悟がないなら地域猫にかかわるべきじゃないだろうに。無責任な行動だということが理解できないから何度でもやる。そして私に世話を押し付けてくる。

母にとっては時々見かける猫も子どもも同じなんじゃないのかな?と最近思い始めた。その時の気分でコロコロ気分を変える母の顔色を伺っていた子ども時代が思い出されて嫌な気分になりながらドアを出ると、相変わらず白い猫は私を見て「シャーーー!!」と威嚇していた。

無責任な言葉が本当に憎たらしい。


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