見出し画像

秋(5)

湖のほとりにお土産物屋兼食事処がある。
お母さんは道路沿いの駐車場に車を入れた。
「ここで、お昼ごはん食べよう。お腹空いたでしょ。」
お母さんはシートベルトを外して、言った。
道路から湖への道を降りていくと湖のさざなみのちゃぷちゃぷいう音が耳に届いた。
家族連れが湖のそばで犬と一緒に遊んでいた。キャアキャア言う声にダックスフンドが興奮してワンワン吠えていた。
私は元気よくはしゃぎまわる5歳くらいの男の子と女の子を見た。双子だろうか。
両親と思われる男女はシートを敷いてそこでお弁当を広げていた。
子供達は湖のそばでボールを投げて、それをダックスフンドが夢中で追いかけるのを見て笑っていた。
湖からくる風が涼しかった。
「菊ちゃん。ほら行こう。」
お母さんが私の手をペシッと一瞬叩いた。
私は無言でお母さんに続いた。
靴の裏で砂利が鳴る。
私は世界から引き剥がされていくような気がした。湖の風は心地よく、陽射しは穏やかで、それなのにもうこの世界におじいはいない。今頃、私はそのことを嫌というほど思い知らされた。私は泣き叫びたかった。
しかし、私はこらえた。
入口を開け放してある土産物兼食事処に入ると鄙びた匂いがした。
ガタガタの長テーブルとビニール椅子がいくつも並んでいる。
セルフサービスの簡易な食い物売り場という店だ。壁に味噌おでん、フランクフルト、きのこ汁など色褪せた紙が貼ってある。
入口近くに券売機があって、お母さんはその前に立って並ぶボタンを見ていった。
「うどん、そば、ラーメン、定食…。」
お母さんが読み上げる。
「あっラーメンと定食は売り切れだってよ。用意してないんだね。そばかうどんしかない。どうする?味噌おでん食べる?」
券売機のほとんどに売り切れの印が出ていた。
「天ぷらうどん。」
私はそう言った。
「じゃあお母さんも同じのにしよう。味噌おでんは?」
「いらない。」
「いやお母さんは食べたい。菊ちゃん食べよう。」
お母さんは1000円札を券売機にすべり込ませ天ぷらうどんの券を2枚と味噌おでんの券を押すとパタパタと券が出た。
お母さんはお釣りの小銭を財布にしまってカウンターに歩いて行った。
「すいませーんお願いします。天ぷらうどん2つと味噌おでん下さーい。」
お母さんが声を張り上げるとカウンターの奥から顔色の悪い女の人がそっと出てきて、無言で券を受け取った。
女の人は血の気がひいた青ざめた顔をしていた。唇まで青みががっていた。
長い髪を後ろで1つにまとめ、白い調理服を着ているのが見えた。
私とお母さんは湖の見えるテーブルに向いあって腰掛けた。テーブルの真ん中に箸立てにぎっしり割り箸がささっていた。
厨房からは油のはねるパチパチいう音と換気扇を回す音が聞こえる。
「今から天ぷらを揚げるのかね。あの女の人幽霊みたいだったわ。顔が真っ青っていうか、生気がなかったな。」
お母さんが言った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?