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活き活きと、喜びをもって、この命を十全に生きてゆくことができるように

弟子への招き ~イエス・キリストの言葉

恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる》――。
これは、イエス・キリストがペトロたちを弟子に招いたときの言葉です(新約聖書 ルカによる福音書5章10節、新共同訳聖書)。ペトロやヨハネたちはそのときは漁師で、ガリラヤ湖で漁業を営んでいました。

         (ガリラヤ湖 from Wikimedia commons)

あなたは人間をとる漁師になる》。ここでの「とる」は「生け捕る」というニュアンスを含む言葉であるそうです。岩波訳聖書は、《あなたは人間を生け捕ることになるだろう》と訳しています。
もちろんこれは、人を「無理やり連れてゆく」という意味ではありません。そうではなく、人々を「招き入れる」という意味でこの言葉が使われているのでしょう。

招き入れようとしている場所とは、「神の国」です。「あなたは人間をとる漁師になる」という言葉には、「魚を網の中に招き入れるように、あなたは人々を神の国に招き入れる漁師になる」とのメッセージが込められています。 このメッセージに心動かされたペトロたちはイエス・キリストの後に従ってゆきます。

神の国への招き


神の国はギリシア語の原語では「神のご支配」とか「神の王国」とも訳すことのできる言葉です。神の力、神の権威、また神の願いが満ち満ちている場所というニュアンスでしょうか。神の国とは、神の願いが実現されている場であると私は受け止めています。

聖書が語る根本的なメッセージの一つ、それは、神の目に、私たち一人ひとりの存在がかけがえなく貴い、ということです(旧約聖書 イザヤ書43章4節)。神の目に大切な一人ひとりが、この世界において実際にかけがえのない存在として重んじられ、大切にされること――これが神の願いであると言えるのではないでしょうか。その神の願いが、イエス・キリストを通して実現されている場、それが神の国であるのだと捉えています。

今から後、あなたは人間をとる漁師になる(あなたは人間を生け捕ることになるだろう)」――。
この「人間を生け捕る」という言葉の中には、「人を生かす」という意味合い、「人々が活き活きと生きてゆくことができる」という意味合いが込められていると受け止めることもできるのではないでしょうか。
活き活きと、喜びをもって、神に与えられたこの命を十全に生きてゆくことができるよう、人々を神の愛のご支配(神の国)のもとに「呼び戻す」――そのために働くよう、私たち一人ひとりが神から招かれているのだ、と。

私たちから生きる力や意欲を失わせようとする力


「人間を生け捕る」――この言葉は、切実な感覚をもっていまを生きる私たちに迫ってきます。というのも、私たちから自尊心や他者への思いやりを失わせ、生きる力や意欲を奪おうとする力が、様々な場面において、いまの私たちの社会に働いているように思うからです。私たちはいま、活き活きと、喜びをもって生きてゆくことが難しい状況にいます。

たとえば、このコロナ下での3年間に及ぶ生活。様々な場面において、当たり前であった日常の生活が制限される状況を私たちは経験してきました。
新型コロナウイルスのパンデミックが世界を覆った2020年の当初に比べると、ずいぶんと私たちはこれまでの日常を取り戻しているように感じます。しかしいまだ、様々な場面において制限がなされている状況があります。病院や施設での面会の制限もそうですし、マスクの日常的な着用もその一つでしょう。
もちろん、感染対策は必要なものですが、同時に、状況の変化に応じて対策を変えてゆくことも必要です。マスクの着用はその一つでありましょう。特に、子どもや若い世代の方々に日常的にマスクを着用させ続けることの影響を懸念しています。マスクを長期間つけ続けていることの成長や身体への影響はもちろんのこと、精神的な面での影響も心配です。日常的なマスクの着用および過度な感染対策は、子どもたちから、本来的な生きる力や喜びを奪ってしまっているのではないかと懸念しています。

また、その背景にある、「感染を罪(悪)」とする考えも、大きな問題があるものでした。最近は少し薄れてきている部分があるかもしれませんが、2020年から21年にかけて、この考え方は非常に大きな力をもっていました。「感染を罪(悪)」とする考え方は私たちの内に罪意識(罪悪感)を植え付け、私たちの内から生きる力を失わせてしまうものです。また「感染を罪(悪)」とするこの考え方は他者への排他的な感情とも結びつき、私たちの内から互いに労わり合う心を時に見失わせてしまうものともなりました。

感染したこと・感染させてしまったかもしれないことは、決して「罪」ではありません。感染は単なる自然現象です。私たちは引き続き、互いに「あなたは悪くないよ」と声を掛けあい、支え合ってゆくことが求められています。

新型コロナワクチンの健康への深刻な影響


現在、日本は世界の中でも最も感染が拡大している国の一つとなっています。大変悲しいことに、亡くなる方の人数も、連日過去最多となっています。感染が拡大し亡くなる方が増大しているその要因として、ワクチンが関連している可能性を一部の専門家の方々は指摘しています。人々の健康と生活を守るためのものであるはずのコロナワクチンが、反対に、多くの人々の健康と生活を損なわせるものとなってしまっている――。大変ショッキングなことですが、私もその可能性が高いと考えています。これから徐々に、この度の新型ワクチン(mRNAワクチン)の効用の否定的な側面(ワクチン接種によってむしろ感染しやすくなる可能性)、ワクチンによる深刻なる健康被害の実態が明らかになってゆくでしょう。いま現在、ワクチンの影響とは気が付かず、体の不調を覚えている方が多くいらっしゃるであろうことも心配しています。

このコロナ下において、人々から生きる力を奪い、いまも奪い続けている最たるものの一つが、ワクチンとなってしまっているのです。私としましては、これ以上の追加接種はいったん中止し、早急に健康被害の実態の調査がなされ、被害が生じた方々への適切な救済措置がなされてゆくことを願っています。

私たちはこれから、神から与えられたこの生を十全に生きてゆく、その意欲を取り戻してゆかねばなりません。

活き活きと、喜びをもって、この命を十全に生きてゆくことができるように


聖書は、私たち一人ひとりの存在が、神の目に、かけがえなく貴いことを伝えています。失われてよい人は、誰一人として存在しません。犠牲とされ、その生命と尊厳が軽んじられてよい人は、誰一人として存在しません。神の目に大切な一人ひとりが、かけがえのない存在として重んじられ、大切にされること、これこそが神の願いであるのではないでしょうか。

私たち一人ひとりが活き活きと、喜びをもって、神に与えられたこの命を十全に生きてゆくことができますように願っています。

(このエッセイは、2023年1月15日の花巻教会の礼拝メッセージをもとにしています)


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